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理想の教育~現役高校生の対話~①:『校則についてどう思う?』

はじめに
世界遺産の島のとあるキャンプで出会った私たち高校生3人組。将来に向けてどんな社会貢献 ができるか、連日連夜、議論しました。中でも特に重要だと考えたのが「教育改革」です。高校生が考える理想の教育について、私たちはキャンプを解散した後も、オンラインで議論を続けました。より多くの人と一緒にこの問題を考えたく、その“議事録”を4回に分けて公開します。第1回は「校則についてどう思う?」です。

・登場人物
りん:

りん

りんたろう(16歳)音楽のプロを目指す高1。この企画の発案者。公立高校に進学することに疑問を抱き今はN高に通っている。
安宅和人著「シン・ニホン」に感銘を受け、現役高校生の立場から
なにか発信できないかと思い立つ。

井上:

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井上(16歳)高2。
県内の進学校に進学するも、教育方針に疑問、学習レベルに物足りなさを覚え、高校を中退。今は自分で、大学受験の勉強をしている。中でも数学分野を重点的に学習中。好きな食べ物はすき焼き。

けい:

けいちん

けいちん(16歳)高2。0歳から14歳まで14年間アメリカで育つ。今頑張っていることはディベートやスピーチ。好きな食べ物はトマト。
現在はディベート部に所属している。

第1回: 『校則についてどう思う?』

りん: 僕がこの企画の発案者なんですけど、最近読んだ安宅和人さんの「シン・ニホン」という本に感銘を受け、今の教育に対して、現役高校生の立場からなにか発信できることはないかと思い集まりました。僕たちが話し合うことは高校生が考える理想の教育です。ではけいちん、きょうのテーマについてお願いします。

けい: はい。第一に私たちが話し合いたいことは教育の自由化についてです。まずみんなは、校則についてどう思いますか?

りん: 僕は、割と自由な高校に行ってるけど、中学校は校則が厳しくて、あまり厳しい校則に対して違和感は感じていたし僕は個人的にはいやでしたね。

けい: 私はずっとアメリカに住んでいて、日本に来たのが、中三の二学期からだから、3か月ぐらいしか日本の中学に通ったことはないけど、そのときにすごいカルチャーショックみたいなのは受けて。縛られてる感が強くて慣れるのに時間がかかった記憶があります。

井上: なんか、目的のための校則みたいな感じだよね。

りん: 高校はどうですか?

けい: 高校は印象としては、中学よりはゆるいかなと思うけど、
それでもなんか意味わからん校則はあると思う。

りん: そうだね、僕の通ってるN高はかなり自由だから、なんか中学のあの頃の窮屈な感じを忘れてきてしまうね。でも、自由になってみて分かったけど、それなりに回ってるし、別に服装が自由になったからと言ってぐれるやつが大勢いるわけでもないし、結局あれは意味無かったんだなっていうのがなおさら分かるよね。

けい: 多分、時代が変わって要らなくなったルールっていうのがあるよね。モラルが確立されたじゃないけど、多分自分たちも自発的に考えるようになって、そのルールがいまの子供たちに合ってないんじゃないかなーと思う。

りん: 富国強兵の名残みたいな所もあるんじゃないかと思うけどね。
国力アップのために皆がそれなりのレベルで同じことを均一にできたほうがいいっていう時代から、人との違いが価値を生み出す時代に変わってきていて、時代の変化がすごい速いのに教育は変わってない。根本のどういう理想を掲げて、どういう人を生み出したいのかというのが全く変わってないというのが問題なんじゃないかな。

井上: でも、その理論でいえば逆。時代に寄せて変えていく教育じゃなくて、一貫して普遍性のある事をやるべきとも思う

りん: それに関しては半分同感。確かに、普遍的なことはやるべきだと思う。数学的な部分とか、人間関係の基礎的なところとか、ちゃんと学校でやるべきだと思う。けど、普遍的じゃないものも含まれてるから、そうじゃない時代に合っていないものを時代に合ったものに変えていかないとなかなか立ち行かない。

