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わがままに生きることは自己責任


シェイクスピアが言ったとか言わないとか出所は分からないけれど、人生は選択の連続であるという言葉通り、毎日なにかしらの選択をし続けているわけで。それを自分の思うまま、わがままに選択するのは自分の人生を生きているなあと実感する。

ただ選択した先には結果がある

つまり

選択をした自分にはその結果の責任があるということ

自分の人生を自分で選択し歩く、ということは、もちろんその結果も自己責任だということ。

どれだけ迷っても自分で選んだのであれば、それがどんな結果になったとしても仕方ないのだ。

わがままに生きることはとてつもなく自己責任だ

これが大人ということなのかな、と思う。

まだ大人になって10年程度のひよっこ大人な私だけれど、自分で選択することの重要性を意識するようになってからは、後悔することも減った気がする。

"そもそも"で解決できる悩みを抱えることも、少なくなった。

やった後悔もやらなかった後悔も、変えられることへの不満も。どんな結果を抱えたとしても自己責任であり、それを周りに話したところでどうにもできないからだ。

もちろん、いくら自分で選んだとはいえ、時には愚痴もでてくるだろう。そういう話は友人とのお酒のつまみにすればいいと思う。

大切なのは自己責任であるという認識をすること

そして向き合うこと

想像した結果にならなかったとしても自己責任であると認め、そして何が違ったのかを考える。

"わたしが悪いから"と思うだけでは何も解決しないのだ。

自分はなにが嫌で、それをどうしたら解決できるのか。そこからまた新しい選択が始まるのではないかな、と思う。


そんなこんなで今日は酸辣湯麺を食べると選択したお昼ご飯。ちょっと胸焼けしたけれど。

小さな選択も、大きな選択も、自分の心に正直に、慎重に、決めたいと思う。そうすれば、きっと、どんな結果になろうとも受け止める心と振り回されない芯の強さを持てるのではないかな、と。


日並



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