【考察】もしも村上春樹が桃太郎を書いたら 

  このnoteでは、私がどんな理屈で村上春樹風桃太郎を書いたのかを書きました。大学に提出した卒業論文を簡単にかみ砕いたものです。


はじめに

 「村上春樹風○○」、「もしも村上春樹が○○を書いたら」という煽り文句で書かれた作品ってたくさんあるんですけど、ほとんどが「いや、小難しいように書いてるだけで別にどこも村上春樹じゃないわ」「村上春樹に出てくる言い回しをそのまま活用しただけじゃん」っていうものばかりなんですよね。私はそれがなんか、うーん、ちょっと悔しくて。感覚で「春樹風」を書くことはきっとできるけど、感覚じゃなくてもっと「村上春樹の文体とはなんぞや」を理論で説明して、ガチで再現してみたいと思ったんです。
 はじめに断っておくと、今回の研究と制作では半分も村上春樹を模倣できていないです。かなり観点を絞って研究したので、まだまだ村上春樹の文章の特徴って大量にあります。
 ほんでこれは結構細かい説明を省いてざっくり書いていて、知らない頭の良い人に見られてあら探しとかされたらすごく嫌なので有料にしています。知り合いだったら全然直接言ってくれたら見せます。あとかみ砕く前の長ったらしい論文が読みたいもの好きな方もいたら言ってください……。

今回分析する対象と観点

 桃太郎が三人称の物語なので、同じく三人称で描かれた「海辺のカフカ(ナカタさんのパートのみ)」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」「アフターダーク」の四作品を対象にしました。ただ、「アフターダーク」は主人公の内的独白が入らない「ガチモンの三人称・外的視点」だったのに対して(ちなみに面白いのが、他の三作品の文末表現が「……た」がほとんどで終わっているのに対して、「アフターダーク」は「……た」という文末表現はほとんど存在せず「……る」なんですね。これって要するに、「アフターダーク」は現在進行形の物語で、カメラのように見ている第三者が観察している風に書かれているんです)他の三作品は結構主人公の私情とか感想がバンバン入ってくるんです。なのでまあ村上春樹の作品は基本的に「主人公の私情や感想が入ってくる作品」が多いのだとみなして、「アフターダーク」は分析対象から外しました。

①どんな単語が使われているか
②レトリック(特に反復法と比喩はどうなっているか)
③時間表現はどうなっているか
④台詞と地の文の関係
⑤()や――(ダッシュ)
⑥人物再登場法

この6つを対象にしました。これは平井(1981)が述べている小説の分析に必要な観点の中から抜粋しました。



(1)意味論的な問題 
(a)語い
(b)句、あるいは修辞

(2)統語論的な問題 
(a)単文と複文
(b)質
(c)量
(d)関係
(e)様相
(f)時間
(g)態
(h)法
平井邦男(1981)「小説の表層構造と深層構造」『大手前女子大学論集』15巻、p171


①どんな単語が使われているか
 みなさんご存じ村上春樹といえば「あるいは」や「やれやれ」ですよね。でも実際それってどのくらい使われているんでしょうか。と私は疑問に思いました。さらに彼の作品は車や衣服、食、音楽や芸術に関するワードが執拗に出てきます。なのでこれを改めて分析しようと思いました。

②レトリック
 村上春樹は独特な(人によってはただの言葉遊びだと批判もしていますが)比喩が最大の特徴とも言われますので、もちろん分析対象にしました。また、菊池良さんという方が「村上春樹の文体の特徴は同語反復」ともおっしゃっていたので、同語反復も対象にしています。同語反復とは、同じ言葉を繰り返すことです。たとえば
「これはきび団子だ」
「きび団子?」
こういうのです。

③時間
 村上春樹の小説って、大体文末表現が「……た」「……だった」「……していた」で終わるんですけど、これってやや過去のニュアンスを含んでいますよね。そして、彼の作品ではめちゃくちゃ回想シーンが多いので、「時間」になんらかの特徴が多いと考えて対象にしました。

④法(地の文と会話文の関係)
 村上春樹の作品は大体会話文のあとが「~と言った」なんですよね。あと、会話文のあとに改行全然しないとか、ちょっと会話文と地の文の関係が特徴的だなと思って。

