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日記 2024.3.27(水) 家事で整う/労働基準監督署から電話/人との付き合い方/自分を解放する/腸からのお便り/しあわせへの第一歩

6時ごろ目が覚める。絵を描いてから眠るとすごく気持ちがいい。なんだか分からないけれどお腹の底からどっしりとした力を感じている。すごい。

今日は晴れ。みさこに連絡しておく。仕事のことで話を聞いて欲しかったみたいだ。メッセージでやり取りしながら話を聞いていく。みさこも昨日は気圧の変化で具合が悪かったのだそう。素直に話すと素直な返事が返ってくる。なんだかいいことしかない。なんにも無理がなく気持ちよく会話も流れていくようになる。

今日は動ける。昨日びしょ濡れになって干しておいた服も洗濯機に放り投げる。台所に立つ。台所はわたしのずれや迷いを整えてくれる場所でもある。ストレッチするみたいに台所で昨日の出来事やもやもやしていた気持ち少しずつ整えていく。何にも考えていなくても台所に立って今日は何を食べるか考えているだけでいい。
ながいながいごぼうがメッシュの食材入れからこちらをのぞいている。たくさんあるからきんぴらにしようかな。スライスして水にかしてあくをとっておく。天気がいいから干し野菜もどんどん作っていきたい。大根の皮を端っこに寄せ、椎茸を6個スライスしてざるに広げる。干しざるがぱんぱんになってしまった。お母さんのお味噌でほっとしたい。お味噌汁を作る。大根、厚揚げ、玉ねぎ、ごぼうも少し、小松菜、野菜たっぷりで作っていく。野菜を切る音、土鍋から立ち昇る蒸気と香り、素直に思いっきり感じていく。ずれたり迷ったり、ばらばらだった気持ちがお味噌汁に向かって集中する。料理は、家事は、本当にすごいな。わたしのために静かに、せっせと料理を作ったり、洗濯したり、掃除をしたりする。わたしのために働く体の中の臓器たちとおんなじ動きをしているみたいだ。

労働基準監督署から電話。残業代未払いの件のその後の状況を教えてもらう。
10ヶ月前わたしは突然働けなくなった。7年以上働いていた職場で出勤した後に一方的にこれからしばらく休むよう告げられた。職場の移転準備をしている時だった。あまりにも突然すぎて何が起きているのかしばらく理解できなかった。わたしはある程度自由に働かせてもらっていた職場に満足していたしまだ働きたい気持ちがあったので、働けるようになったら連絡すると言われてしばらく待つことにした。オーナーと従業員2人の小さな職場だった。休んでいる間の休業手当は出してほしいとお願いした。
しかし何ヶ月経ってもお金がないから働かせられないの一点張り。休業手当もお金がないから出せないと言われた。相手にも相手の事情はあるとは思いつつもこんな時にどうしたらいいのか途方に暮れて労働基準監督署へ相談に行った。働き始めた時に契約書をきちんと交わしていなかったことで休業手当の支払いを斡旋することはできないということになった。ただ、給料明細を見ていく中で残業代が支払われていないことが発覚した。その方向ならば追及していけるとのことだった。任意なので強制力はないと、何度も何度も確認するように言われながらもできることはやってみたいと手続きを進める。連絡も返ってこず、話し合う機会も与えてもらえなかった。吐きそうになりながら直接職場に書類を渡しに行った。書類を渡す自分の手はずっと震えていた。途中からわたしはなんでこんなことやっているのだろうと思うようになってきた。コミュニケーションを取ることが苦手だった自分を恨んだ。
期待も信頼も信用もしていないけれど、働かせてもらったこと、自由にやらせてもらったことだけは感謝している。今後同じようなことをわたし以外の人にしてほしくない、きちんと役目を果たしてもらいたいという姿勢を貫く。
早く解決させるために弁護士を立ててお金をかけてやった方がいいと周りの人や労働基準監督署の方も勧めてくれるけれど、いまのところそれが最善とはどうしてもわたしは思うことができていない。感謝の気持ちだけ持って最後まで関わる、残業代未払いの催促をし続ける。このしつこい方法が今のところわたしが1番納得できている方法なので試しているところだ。労働基準監督署の方の話では毎月2万円ずつ、約7年かけて支払っていくということになっているようだったけれど25日の支払い日を過ぎた今日もまだ支払いはないのだけれど。

わたしはこれまでずっとずっと周りに合わせて生きてきた。歩調を合わせたり、調和を大事にしすぎるあまり、自分を犠牲にすることが多かった。進学も仕事でも友だちでも家族との付き合いでも全部そうだった。人とコミュニケーションを取るのが苦手というのもありどんどん自分を出せなくなっていった。自分の好きなことが分からなくなっていった。自分だけの自由な時間には疲れがどっと出てしまい休みの日はただ寝たかった。寝ている時間が1番楽しくて大好きだと思っていた。

