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だから写真で生きていく


美しい装丁の本が私の元に届いた。


肌触りを確かめながら 

ページを開き 鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。

鼻の奥から胸いっぱいに広がった空気は

印刷したての真新しいインクの匂いがする。

私の読む本は

古本屋の棚にぎっしりと並べられている ぺらりとした紙質の文庫本が多く

その店に並ぶ前にもかつて すでにどこかで長い時間を浪費してきたために

印刷したての匂いを 嗅ぐことは ほとんどない。

だから こうして 真新しいインクの匂いを嗅いだのは

本当に久しぶりで

そっと首のあたりに小さな鳥肌が立つ。

嬉しい という気持ちなのか

興奮した という感情の方が 近いのかもしれない。

匂いを楽しんだあとは

肌触りを確かめる

指先で すーっと撫でるように。

この本は 前半と後半と 紙質が違う。

もうひとつ言うと 匂いまでも違う。

私は写真のことをほとんど何も知らない

でも 中西さんの写真を見るのが 好きだ。

旅に出た時に誰もが一様に 目にすることのできる景色を見て

「私は旅をしてきました。」ということにはならない。

そんな時に自分で撮ってきた写真を見ても やはり

「ここに行きました」という 記録の写真でしかない。

その時に感じた 心地よい風だったり

ねっとりとまとわりつく重い空気だったり

ひたひたと押し寄せる夜の気配の密度に

思わず振り返る瞬間の あの肌寒さだったり

髪の毛一本一本が逆立つような

身の毛が総立ちするような

そういった 瞬間の 気配を

求めているから 私たちは 実際にその場所に行くために 旅に出る。

そして そういった気配を 中西さんの写真は 伝えてくれる。

日の出前の薄暗い夜道をひとり

もう勝手知ったといってもいいほどの 森の小道を歩く時でさえ

暗闇の重さに支配された 壮大な自然の中に足を踏み入れるのは

毎回 同じように 怖いと思う。

日が昇っても

自分の前にも後ろにも 見渡す限り

人の気配のない世界にひとりたたずむのは 

やっぱり 怖いに違いないと思う。

きっと 独りぼっちであるからこそ しか

中西さんの 写真は撮れないんだろうなと 思う。

怖さは つまり 畏敬

壮大な自然の美しさに気圧されながらも

それだけではない 

自然の 狂気 冷酷さや残酷さ グロテスクさ

そういったものを 写真に撮り込んで

私たちに 伝えてくれる。

中西さんの写真は

「受け取る人によって解釈がいろいろであっていい」と

本に書かれている。

そして今回 中西さん自身の綴る

「曖昧であってはならない 的確な意図をもって伝える言葉」

の ふたつの

表現方法によって この本は成り立っていると思う。

曖昧なままで発現され 受け取る側に委ねられる 写真という表現。

的確にストレートに 受け取る側によって意味が異なっては困る、言葉 という表現。

肌触り、匂いまでもが違う紙質の

この相反する ふたつの 表現方法によって

この本は成り立っている。

それによって

読者は

より一層 「中西 敏貴」さんの 内面深くまで

のぞき込むことができる気がするのだ。

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