「病は気から」「病は自分の意思が作り出す」ってほんとそう。ただ…

昔から「病は気から」って言葉がある。
今つくづく、本当にその通りだと思う。
少なくとも、それが拍車をかけたり異様に抑制させたりというのはかなりある。と確信している。

元気ピンピンだった人が37.5℃の体温計を見た瞬間、病人らしく弱々しくなる(男性に多いよね…)
精神疾患、慢性疾患で長年通院してる人が、「自分は病人だから」というアイデンティティを持ち、それが思考行動の中心になる傾向がある。
逆に、末期がん余命わずかと宣告された人が、「どうせもうすぐ死ぬのなら…」と開き直り楽しく笑ってやりたいように過ごしてたらいつの間にか長年生存していた例も少なからずあるし、
絶望的な難病にかかった子に、ネガティブにならずたっぷり愛情を注いで子を信じて「まあなんとかなるさ」と前向きに生きていたらいつの間にか症状が消失していた、とかいう『奇跡』が起こる例も世界的に見ればしばしばあったり。

そもそも医学科学で証明されている事(特に脳/精神と身体の関係など)は極々わずかで、現代医学ですら「まだまだわからない事だらけ」なんだけど、
それにしても『意志の力』で信じられないくらい引き寄せたり悪化/改善している例はかなりあるようで。

どこかのコラムで、
「病気は心のどこかで自分が望んでそうなってる。現に病になって叶った『無意識の願望』とかあったでしょう?」
ってのがあって、一瞬ドキッとした。

ありがちな例だと、
ストレス過多で「ここから逃げたい、休みたい、やりたくない」という気持ちが増幅してくると、
やがて体調を崩すことで、その『願望』が叶う。

まあ「自分を守るためのストレス反応」なので至極当然なんだけども、、、

…で、そこでその次に言いたいのは、
だからといって
「だから気力と根性で乗り切るべき。そういうのは甘えだ」
という結論は前時代的すぎるというか間違いなのだということ。

『気力と根性で乗り切る』というのは、「出かかった『ヘルプサイン』を無理矢理再度押し込めて見なかったフリをしてさらに無理を強いる」という事なので、
「もうそろそろヤバい状態」を先送りしているだけに過ぎない。
100歩譲って、それが一時的なもので「あとほんの少し乗り切ったら確実に休める」のならまだいい。

現代日本社会での「無理して頑張る」は、大抵の場合終わり(ゴール)はありそうで無い。
自分で区切ったり終わりにしたりしない限り。
そうして本当の(程度の重い)病や障害が生じてさらなる「無理した代償」を自ら負うことになる。

正解は「気合と根性」じゃない。
「病や不具合という『ヘルプサイン』に頼らずに、自分の限界を知って無理しない/早めに助けを求める/休む/自己メンテナンス(息抜き等)を積極的にする」こと。
それは甘えじゃなく立派な自己マネジメントだ。

でもそれができる人は本当に少ない。
恥ずかしながら言ってる自分も上手く出来ていない。

そういう人は、「(お互いに)久しぶりー!元気ー?最近どうー?無理してないー?たまにはお茶しよー!愚痴ろ!何か出来ることあったら遠慮なく言ってね!!!!!!」
と言い合える仲間を少しでも作っておくこと。

その仲間にはどうすることも出来ない内容だったとしても、
「助けを求める」という練習になる。
まず人に話す、という習慣がつく。
それで整理出来て気持ちが落ち着くだけでもかなり違う。
それで冷静になれれば「本当に相談すべき先」を想像する余裕もできる。

その差はデカい。

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