わたしにとって自分のために生きること、自分のためにずっと一人でいること、一人で考えること、無職を続けることのすべてが大きな変化だと言える。勇気と覚悟を持って無職を続けている。いつものように出勤した朝、短いメッセージだけで働けなくなったその日から、労働に対して疑問を持ち、自分を大事にしてあげなきゃいけない、ようやくそう思って無職を試している。
まずは自分を助ける。そうでないと仕事をすること、人にやさしくすること、ましてやしあわせになることなんでできないのかもしれないと思う。わたしはしあわせになりたい。わたしを助けないとわたしのしたいことが何にもできないのだと感じている。

自分がしたくないことはしない、というのは自分が納得できないことはしないということなのかなと思う。納得できないことをしないと自分がどんどん喜ぶのが分かる。自分が解放されていくのが分かる。好きなことを好きと素直に言えるようになる。
人との付き合いもそうだと思う。わたしは人に合わせてしまいやすいタイプなのだから、人にわがままが言えるタイプの人とはある程度の距離を保ってみる。時々納得したら会えばいい。そんなふうにやっていく。わがままが言える人は甘え上手なので嬉しくなって調子に乗ってどんどん人に奉仕しそうになるのをぐっとこらえてみる。誰とでも適度な距離を常に保つことを意識してみる。そんなふうにやってみたい。
素直なわたしをそれでもいいと言ってくれる人と付き合っていく。たくさんいなくていい。ひとりだけ、そういう人がいてくれたらもうわたしはそれだけで嬉しい、心強い。
人との付き合い方を見直して試していくこと、これがわたしの無職の最終課題という気がしている。

今日はどんどんと頭の中が思考で溢れてくる。昨日の雨の中で詰まってしまっていた場所も今日はまた水が流れ始めた。思考が始まりアイデアが溢れてくる。大体次の日には元気になれる。そう信じて雨の日を過ごす。そんなことの繰り返し。
晴れて嬉しくってお昼には完売してしまうというどら焼きを買いに出かけようかと思っていた。でもやめた。調子が良くても調子に乗らない。これも大事。台所のたっぷりの食材たちが出かけそうになるわたしを止めた。隣の一軒家には新しい人が引っ越してきたようだ。台所の窓からは鳥がずっとおしゃべりしているのが聞こえる。家の中から小さな変化を楽しむ。

いつも通りお昼から図書館へ。今日はソクラテスのことばが頭に残っていたので5冊くらい本を持ってきて読んでみる。難しいことは分からないけれど『家政』ということばが目に入ってきた。説明を読んでもあんまり意味が分からなかったのだけれど、なぜかその言葉に親しみを持った。わたしは高校生からずっと家政科だった。大学生の時に教職の免許を取るための授業を受けながら、家政学の必要性を考え続けた。受験にはまったくかすらないこの学問にわたしは惹かれるものがあった。もしかするとわたしに必要なことはここにすべてあるのではと思っていた。家事がしたい、と無職になって思うようになったことでいまもその気持ちは変わっていないことに気づく。受験には関係なくてもしあわせに生きていくために誰にでも必要な身近なもの、という気がしている。家族や家庭への配慮や前提がないことばや行動は、やっぱりどこか心の奥まで届いてこないような感じがある。わたしの心に響くのはうまくいっているいっていないに関わらず、やっぱり自分や家庭、家族を大事にしたいと動いている人だと思った。

この数ヶ月、お肉を食べていない。外でご飯を食べる時まで無理に避けたりしないけれど、お肉コーナーを歩かなくなった。最初は自分を小さく小さくして解放していくための作業のひとつだったのだが、思わぬ効果も生んでいることに最近気づいてきた。腸の調子が良くなってきているのだ。いろんなことを試しているのでお肉を摂らないことだけの効果ではないのかもしれないけれど、毎日の腸からのお便りが変化を教えてくれている。元々わたしはお魚は大好きだけれどそんなにお肉が欲しいと思うことがなかった。元住人は真逆で一緒に住むようになってからはお肉を常にストックするようになったので使っていたけれど、ひとりになってからはお肉コーナーにいく機会はめっきり減ってきていた。鶏むね肉とささみは好きなので時々買っていたけれど本当に時々だった。
お肉を食べないということについてはいろいろな意見があると思う。わたし自身もお肉を全然食べないなんて大丈夫なのかな、とちょっと心配にもなった。けれど数ヶ月経ったいま体が軽くておだやかで元気な自分がいることに気づく。イライラすることはほとんどなくなって予測不能な外的要因にも落ち着いて対応できるようになってきた。すべてがお肉を食べないことで改善されているとは思わないけれど、わたしには合っている、なんとなくそんな気がしている。そういえば、ばあちゃんの作ってくれる料理にお肉を使ったものってあったかなと思う。ばあちゃんはいつも畑で取れた野菜を蒸したり茹でたりして料理をしていた。

わたしは働く前にまず家庭の人でありたい。台所に立って料理をつくる、毎日元気で楽しくいられることをする、気持ちのよい服をまとう、帰ってくると嬉しくなる場所をつくる、みんなみんな家庭の中にある。まずは自分の家を清潔で快適で安心できる場所にしていく。しあわせへの第一歩は家の中にあると感じる。





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