 以下の2点は私が勝手に追加したやつです。

⑤()および――(ダッシュ)
 なんかめっちゃ()とか――(ダッシュ)使うなと思って。

⑥人物再登場法
 同じ名前の人とか結構出てくるなと思って。

分析結果

 じゃあ結果はどうだったのか見てみます。

①どんな単語が使われているか
「まるで」「のよう」みたいな比喩に使う表現はどの作品でも多くて、あとは「かもしれない」「よくわからない」「ある意味では」「今のところは」みたいな曖昧な表現も結構多かったですね。「あるいは」「やれやれ」「あるまい」あたりも多かったんですけど、「海辺のカフカ」(ナカタさんパート)だけやたら少なかったです。
 これは私の推測なのですが、「海辺のカフカ」だけこういった表現が少ないのは、主人公が「ナカタさん(頭が悪い人)」だからかなと思います。さっきも言ったんですけれど、村上春樹は三人称とは言いつつも主人公の私情や内的独白が割と入ってくるので、頭の悪い「ナカタさん」が語りの時はあまり難しい言葉が頻出しないのだと思います。
 他には車・衣服・小物・飲食物・作品・人物名はどれもかなり多く出現していました。おそらく、車と衣服・小物はその人の社会的地位や金銭的余裕、飲食物は生活習慣、作品・人物名はその人の文化水準・興味関心を表していると考えられます。衣服や小物は特に色の記述も多く、色彩を重視しているのかなー?と思いました。
 例えば車。「1Q84」に登場する石油会社の男は「ジャガーの新車」に乗っていて、若い母親は「赤いスズキ・アルト」に乗っている。「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」に登場する「アオ」は、学生時代は「中古のホンダ・アコード(おしっこのような染みがついている)」、働くようになってからは「トヨタ・カローラ」を取り扱うディーラーになり、やがて「レクサス」を取り扱っています。その人がどんな社会的地位を持つ人物なのかが分かりやすいですし、「アオ」に関しては階級が上がるごとに関わる車のランクも上がっています。ちなみに、「海辺のカフカ」は地の文でほとんど車名が登場しません。「トラック」とか「ライトバン」とかの言葉で表されています。(これもナカタさんが車の名前を知らないからでは……?)
 衣服なら、「1Q84」の主人公の「青豆」はレイバンやシャルル・ジョルダン、ジュンコ・シマダなどのブランド品に身を包んでいることからかなり裕福であることが分かります。対して「海辺のカフカ」の「ナカタさん」はよれよれの登山帽や古い運動靴、こうもり傘を身に着けています。ちょっとナカタさんばっかり下げるような感じになってしまって、良くないですね。……ちょっと長くなってしまったので、飲食物と作品・人物名に関しては割愛。とにかくもう一度言いますが、車と衣服・小物はその人の社会的地位や金銭的余裕、飲食物は生活習慣、作品・人物名はその人の文化水準・興味関心を表していると考えられます。

②レトリック

1.反復
村上春樹の作品中の会話文で使用されていた反復は、大きく以下の3つに分類することができました。

(1)相手の言葉を聞き返す
 相手が述べた言葉をもう一人の話者が疑問形で反復する。


例1:「いいえ、わかりません」とナカタさんは言った。男は少しがっかりしたようだった。「わからない?」(『海辺のカフカ』、p63)
例2:「塗料のようなものです。明るい緑色をしています」「塗料?」(『1Q84 BOOK1』、p78)
村上春樹『海辺のカフカ』、『1Q84 BOOK1』

(2)相手の疑問に対して同じ言葉で回答する
相手の疑問文に対し、もう一人の話者が言葉遣いや単語をそろえて回答する。


例1:「彼女は精神的に、それくらい深刻な問題を抱えていた。そういうこと?」「そう、精神的にそれくらい深刻な問題を抱えていた。……(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、p289)
例2:「知事さんがナカタを兵隊にとって、人を殺せと命令するのでしょうか?」「そうだ知事さんがそれを命令するのだ。人を殺せと」(『海辺のカフカ』、p80)
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、『海辺のカフカ』

(3)相手の言葉を反復する
相手の台詞をもう一人の話者が疑問を伴わずに反復する。

例1:「はい。経験はありませんが、だいたいのところはつかんでおります。おちんちんのことでありますね」「そうだ。おちんちんのことだ」(『海辺のカフカ』、p10)
例2:「あなたやわたしとおなじ」「僕や君と同じように」と天吾は反復した。(『1Q84 BOOK1』、p113)
村上春樹『海辺のカフカ』、『1Q84 BOOK1』

