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⓹驕らず、転ばず、風邪ひかず

  文芸春秋の新年特大号の特集「私が大切にしている10のこと」に習って、今の自分の10をあげ、順を追って説明しています。
 
①    全ての人と横の関係
②    監視人殿(妻)には決して逆らわない、
③    息子達に必要な援助はおしまないが、口はださない、
④    二人で暮らせる限り人形町に住む
⑤    驕らず、転ばず、風邪ひかず
⑥    自分の病気のことはネットで徹底的に調べる
⑦    毎日リハビリ運動とリハビリ散歩をかかさない、
⑧    いつも上機嫌なふりをする、
⑨    日記を書く
⑩    本を読み、1行コメントを書く

⑤  驕らず、転ばず、風邪ひかずを説明します。

 新潟時代に年に一度、会社のOB会があり、先輩が70人程度が出席して、いつも盛会だった。ある年、会長(80代半ば)が挨拶のなかで、我々老人は、「驕らず、転ばず、風邪ひかず」が3原則だと言った。時を経るに従い、特に近年は身に迫る言葉だ。
 
 53歳で新潟の会社に、61歳で東京の会社に、赴任した時、当初は両社とも業績が低迷し、先が見えない状況だったが、会社の構造を変えようとの私の方針を社員がよく理解して期待以上の力を発揮してくれた。時の運にも恵まれて、業績は急回復、両社とも業界で屈指の優良企業に変身した。自己採点は100点だ。と自慢話を書いているのは・・・・つまり、今思えば、まさに奢っていたからなのだ。
 
 67歳で姫路の会社に誘われて赴任したが、苦労の連続だった。自分の経験のない分野の知識と経験を補うべく、ネットで調べ、勉強し、法令を読み、会社の方向性を考え、色々我慢して・・・・何とかなったとは思う。しかし、新潟・東京のような劇的な改善というわけにはいかず、なかなか思い通りには進まなかった。自己採点は70点くらいだろうか。「驕ってはだめだ」と実感した7年間だった。
 
 72歳ころから歩く時に不安定なのと喋るときに舌がもつれのを感じ始めた。新潟の病院で検査してもらったが、異常はなく、普通の老化だろうとのこと。違和感はあるものの特に不便は感じず、普通に過ごしていたが、3回転倒した。最初は右目の上を数鍼縫い、2度目は左肋骨を3カ所折り、3回目は左目の上を数鍼縫った。いずれも一言で言えば、ふらつきを軽く見ていた油断が原因、幸いいずれも治療して事なきを得たが、この後は分からない。
 
 リタイアして東京に戻ったので、都立神経病院に検査入院した結果、脊髄小脳変性症と診断された。ゆっくりとではあるが、確実にふらつきが進行する、基本的な治療方法はないが、リハビリの効果が期待できるとのこと。次に転倒すれば、大腿骨骨折かもしれないし、寝たきりになるかもしれない。兎も角用心するしかない。毎日のリハビリ散歩も慌てず騒がず、ゆっくり動くのが鉄則だ。
 
2年程前からは、何かで体調を崩すと、一時的に歩けなくなるので、風邪もひくわけにいかない。スリムだから少々着込んでもそれなりの恰好は保てるから心置きなく厚着する。コロナワクチンは常に最初に接種したし、外出時、建物内では必ずマスクをしている。全てにおいて身も心も用心するしかない、先は長い(と思っている)のである。

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