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一人旅にもどる決意(5)

シドニー市街地から バスでだいたい30分くらいの
海沿いの街 ボンダイ・ビーチというところに
シリルの友達が住んでいるというので
居候させてもらうことにする。
数日だけシドニーの空気を味わって 
そのあとは一人で旅を続けようと考えていた。

シドニーみたいな大都市は どの宿も高く
都市に滞在すればするほど お金が減っていくので
居候させていただけるのは とてもありがたかった。

友達の家に行く道中
シリルが教えてくれる。

「俺の友達はモデルをしてるんだぜ!超イケメンだぜ!」

その前置きを聞いておきながらの 友達宅訪問だったので
どんなイケメンが出てくるんだろう?と 興味津々で 訪れた彼の家。

ドアを開けてくれた人を見上げて
「ああ この人がモデルさんなのね・・・なるほどね~」と思っていたら
その彼は モデル君のお兄さんで 同居人

実際のモデル君の彼はというと・・・
あぁ この人なのね・・・ふ~ん。」
と思うくらいのもので
やっぱり 日本人からするイケメンと オージーのイケメンの基準は
どことなくずれているのかなぁ なんて思ってみたり。

モデル君が広告を務めたサングラスメーカーのチラシ

モデル君の家に着くなり 彼が
「そうそう! アデレード警察から連絡あったよ!
盗まれた お前らの荷物が 見つかったって! それでシドニー警察転送してくれてるみたい。
ここに到着するまでに あと一週間程かかるらしいから ここで待ってて。」
と。

え??え??まさかのまさかの???

私たちがアデレード警察で盗難届を書いていた時に 警察は
「まぁ 盗まれてしまったものが出てきた案件は ほとんどないけれど。
万が一ってこともあるから、ここに 連絡先と住所 書いといて。」

と言われ シリルは 
モデル君の住所と電話番号を記入していたのだ。

私がハタチだったあの時代
携帯電話を持ち歩いて旅をしてる人など 誰もいなく
連絡を取る手段は 唯一 街のネットカフェに行って
自分のメールアカウントをチェックする だけ だった。

(ネットカフェがある街にたどり着かない場合は
何か月も チェックすることなく過ごすことになる)

それしか 方法のない時代。

今どこで誰がどんなことをしているか っていう
現代のようにすぐにわかる スマホなんてない時代だから
私たちは 時間という感覚は
縮めることができないのを知っていたし
無理にそれを 縮めようとも していかなった。

連絡が取れる時に 取る。

取れなければ 仕方ない。

という 時代。

私たちは モデル君の家に着いて 初めてその事実を知ることになり
再び サプライズプレゼントをもらったくらいの気持ちで驚いた。

一度手元から離れて流れ去って行ってしまった 大切なものが
再びこの手元に戻ってくるなんてことが・・・あるのだろか。

私たちは必然 そこに一週間以上は 滞在するという 
物語が書き足された。

一週間以上も モデル君の家に居候になるなんて!!!
なんだか申し訳ない・・・。
(実際は2.3日ほど居候させてもらって 旅立つ心づもりだったから)

よし、私は ご飯担当します!

と 居候のお礼として みんなの分のご飯担当を買って出る。

というか まさにそれは 私自身が 喉から手が出るほど望んでいたことで!!!

飢えていたのだから! お米に! 和食に!

そう!毎晩のチョコレート生活からの脱却

オージーって 一概には言えないし ひとまとめにしてしまっては大変悪いけれど
だいたいにおいて「食べれればなんでもいいよ!」という
舌におおらかな人が多い印象。

私が毎日毎食つくる 和食に誰も 文句を言う人はいなくて
美味しい!と言ってくれるのだから

自分がひどく望んでいた 自炊して和食が食べたい!気持ちと
彼らのおおらかな舌が マッチして 
最高に贅沢な食生活をさせてもらった。

私の顔がテカテカなのは、暑い中必死でみんなの分の料理をしていたから・・・
そこはスルーしておいて欲しい(笑)
紙の箱の中には食塩。を振ってるシリル。

そこに居候させてもらっている一週間、
私は 
そのモデル君が いつも見る度に 違う女の人と 朝
部屋から出てくるのに 気づいていたし
その女の人も みんな綺麗な人
さすが 一流のモデルはんは そういう生活をしてらっしゃるのか・・・
みたいな セレブ生活を目の当たりにしていた。