大体どの使い方も同じくらい登場してました。単語を反復するよりは文を反復するほうがやや多くて、主語を変えていたり((3)の例2みたいに)、視点を変えたり((1)の例1みたいに)して反復していることも結構ありました。


2.比喩
 ちょっとかみ砕いて説明するの難しいんですけど、「それをそれで喩える?」みたいな妙な比喩が村上春樹の作品は多いです。

首の後ろのしわが太古の生き物のように動いた。(『1Q84 BOOK1』p6)
村上春樹『1Q84 BOOK1』

 こういうのとか、首の後ろのしわが太古のいきものってよくわかんないじゃないですか、関連性ないというか。あとは

そして列車の窓に向けてみんなで大げさに手を振ってくれた。まるで遠い辺境の地に出征する兵士を見送るみたいに。(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、p29)
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』

 こういう、いつの時代のどこに喩えてるん?みたいな。喩える対象が突拍子もないやつです。あと、村上春樹は「太古」「古代」「兵士」「小作人/農民」みたいな、なんだか古い感じがする言葉を比喩として使うのが結構好きみたいです。


③時間表現
 シンプルに文末表現は「……た」が案の定一番多かったです。逆に「……いる」「……ている」みたいな現在進行形の表現はほぼありませんでした。
 そして、回想シーンがめちゃくちゃ多い。今回対象にした三作品で、物語のうち平均14%が回想シーンでした。何を回想しているか、も分類してみたんですけれど、「主人公についての回想」「主人公以外の人物に対する主人公の回想」の二つに分けることが出来て、多かったのは「主人公以外の人物に対する主人公の回想」でした。しかもほとんどが目の前にはいない/物語の「現在」の軸には登場しない人物です。今いないやつのことをめちゃくちゃ回想するのが村上春樹の特徴と言えそうです。

④法(地の文と会話文の関係)

会話文の前後にどんな字の文が続くか、を分析しました。
地の文は「言った、尋ねた、答えた」などの発話を表す動詞が存在しているか、存在していないかの二つに大きく分けることが出来ます。

1.「言った 尋ねた 答えた」などの発話を表す動詞が存在する
「……とAは言った」という形が最も多く、「……とAは驚いたように言った」「……とAは肯いて言った」のような「……とAは言った」の中になんらかの修飾する語句が入っているものも同様の数見られました。

2.発話を表す動詞が無い場合
 以下の三つの用法に分けることが出来ました。

(1)改行された後、次の台詞がそのまま続く(地の文が無い)



「雲ひとつありません」「……今のところはね」「お天気は続きませんか?」(『海辺のカフカ』、p1)
村上春樹『海辺のカフカ』


(2)地の文で聞き手がリアクションを取る


「あまりおおっぴらには言えない方法ですが」青豆は何も言わず、目を細めたまま話の続きを待った。(『1Q84 BOOK1』、p46)
村上春樹『1Q84』


(3)話者の発言の前に動作(肯いた、顔を見たなど)を表す地の文が挿入されている


アオは哀しそうに首を振った。「君はラグビーを野球やテニスと混同している。ラグビーには雨天順延はない」(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、p50)
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』


最も多いのは(1)で、(2)と(3)は大体同じくらいの数でした。


⑤()および――(ダッシュ)
()は大体10ページに1回くらいは登場していました。()の用法は大きく以下の3つにわけることが出来ます。

(1)補足説明
前に述べた言葉や文章について、新たな情報を追加する。



例1: 課題のボランティア活動にはいくつか選択肢があり、学校の通常の授業についていけない小学生(多くは不登校児童だ)を集めたアフタースクールの手伝いをするというのも、そのひとつだった。(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、p5)
例2:二人は新宿の喫茶店(今いるのと同じ店だ)で会った。(『1Q84 BOOK1』、p30)
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』『1Q84』


