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無職だった自分を思い出して

かなり久しぶりに、noteを書いている。
ふと思いたったので筆を取った。

私は、かつて1年間ほど無職だったことがある。
その時期の経験で印象深かったことを記載しておく。
現在、無職の人の何かしらの糧になれば良いと思う。

私は、2020年の1月に会社を退職し、東京に上京して来た。
当時は、ITエンジニアになりたいという思いが強かった。プログラミングの勉強に専念したいという思いから、就職先を決めずに、無職で上京した。
私が26歳から27歳になる年だった。

辞める前

退職前は、全世界で24万人の従業員がいるそれなりの規模のメーカーに勤めていた。福利厚生も、他社と比べてよかったと思う。(家賃4500円(光熱費込)社食3食で525円など)
退職の1年ほど前から、エンジニアに興味を持つようになり、それなりに勉強をしていた。地元のITエンジニアの勉強会や交流会などにも参加していた。地方だとそういう集まりが少ないので、東京の勉強会にも参加するようになっていた。退職前の11月は、4週連続で東京に行っていた記憶がある。

上京後〜3ヶ月

上京したての頃は、エンジニア向けのシェアハウスに住んだ。麻布十番という一等地にある一軒家に、13人で住んいた。私の個人スペースは、2段ベッドの上のみ。上京してすぐに、コロナ禍になってしまったが、毎日濃厚接触をしていた。奇跡的に、この時期は誰もコロナに感染しなかった。
上京した際、私が決めていたのは、「過去の友人らに連絡をしないこと」
これは、「友達は現地調達」という私のモットーに則った心構えである。
シェアハウスに住んだおかげで、深い付き合いの人は増えたと思う。
ここでの出会いで、その後、別のシェアハウスで一緒に住んだり、一緒に仕事をしたりなど進展があった。
また、コロナになる数ヶ月前は、毎日のように、オフラインのもくもく会やLT会などに参加していた。勉強も無料のコワーキングスペースで行い、オフィスなしスタートアップの連中が、ビジネストークをしているのを小耳に挟んでいたりもした。

4ヶ月〜6ヶ月

あまり記憶がない。シェアハウスで、誕生日を祝って貰った気がする。そんな感じ。本来なら、3ヶ月で終わる失業給付が、追加で3ヶ月貰えた。
プログラミングスクールが半年プランだったため、ギリギリまで就活を意識していなかった。プランが終了しそうなタイミングで、カジュアル面談の申し込みをし始めた。

7ヶ月〜9ヶ月

あまり家で勉強できないタチだったので、六本木にあるアカデミーヒルズの会員になり、毎日そこで勉強していた。月額9000円(当時)
朝7時から営業していたが、一回もその時間に行くことはなかった。ただ夜は23時まで開いていたので、ギリギリまでいた覚えがある。
そして、上京9ヶ月が経とうとするタイミングで、麻布十番のシェアハウスを退去した。
転職活動に関しては、エンジニアは「転職エージェントを使わない方が良い」という言葉を真に受け、ひたすら自分でwantedlyなどから、申し込んでいた。
この頃から、焦りが芽生え始める。
就活をサポートしてくれるコーチングサービスがあったので、焦りのあまり利用してしまった。チャットサポートと、4回のコーチングサポートがあるというもの。全く効果はなかった。1ヶ月10万円。私のコロナ給付金は、こんな形で消えた。

10ヶ月〜12ヶ月

個室のあるシェアハウスに住んでいた。麻布十番時代に比べて、日常の会話量は減った。しばらくして、麻布十番時代の同居人が何人か引っ越してきた。
依然として無職であった。この頃から、転職エージェントを使い始めた。
選考中の1社で、「学生時代の成績書が欲しい」と言ってくる会社があった。数年ぶりに大学に連絡して取り寄せる。その間に、面接を実施。成績書が届いた時は、御祈りメールが来た後だった。

また別会社では、見た目がかなり老けたおっさん人事から
「27歳なんてそんな若くないのに、よく業界変えるなんて、思い切ったことするね」と言われた。
世間一般で、「27歳」で異業界へ転職するのは、そう珍しくない。30代で転職する人もいる。このクソッタレ人事の視野の狭さに落胆した。

また別の会社の話、
10名以下で20代前半の人しかいないスタートアップのカジュアル面談を実施。最初は人事担当者と、カジュアルな感じで話していたら、若造CEOが入ってくる。
「何でウチの会社受けに来たんですか?」と若造CEOに言われ、それなりの返答をする。
「そんな中途半端な気持ちで受けに来ないで貰えますか?ウチら命かけてやっているんで」と若造CEOに言われる。全く"カジュアル"ではない面談だった。お前はシャンクスか。
数日後、別で登録していた副業サイトに、この会社からスカウトが来ていた。そのサイトでは、職種を"カスタマーサクセス"で登録していた。なお、全く経験したことはない。
この会社のスカウト送る気持ちが、あまりにも軽すぎて吹いた。
「スカウト送るからには、命かけろよ」

また別の会社の話
某コーヒーチェーン、何とかバックスをもじったような社名の会社を受けた。この会社は、「人材再生」的なコンセプトを謳っており、血気盛んな会社だった。面接の仕方も、一風変わっていた。
求職者1名につき担当人事がつき、その人事がメンターになり、面接までの間サポートしてくれるスタンスだった。自分の担当は、新卒2年目の"イケメンとっちゃん坊やくん"。
無職歴10ヶ月経過した私を散々ボコしてくれた。23年ぽっちしか生きてない若造が色々と人生を語っていた。結局、この会社は受けなった。
それから1年以上経ったある日、この"とっちゃん坊やくん"から
「転職活動の状況どうですか?よければ、話しませんか?」とLINEがくる。どうやら、面接を辞退してから1年以上無職を継続していると思われているようだった。

脱無職

無職歴が1年経過しようとする直前、テレアポからキャリアが始まるSESか職業訓練校への入学を検討している最中。
エージェントから、1社紹介を受ける。製造業 × ITの会社。
2つ返事で、会社を受けに行った。
面接を受けた日の夜に、内定通知を貰う。前職が製造業だったこと経験を買われたらしい。当時未経験からエンジニアになる場合、年収はかなり低いところからのスタートだったが、学歴に応じた報酬が支払われることになり、院卒だった私は「メーカー時代の年収 − 賞与」くらいの年収で転職することが出来た。これは、ある意味ラッキーだったと思う。

この会社(前職)については、どこかのタイミングで詳細を書こうと思う。
大企業のメーカーでは経験出来ないことを、良くも悪くも色々と経験させてくれた会社である。
入社経路も、1つエージェントからしか採用を受け付けていないようだった。

最後に

無職に対する印象は、人によって違うが、多くの場合マイナスイメージを持たれる。そして、面接の時に貯金の心配をされることも多かった。
毎月減って行く貯金残高と共に、気持ちも沈む。

20代で、無職を経験したので、今後の人生で経験することは老後までないと思う。

転職が決まるまで、時間がかかってしまったが、途中妥協しなくて良かったと思う。

現在、無職の人、今この瞬間は不満や不安などがあり、気持ちが晴れ晴れしないかもしれない。それも、将来の自分の在り方で、いかようにも変えられる。行動していれば、どこかのタイミングでチャンスが巡ってくるはず。
そう思う。


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