けい: 今までの歴史と比べて、今の時代は物凄いスピードで変わっていて、その中でずっと同じ教育をすることは子供達にとって良くないことじゃないかな。例えば、私たちの世代だったら、携帯とかコンピューターとか日常的に使ってるけど、学校では使わせないってなると、かえって、子供たちが学校から解放されたときに困ると思うから、ある程度は時代に合わせた教育をしたほうがいいと思う。

りん: 昔は校則も厳しかったし、先生も厳しかったかも知れないけど、子供の数が圧倒的に多かったから大人の目が行き届かないところがあったと思う。それが、子供が減ってる今と違う部分じゃないかと思う。

井上: それはあるかも。

りん: あまりにも自由が損なわれると人は思考力を奪われるから、新しいものとか新しい動きが生まれ難くなる。これは特に今の時代においてはあまり理想的でない環境だと思うんだけどどうかな。

けい: ルールが定められているが故に考えなくなっているっていうのが、多く起きている現象かなと思ってる。例えばシンプルに制服を着なきゃいけないっていうルールが出来た時。TPO だったり、その場に合った服装、言動とか自分たちで考えなくなった時に思考力が低下するんではないかと思う。

井上: ただ、全部を個人の思考に任せたときに、一つの基準がないと、ずれ幅が大きくなりすぎて、TPOの話も、もとから葬式なら制服とか、そういうものがある中で、逆に個人にすべてをゆだねるのはしんどい

りん: でもそれは行事の時に、例えば結婚式ならこういう格好とか、葬式もそう。それは文化的風習な部分が強いけど、毎日行く学校に何故そんな規則が多いのかっていうのに対する説明にはならないと思うんだけど。 

井上: だから規則を完全に無くせば良いというのは、やりすぎだと思う。一部全国の進学校で校則全くありません。みたいなところもあるけど、それじゃ、全く立ち行かないっていうのはあり得る。ていうのは、一つの思考の基準がないからわーってなる。

りん: わーってなって良いんじゃない?自分みたいな高校にいると、わーてなってて、まあ確かに基準がなくてつらいなってなる人もいるかもしれないけど、その分自由にできる人はできる。あとどの程度にルールを無くすかっていうのもあって。例えば髪なんて染めてもいいじゃん。都立高校なんてほとんどオッケーだし。 だけど、卒業式だったら、制服きてくださいね、とか制服じゃなくても正装してきてくださいとか、そういうのはありだと思う。すべてをすべて縛る必要があるのかというのは思う。ルールは極力少ないほうがいいと思う

井上: そこやね多分。

けい: 多分最初に拘束されてる状態から解放されたときに、一回みんなわーってなるけど、なり切った後に落ち着くと思う。それを一回経験させて落ち着くからと思うから、それを一回したほうがいいと思う。
 
井上: けど、今生まれた子が全く校則のない学校に入って、育つとどうなるかは別問題じゃない? その子も入って三か月はわーてなって、ていうのは考えにくいから、スタンダードがそれやとやっぱりわーてなってなるのも考えうる。

りん: わーってなるって抽象的過ぎて。。。

けい: 荒れる(笑)

りん: でも、あまりにも厳しい校則は自由権の侵害だという捉え方も出来るし、意味のない校則はやっぱり無いほうがいいと思う。ルールの基本理念って、個人の自由を最大限かつ平等に担保するためのものだと思うんだよね。その考え方にもとづくと、今の校則のかなりの部分が不必要なんじゃないかって事になる。

井上: 現実として完全に不必要なものもあるよね。 

井上: 靴下とか。 
りん: 靴下もそうだけど。例えば塾ってそんなにいっぱい規則ないじゃん。だけどそんなに荒れるかと言ったら荒れないじゃん。

井上: それはタブーかもしれんけど家庭環境とかもあると思う。

けい: 塾行ってる子っていうだけで。。。

井上: ある程度の塾代の払える子だから、教育にまわせるってことで、めっちゃ話ずれるけどそこにもっと国が投資してくれたらいいのにと思う。家庭環境が厳しい子に何かしらのその、教育用の支援金とか。

りん: そうだね。確かに。

第2回:「教職員と生徒の関係性」に続く。