私たちは その美しい女性たちとモデル君と一緒に 
頻繁に 夜の街に繰り出していた。
夜な夜な 街では 音楽が鳴っていて
海岸沿いの美しいの広場
生演奏のサルサパーティーが 開催されていたりした。
私たちは そのセレブな友達と一緒に サルサを踊り
サルサをうまく踊っていれば 彼らセレブの仲間入りできたような
そんな幻想も手伝って 夜の街の生活を楽しんでいた。
ずっと続くわけではない 数日限りの
特別な人たちの生活を のぞき見させてもらった 
そんな感覚だった。

昼はといえば シリルは サーフィンしているので
私は一人で 観光客という立場で シドニーの観光地を回っていた。
博物館に行って アボリジニの歴史を学んだり
化石を見たり チャイニーズガーデンに行ったり。

チャイニーズガーデン
イギリスの刑務所がいっぱいになってしまったので、囚人を流刑する先として
オーストラリアが選ばれた。たくさんの囚人がオーストラリアに送られてくるとともに
先住民族アボリジニは彼らの生活を奪われることになる。

シドニー警察に 荷物が届いた時に こっちに連絡がくるのかな?と
一週間ずっと待っていたけれど 10日を過ぎても連絡がこない・・・

というので直接 警察に行ってみると
「あぁ 届いてますよ」と さらっと 言う。
え?あ、そうなんですか・・・。 

警察が奥から持ってきてくれたのは 確かに 見おぼえのある
私の持ち物だった。

内容を確認させてもらうのに 動悸が早くなる。
何が私の所に 戻ってきてくれたんだろう?
大したものじゃなかったら・・どうしよう。

そこにあったのは。まさかの。まさかの。
一番自分が大切に思っていたものの数々だった。
それさえ戻ってきたなら 盗難に遭ったことなど なかったことにできる
というくらいものたち。

エアチケット。
私は往復チケット、一年オープンのものを購入してオーストラリアに来ていた。これがなくては 帰国時にもう一度片道チケットを買い足さないとならなかったのだ。
(国際線は名前が印刷されていて、搭乗の際にはパスポートが必要なので、有効なチケットであっても、売買の対象にはならない、とうことだった)

国際免許証・数々の撮りためた写真・そしてネガ(全部)!
書いてきた日記、 旅人たちと交換した住所録

一体犯人たちは なにを目的で 盗みをしたんだろう?
と思いたくなるくらいの。

これらすべてが 盗難のあった近くのごみ箱から 出てきたということだった。

自分の目が しばらく信じられなく
驚きと幸福感に包まれていた。

そう、そしてひとつ
水面下でひたひたと堅く固まっていた
とても重要な事項が 決行されることも意味していた。

私はこれで 一人旅に戻ることができる!
誰にも 遠慮することなく
快適なバスに乗って 目的地まで 寝て
ベットで眠って
好きな時に自炊をして 和食を食べることができる!!!!

シドニーの ハーバーブリッジ(オペラハウスの横にある)
での二人の写真。

お別れの日に。

私の決意を伝えた後の
シリルは ふてくされて むちゃくちゃ不機嫌

そのあと長距離バスのターミナルまで送ってくれたシリルは
別れ際に いっぱいチョコレートの詰まった袋を 私に手渡してくれた。

いっぱいいっぱいのチョコレートだった。
シリルはスイス人で チョコレートさえあれば生きていける。
チョコレートがなければ 生きて行けない。
no life no chocolate!!!

そんな人だったから
私にも
これさえあれば大丈夫だよ」って言いたかったんだと思う。

あれほど毎晩チョコレートを食べて
もう見るのも食べるのも嫌だと思っていたチョコレートなのに
一人長距離バスの椅子に座って
車窓から眺める景色の中
他より安いガソリンスタンドを目で追っていたり
あの場所だったら今夜は寝られそうかも・・・なんて
勝手に思考していたり。

そういう自分がいることに気づいて
改めて 一人だと。

不思議な解放感と 惜別の念

手の中にあるたくさんのチョコレートのぬくもり
もうあんなハプニングだらけの旅をしなくてもいいという
安心感と。

一人 シートに座りながら
二人で過ごした時間を ずっと思いめぐらせていた。

バスの旅は快適で 不満もなく
座って寝たら 次の街についているという
なんというか 「普通」の旅だった。

バスの旅に戻った私は
何か月も日本語を 話すことなく 生活していたことに ふと気が付く。
そうだ。私
夢も英語で見るようになってる。

いつの間にか 英語だけで旅をする生活に なれている自分に気づいた。

オーストラリアに来たばかりの時は
あれだけ ちんぷんかんぷんだったのに!

シリルと別れた瞬間
私はもう世界中の誰とでも 友達になることができるんだ!
という 明るい希望が 胸をじんわりと占めた。

(つづく)
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