自分を表す身分がありません

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自分が本当に思ってる2倍くらいの悪口を言ってしまってガチでしんどかった

 会うたびに「自分が今何に腹を立ててるか」について話していた友達がいて、多分いつの間にか私の中では勝手に「この人に会ったら自分が今何に腹を立てているかを話さなくちゃいけない」と刷り込まれていたんだろうな。  久しぶりに会って、私は案の定「今何に腹を立てているか」について話して、向こうは聞き流したり笑ったりもせずにすごく共感をしてくれて(いつも通りに)、それで私はさらに加速してめちゃくちゃ悪口を言ってしまった。ウエストランドの井口みたいな感じで。  共感してもらえて気持ちよくな

    • 台湾に住んでいる父親と十年ぶりに再会したら、めちゃくちゃ大物になってた話

        幼いとき、多分貧乏だったんだと思う。チョコチップのスナックパンをよく食べていた。平屋の家の中が蟻まみれになったこととか、すごく覚えている。団地に住んでいたこともある。父親の記憶は全くと言っていいほどない。物心ついたときには父親はすでにいなかった。東京に行ったらしい。小学生くらいの時に、親戚のお葬式で一度だけ会った。ココアを買ってくれて、二人だけでしゃべった。恐ろしいほど会話は盛り上がらなかった。苦し紛れなのかなんなのか、「好きな漫画とかあるの?」と聞かれたけれど、私が多分

      • 近況:冬眠するべき時期に活動しているから冬は病む、人に質問されるのが怖い、ニューヨークガールの冬の装い

         ここ最近妙に落ち込んだり傷ついたりする。周りはみんな「寒いからね」「冬は病むよ」と言ってくれるけれど本当なんだろうか、と思っていたら芸人のラランドのニシダも「冬はね、落ち込みやすいですよ」と言っていた。飄々としていて並大抵のことは平気そうに見える彼でさえ「冬は落ち込みやすい」という認識なのであれば、冬というのはそれはそれは生きにくい季節なのかもしれない。  Twitterのアカウントを削除した。フォロワーが2800人くらいいた。2800人の赤の他人に向かって自分の気持ちや

        • 大きな道路沿いにニトリと電機屋、車屋、チェーンの飲食店が立ち並ぶ美しい日本の郊外の道

           大学のころ、私は京都に住んでいた。通学路がお寺の境内で、空きコマにお寺や神社を参拝できるような美しい街に、私は住んでいた。  しばらくして新生活にだいぶ慣れてきたころ、私は日雇いのアルバイトをした。京都市の郊外のほうある工場まで、日雇いアルバイト専用のバスに乗って向かった。行きはずっとスマホを見ていて、帰りはすっかり疲れてしまってずっとバスの外を眺めていた。風景はすっかり闇に沈んでいて、見れば見るほど切なくなさを感じたけれど、なぜか同時に妙な懐かしさを感じた。大きな四車線道

        自分が本当に思ってる2倍くらいの悪口を言ってしまってガチでしんどかった

        • 台湾に住んでいる父親と十年ぶりに再会したら、めちゃくちゃ大物になってた話

        • 近況:冬眠するべき時期に活動しているから冬は病む、人に質問されるのが怖い、ニューヨークガールの冬の装い

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          ない日記/人を拒絶してしまった経験と抱擁の重さについて

           共通の友人を含めた複数人で遊んでいた時に、私は彼女のことを知った。そこまで激しくウマがあったわけでは無かったけれど、タイミングや趣味関心が重なって二人だけで会うようになった。記憶が確かなら、二人だけで会ったのは半年くらいの間に数回だけだ。私は人見知りだし、当日や前日の誘いにノリノリで赴けるタイプではないので何度か彼女からの誘いを断ってしまったし、私から彼女のことを誘ったことは多分一回しかなかったけれど、本当に彼女のことは好きだった。会話の節々から「当日パッと会えるようなノリ