(2)登場人物の内的独白
 登場人物(とくに主人公)の感情や主観を述べる。


例1: この次ふかえりに会ったとき(それは日曜日になるはずだ)、山羊とコミューンのことを尋ねてみようと天吾は思った。(『1Q84 BOOK1』、p161)
例2: 自分が今危険にさらされているのだということは、もちろん理解できる。そこにいるのが(何故かは知らないが)敵対的で攻撃的な意思を持った生き物であることもおおよそわかる。(『海辺のカフカ』、p55)
村上春樹『1Q84』『海辺のカフカ』


(3)言い換え
 前に述べた言葉や文章について、別な言葉や表現で言い換える。


例1: 週に一度、アパートの自室でその年上のガールフレンドと会うことで、彼の生身の女性に対する欲望(あるいは必要性)のようなものはおおかた解消された。(『1Q84 BOOK1』、p106)
例2: 彼は自分がヘルシンキから車で一時間半ほどのところにある、美しい湖の畔までエリ(クロ)に会いに行ったことを話した。(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、p334)
村上春樹『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』

 どの作品でも大体「補足説明」の用法が多かったです。その中でも特に名詞について補足することが多いですね。小学生(多くは不登校児童だ) みたいな。

――(ダッシュ)もおおむね10ページに1回くらいの頻度で出現していました。()とほとんど同じなんですが、ちょっとだけ違うのが2つ。


(1)補足説明
前に述べた言葉や文章について、新たな情報を追加する。


例1 それ以外の交換可能なもの――床板や天井や壁や仕切り――を引きはがし、新しいものに置き替えていく。(『1Q84 BOOK1』、p152)
例2 靴をなくさないように――ラッシュアワーの巨大な鉄道駅ではそのことがとても重要な課題になる(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、p348)
村上春樹『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』


(2)言い換え
前に述べた言葉や文章について、別な言葉や表現で言い換える。


例1 それでも彼はシロを――ユズを――赦すことができた。(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』、p352)
例2 多くの独り者の男が、独り者の女を求めてやってくることで――あるいはその逆のことで――有名だった。(『1Q84 BOOK1』、p294)
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』『1Q84』


(3)言葉を途中で止める
登場人物が話の途中で中断する。多くは会話文で用いられる。


例1 「はい。しかしホシノさんはお仕事が――」(『海辺のカフカ』、p171)
例2
「つまり――」(村上春樹『1Q84 BOOK1』、p218)
村上春樹『海辺のカフカ』『1Q84』


(4)句読点の代用
「――」を「、」「。」でも置き換えることが出来る。余韻や沈黙を感じさせる際に使用されている。


例1 「それが――どうしても思い出せないのであります。」(『海辺のカフカ』p13)
例2 「束縛されない状況にいつも身を置いて、自分の頭で自由にものを考える――それが君の望んでいることなんだね?」(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』p64)
村上春樹『海辺のカフカ』『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』

 一番多いのは「補足説明」で平均して全体の40%、「句読点の代用」が二番目に多くて30%くらいでした。

⑥人物再登場
 『人物再登場法』というとバルザックの小説なんですけれど、村上春樹のそれは若干違っていて、どちらかというと同じ名前を何回も使う、のほうが近いかも。村上春樹作品の中で特に「渡辺昇」とか「直子」とかは何作品かで登場することで有名です。その中でも私は特に「牛河」が好きで。『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』に登場してて、どちらも若干同じ人物っぽいんですけど、『ねじまき鳥クロニクル』の「牛河」のほうがより醜悪に、老けて描かれています。あと『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』では「牛河」の職業が違います。『1Q84』では「新日本芸術振興会 専任理事』で『ねじまき鳥クロニクル』では「綿谷」という人物の秘書です。一体牛河は何者なのか……??


どうやって桃太郎を書いたか

 端的に言えば、分析結果をただただ導入して出来るだけ「村上春樹風」に近づけていきました。半分くらいは私が感性でやってます。作品にどのように村上春樹の文体特徴を導入したかは以下の通りです。

①使用単語
 頻出だった「あるいは」「やれやれ」「まるで」「のよう」「あるまい」「かもしれない」「ある意味では」「今のところは」「よくわからない」をそれぞれ最低1回以上使用するようにしました。多い場合は3回とか使っています。「のよう」に関しては、比喩をできるだけ多めに導入したかったので7回使用しました。
 車・衣服・小物・飲食物・作品名・人物名などの固有名詞については、江戸時代とそれ以前の時代に存在したもののみを使用しました。(主人公が桃太郎で、語りも桃太郎の知識レベルに影響されているはずなので)車の名前は使っていません。食事や衣服は、桃太郎が「おじいさん」と「おばあさん」が老いてからできた一人息子であることを踏まえ、「上品に仕立てられた薄いブルーの着物」や「白米」といった当時の一般的な庶民の暮らしぶりからすれば比較的贅沢なものを取り入れました。また、桃太郎を知的水準の高い人物として設定し、「ビザンツ帝国」や「大阿闍梨」、「雷電為右衛門」といった歴史や文化に関する単語を使用するようにしています。

