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頭の整理

何かに悩んでいる時、手が止まってしまった時、行き先が分からず迷子になってしまった時。
一旦、「今あるものは何か」と状況を整理する。
そんな時の話を。

「頭の整理」と必要性

よく、「自分のことは自分でしなさい」「容量悪いなー(頭悪いな)」「少しは考えろよ」など、人は他人の頭の中身や造りに対して評価する。見えない部分であるが故に、見え方にも個差がある。「分からないなら聞きにきなさい」「こうしてみたらどうか?」「流れはこうだから、もう一回試してみて」など、評価ではなく行動を促す誘導に変える事もできる。
他者との交流を必然のものとする社会において、己の「発言」とはその人の見えない部分である「頭の中」を一方的に見透かされる機会と成り得る。自分の頭の中でどれほど多く考えていようと、それを他者が理解する事は出来ない。

他人の観る自分とは、自分の「発言した言葉で形作られた自分」であって、自分の認識する自分ではないかもしれない。そのため、他者からイメージや性格を聴いたところで、何か違うような違和感や異物感を覚えるだろう。

だから自分の頭の中を、自分で勝手に理解しておく必要がある。

「頭の中」とは

「頭の中ってどこ?」という問いに対して、「空間」と答える人も居れば、「ない!」と究極そうであろう答えを述べる人も居るだろう。では、今見える聞こえる現実以外の場所は何であるか。これを「頭の中」と表現する。

「明日何食べよう」「今日誰々にこんなこと言われたんだったよな」「指ってなんで指って言うんだろう」など、明日や数か月後に対する予想、今日過去に対する振り返り、今目の前に対する疑問など。おそらく声に出さずして話しているだろう。これを本来の自分とする。

終わり

言葉や仕草として他人に見える形となったものとは、頭の中から抜け出したほんの一部。そんな言動や行動を変えようと努力する前に、まず自分の頭の中と向き合うことが本来の自分を肯定し変えるための近道だと思います。

おまけ

現実ってつまらないよなという話。
面白いとする基準を作って、面白いとする思考や行動をし、面白いと感じておく。これを素直にできるのが陽キャと表現しているのだろうと。