          ない日記/人を拒絶してしまった経験と抱擁の重さについて

          好きなものほど他人に上手に語れない、自意識強め王国の民のみんなにLOVE

          「◯◯好きなんだっけ?」とか「◯◯のどこが好きなの?」とか話を振ってもらえたとき「いやぁ、まぁ、大したことないよ」「別に△△なんだけどね」と曖昧な笑顔で誤魔化したり、わざと少し卑下してしまったりする。そうすると、なんだかさっきまで大好きだったものが、本当に大したことがないような気がしてくる。最近まで放送していたドラマ「最高の教師」でも「好きと言うことは難しくて勇気のいること  好き、は自分をさらけ出すことだから否定されたら傷つく」と登場人物たちが言っていて、私はそれにすごく共

          好きなものほど他人に上手に語れない、自意識強め王国の民のみんなにLOVE

          ない日記/友人と解散してから「次回は挽回しなきゃ」と思う日々

          1年間のスペイン留学に行っていた友人と久しぶりに会う。「ひさびさに寿司を食べたい」という友人を連れてくら寿司へ。私がスペインは暑かったか聞くと、彼は日本と同じくらいだと言って笑う。彼は日に焼けた腕でマグロの皿を取る。1年前、彼の腕はこんなに黒かっただろうか、と私はぼんやりそれを見ている。お茶とマグロを交互に口にして、彼はスペインで見た景色や出会った人について熱心に話す。写真を見せられるが、私はそれらがどんな写真だったかを、次の瞬間には忘れている。 「日本人の留学生が、たまたま

          ない日記/友人と解散してから「次回は挽回しなきゃ」と思う日々

          『after sun/アフターサン』愛していても家族でいられないこと

          中学生のとき、母が再婚して私の苗字が変わった。そのときに同級生の男子が「お母さん、若いもんな。もっと遊びたいと思うよ」と言ってくれて、「そっか、そうだよな。私でもきっともっと遊びたいと思う」となんだか腑に落ちたのをずっと覚えている。after sunの親子、カラムとソフィの歳の差は、私と母の歳の差と同じ20歳だ。 ネタバレ含みます。  若い父親と娘が夏休みの短い期間を共に過ごす様子を描いた映画だった。彼らはトルコのリゾート地で、大きな事件もなく、2人は淡々と夏休みを楽しん

          『after sun/アフターサン』愛していても家族でいられないこと

          コンビニでトイレ借りるなら何か買わないとじゃんって、言ってしまってごめんね

           私いま正論振りかざして気持ちよくなってたごめん~~~って思う瞬間がかなりたくさんある。正しいことを言うのは本当に気持ちがいい。でも、私は正しいことを人から言われると自己嫌悪でグチャグチャになってしまうから、自分が人に正しさをぶつけてしまったときも「自己嫌悪を抱かせてしまったかもしれない」と思ってすごく苦しくなる。正しいことを言って気持ちよくなりたいけれど、相手に自己嫌悪は抱いてほしくない。    卑近な例。実際にこれで揉めたことはないし意見が食い違ったこともあまりないんだけ

          コンビニでトイレ借りるなら何か買わないとじゃんって、言ってしまってごめんね

          アメリカ先住民のインディアンたちと火を囲んでフルートの音色を聴いた架空の記憶が蘇ってきた

           私は森の中でインディアンたちと過ごした日のことを思い出していた。森の中の大きく開けた空間に、彼らが音楽を奏でるための場所がある。私は昼過ぎごろから(正確な時間は分からないが、多分そのくらい)彼らと共にそこで過ごした。  私は彼らの言葉が分からなかったけれど、私が自分を指さして「ニイナ」と名乗ると、彼らはそのように呼んでくれた。昼間はインディアンフルートと太鼓の演奏を行ってくれた。木々が揺れる中、お腹の奥底に響くような太鼓の音と、涙が出そうになるほど透き通った笛の音を聞いた。

          アメリカ先住民のインディアンたちと火を囲んでフルートの音色を聴いた架空の記憶が蘇ってきた

          周りにいる好きな人間を全員リスト化して保存していた私は、社会人になって無事に孤独になった

           好きな人が多すぎる。昔から何かの折にお友達リストを作っていた。(この話をしたら恋人にも親にも引かれた。)でも残念ながら、こんなにたくさんの好きなお友達がいるのに、私の身体は一つしかないし、私は残念ながら大富豪ではない。ということに気がついたのはここ最近だ。  学生時代はまだ何とかなっていた。翌日の心配もしなくていいから24時間365日誰のもとにでも会いに行けるし、お金もいざとなったら日雇いでその日の飯代は稼げる。大学の時、多分私は年に2回くらいは仙台と福島に行っていたし、

