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桜は死の香り

 以前にも同じ記事をアップしていて恐縮ですが・・・・
 
 2007年、川崎の病院に入院していた父は、桜の季節に93歳で亡くなった。3月初めに、医師からいつ亡くなってもおかしくありませんと告げられ、土日毎に新潟から新幹線に乗って病院に通い、いい加減に決着をつけて欲しい、とあらぬことを思わぬでもなかった。
 
 4月初めの土曜日、いつもの如く病院に行く。聴こえるはずの右耳に口を近づけ、おとうさん、息子がきたよ、新潟から新幹線にのって、来たぞ、というのだが、はっきりした反応がない。うっすらと目を開け、頷くようにも見えるのだが、大きく息をしているだけのようにも見える。何度もお父さん、お父さんと言うと、少しはなれたところから、はい、と返事が聞こえた。むこうのベッドに寝ているお爺さんからの代返らしい。

 妻が、 病院の庭に、桜が見事に咲いているから、見せてあげようと、5、6輪の花がついた小枝を二本、持ってきた。(折るときはかなりな勇気が必要だったとか、) 枝を目の前にかざし、外は桜が満開だ。お父さんの家の前の桜も、今、満開だ、などと、見てきたかのように言うが、反応は今一。

 翌日曜も病院に行き、手を握って話しかけるが、握り返すことはない。時折、目を開けて何かを、探すようなしぐさをするので、顔をなでて、声を掛けてみるが、やはり、目だった反応はない。少々疲れて、新潟に戻った。妻にはその時に備えて、横浜の我家に残ってもらった。

 二日後、火曜日の昼頃、姉から、今度こそ息を引き取りそうだ、との連絡があり、では、間違いなかろうと、新潟から川崎の病院に向った。途中、新幹線車中で、 病院に着いたら霊安室に来るように、との姉からのメールを受ける。

 夕方5時過ぎに病院に着き、霊安室のドアを開けると、姉と義兄がいた。部屋は、手前が障子窓のある落ち着いた8畳ほどの和室で、奥に略同じ広さのタイル敷きが続いている。そこに、ストレッチャーがおいてあり、上に白い布に覆われた父がいた。
 
 やがて、車が向えに来たとの連絡があり、奥のドアを開けてストレッチャーを裏庭に押し出すと、満開の桜が眩しい。この花を楽しみに、今日まで持ちこたえたのだろうか。時折花びらが舞い、父に注いで別れを告げる。退院ならぬ退出だなと思いつつ、車に乗せて、父の家に向かった。

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