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女子校での初恋

 タイトルで用いたが、初恋という言葉はあまりにも符号化され過ぎていると感じる。私がなぜそれを初恋と呼ぶかというと、後になって思ったから、あれは人生で初めての疑う余地のない完璧な恋だったと。その時はそれが恋だなんて思ってなかったし、それやそれに伴う全ての感情が初恋なんて薄っぺらな一言で表せるのか正直疑問である。でもそれは俯瞰して見ればただの初恋なのだ。

 私の初恋は高校2年生の時だった。隣の席の彼女は目立たないけれど話してみると独特な鋭さがあって面白く、彼女と過ごす時間が楽しくて気がついたら彼女ばかり見ていた。毎日が輝いていて、彼女と今日も会えるというだけで心が躍った。それまでの私は無気力で人に興味がなく、毎日同じ日々が続く学校生活に嫌気がさしていて。そんな退屈な世界が一転して刺激的で楽しくなるのだから、恋に伴う脳の変化はすごいと思う。とにかく、それを感じたのは彼女だけだったし、ここまで人に対して特別感を抱いたのも、何かにのめり込み執着したのも初めてだった。

 今思い返すとあれは両思いだった。彼女のあの視線や言葉や接触は私にだけだったし、周囲の人にもそれを指摘された。ただあの頃の私は初めての感覚に溺れ、戸惑うことしかできなかった。女子校という環境で恋愛は身近ではなかったし、私自身興味もなく、女の子を好きになるとは想像もしていなかった。加えて、元々自身の感情に疎い質なので、自分が彼女に恋をしていると気づくのにかなりの時間を要した。そんな人間に相手の気持ちがわかるわけもなく、彼女の好意や態度の意味に気がついたのはさらに後になる。私はどうしようもなく鈍くて、臆病で未熟でかつ卑怯だった。気がついた後は傷つくことを恐れ、自分のプライドばかり気にしていた。拒絶されることを恐れて、自分の気持ちを隠したまま彼女の気持ちだけを受け取ろうとした。

 結果、彼女は離れていった。卒業後彼女と会うことなくかなりの時間が経過している。それでもというより、だからこそ引きずっている。これはもう恋というより執着だ。彼女のことを忘れられない、なんていうと綺麗だけど、結論として残るのは自分の気持ちを伝える努力をしなかったことへの後悔とそれに取り憑かれているという事実だけだ。綺麗事なんかにしたくない。LINEの文面を考えては消してを繰り返し、今まで興味もなかったラブソングの歌詞を見て、写真を見返そうなんてアルバムを開いて苦しくなってすぐ閉じて、全部馬鹿みたいだ。ただの自己満でしかない。何も得られないし、あの頃に戻れるわけでも、今の状態が変わるわけでもない。だから次こそはと思う。次こそは素直な感情を伝え、相手を思いやり、恋を叶えるための行動や努力をすると。なかなか次は来ないけれど。

 好きならばそう言えば良かった。付き合うために行動すれば良かった。彼女にもっと好きになってもらえるように接すれば良かった。実際するには難しかったとしても、こんな単純なことがわからなかった。隠すことに必死で、努力すらしなかった。私は自分の始めたゲームに負けたのだ。自分を守り、何も失うことなく相手から最大限を得ようとした。その結果全てを失ったわけで。自分ができないことを相手にしてもらおうなんて、なんとも傲慢で期待しすぎだ。独りよがりな恋愛をしたことを恥じている。でも恋したことに後悔はない、むしろあの喜びを知らなかったら私の人生はもっとずっと退屈だ。苦しくても、その喜びとそこから得た学びはそれを超える。彼女ともう会うことはない、出来ることはしたし、それでも彼女とは遠く離れてしまったから。私は成長して次に進む。


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