          周りにいる好きな人間を全員リスト化して保存していた私は、社会人になって無事に孤独になった

          会話をターン制だと思っている人VS会話は立候補制だと思っている人

           私には「会話をターン制だと思っている友人」と「会話を(たぶん)立候補制だと思っている友人」がいる。  友人の中には、とても「会話におけるターン」を意識しているタイプの子がいる。具体的にどういうことかというと、例えば何か聞いてほしいことがあるときに 「めっちゃ喋っちゃってごめんね!!」  と言ってきたりするし、自分の話が終わると 「……っていう話なんだよね。聞いてくれてありがと!」  と締めて自分の話の終わりのラインを明確に定めたりする。その後は相手の話を聞いてしっかり相槌

          会話をターン制だと思っている人VS会話は立候補制だと思っている人

          【おすすめのエロ漫画紹介付】私が「こいつ面白くないな」「浅いな」と勝手に判断した人間が誰かにとってはクソ面白い事実に耐えられない

           人間なので、生きていれば「この人ちょっと苦手だな」とか「この人面白くないな」と思うことがある。失礼な話ではあるんだけれど。あとは「前は面白かったけど、なんか最近面白くなくなったなあ」とか、正直思ったりすることもある。その度にすんごい落ち込む。これって別に相手が「面白くない」「浅い」「つまらない」んじゃなくて、そもそも自分が相手の面白い部分を引き出せていなかったり、自分と相手の相性が合わなかったり、会話の守備範囲が違ったりするのが原因なことが多いと思う。私が「この人あんまり面

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          【考察】もしも村上春樹が桃太郎を書いたら 

            このnoteでは、私がどんな理屈で村上春樹風桃太郎を書いたのかを書きました。大学に提出した卒業論文を簡単にかみ砕いたものです。 はじめに  「村上春樹風○○」、「もしも村上春樹が○○を書いたら」という煽り文句で書かれた作品ってたくさんあるんですけど、ほとんどが「いや、小難しいように書いてるだけで別にどこも村上春樹じゃないわ」「村上春樹に出てくる言い回しをそのまま活用しただけじゃん」っていうものばかりなんですよね。私はそれがなんか、うーん、ちょっと悔しくて。感覚で「春樹

          【考察】もしも村上春樹が桃太郎を書いたら 

          「〇〇っぽいよね」「××とか好きそうだよね」と言われて若干嫌になる理由の考察

           自分で「邦ロック好きです」「クリープハイプ好きです」という分には良いけど(だって好きだもん)、「邦ロック好きそうだよね」「クリープハイプ好きそうだよね」と言われるとやや嫌な気持ちになる。「お菓子作るの好きそうだよね」とか「バスケ部所属してそう」とか言われた事もあるけど、嫌とか通り越して自分じゃなさすぎてひっくり返った。「お菓子作るの好きそう」ってなんやねん。  なんでちょっと嫌なんだろうと思って今日めちゃくちゃ真剣に考えてました。こんなこと真剣に考えて文章にするあたり、自

          「〇〇っぽいよね」「××とか好きそうだよね」と言われて若干嫌になる理由の考察

          なんだかどうしようもなくて、近い人にはとてもじゃないけど言えないような話をするとき、私たちは「ちょうどいい他人」の存在が必要になる

           高校のときの倫理の先生が語ってくれたお話はあまりにも珍妙で、あれは今思えば夢だったんじゃないかと思っている。 「僕がね、昔教えた生徒さんから突然電話がかかってきたことがあって。あの時はまだガラケーだったんだけどね」  と先生はいつもの軽妙な語り口でしゃべっていた。 「先生、僕いま橋の上にいるんです……って言うんだよ。えぇ!?橋の上!?と思ってね、どうしてそんなところにいるんだと問い詰めたら」 「結婚したいと思うほど好きな女の子が出来たらしいんだけど、どうやらその女の子は外国

          なんだかどうしようもなくて、近い人にはとてもじゃないけど言えないような話をするとき、私たちは「ちょうどいい他人」の存在が必要になる