②レトリック

1.同語反復
 先に出した同語反復の3つの用法(相手の言葉を聞き返す、相手の疑問に対して同じ言葉で回答する、相手の言葉を反復する)を概ね同頻度で使用しました。今回の「桃太郎」の分量的に、同語反復は「1回」使うのが適切な頻度なんですけれど、大体全部の種類使ってみたかったので、回数は不問にして用法の割合をそろえる方に徹しました。桃太郎の中で使用した同語反復の文章は以下の通りです。

2.比喩
 「普通それをそれで喩えます?」みたいなやつを何個か入れてみました。今回入れてみたのは「犬の目は深い海の底の海藻のように揺れ動いている。」とか「大きな猿は、まるで連日の日照りに悩まされた農夫のように、不愉快そうに顔を歪めていた。」とかです。『1Q84』と『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』に共通して現れていた「古代」「太古」の要素を用いて、「古代魚のように深い森だった。」という表現も行っています。他にもちょこちょこあると思うので探してみてください。

③時間表現

 研究結果で、文末表現のほとんどが「~」たで終わることを受け、文末表現のほとんどを「~た」で揃え、「である」や「~だ」を使用しないよう調整を行いました。
 また、回想シーンに関する研究結果では、回想が平均して全体の14%あって、その中でも「その場にいない他者」を対象にしたものが多くありました。そのため、「牛河」というその場に存在しない他者について回想するシーンを1215字(全体の16%)導入しました。この調整、我ながら天才かと思いました。

④地の文と会話文の関係
 もうちょっとここは割愛したいです。数字の話になって面倒くさいので……。研究でどういう地の文を何回使っているか、みたいなのを計測したので、割合を大体それに合わせました。台詞のあとにどんな地の文を使っているのか、軽く注目してみてください。一応どれをどの回数使ったかの図だけ貼っておきます。(雑)

⑤()および――(ダッシュ)

 今回の分量だと()と――(ダッシュ)は合わせて4個くらい使うのが妥当なんですけど、5個使いました。ちょっとオーバーしました。使ったやつはこんな感じです。()の用法は補足説明、内的独白、言い換えの3つで、どれも1つ使うようにしました。――(ダッシュ)に関してはちょっと使いづらくて、「句読点の代用」の用法だけ今回導入できませんでした。

⑥人物再登場
 今回、なんと大好きな「牛河」を登場させています。一応、『ねじまき鳥クロニクル』とか『1Q84』に登場する牛河とは別人の設定なんですけれど、低い身長や禿げた頭、左右非対称な顔などの共通する特徴も持ち合わせてます。謎の人物、牛河再登場。桃太郎にも出てきちゃう不気味な牛河。

ラストシーンについて

 ラスト、桃太郎は鬼ヶ島にたどり着くことなく終わります。村上春樹の作品って、大体「オチ」ないんですよね。これはちょっと論文に書く余裕が無くて書けてないんですけど。伏線がほとんど回収されないし、謎は謎のまま終わる。だし、謎に最後のシーンは景色や風について描写しがち。だからこそ、私は「村上春樹がもしも桃太郎を書いたら、主人公の桃太郎は鬼の正体が結局何なのかを知る前に物語が終わるだろうな 最後不吉な風が吹いて終わるだろうな」と思ったわけです。村人を困らせる「鬼」の正体が本当に鬼なのか、なんなのか……それが分からないまま「村上春樹風 桃太郎」は終わります。

足りなかった部分、もっと研究したいこと

 今回はだいぶ対象を限定して、必要最低限の分析に抑えました。レトリックに関してももっと分析したいし、文章の長さとか、主語の出現頻度とか、そういうところも見ていきたいな……。まだまだ村上春樹の完全な模倣は出来ていないので、これからももう少し頑張っていきたい所存です。


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