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距離感について悩む夜

今年30歳。学生時代の友人とは10年以上の付き合いになる。

結婚したり、父や母になったり、一方でキャリアを積んだり、夢を追っていたり。学生時代とは違って、一人一人の人生の過ごし方が大きく変わってきたなあと感じながら、今までの友人との距離感について悩む今日この頃。

もともと、人に対してこうあるべきだ、みたいな考え方はない。

結婚してもいいし、独身でもいいし、キャリアを積んでも、夢を追ってもいい。人それぞれ幸せだと感じる形があって当然なので、それぞれの形で人生を楽しめていたら、それでいいと思う。

だけれど、中には、不満しかでてこない人がいる。

そういう人に会うと、つい言いたくなってしまう。そのままでいいの?と。幸せじゃない、というならば、動いてみたら?と。

でも最近、これも自己満足なのか、と思い始めた。所詮人の話であって、私には関係がない。幸せそうだろうが、つまらなさそうだろうが、関係がないことなのだ。だから私の楽しんでほしい、という気持ちはただのおせっかいであり、私の希望の押し売りなのかな、と。

色々な生き方がある。幸せじゃない、楽しくない、こんなにも我慢している、と言いつつも、見えないところで、幸せだと感じているのかもしれない。

そういう人に、でも我慢してるならこうしたら?と言うのは、言う私自身も楽しくないし、言われる向こうも楽しくないだろう。

他人に干渉する歳ではなくなったのだなあと。

18歳。

嫌われることを恐れず、ああでもないこうでもないと友人に干渉していたころが懐かしい。カップルの喧嘩の仲裁に入ったり、そんな男やめときなよ!と言ってみたり。こういうことした方がたのしいって!と巻き込んでみたり。

皆がみんな、曖昧な正しさを持っていて、でもそれだけでは不安で。誰かと寄り添いたくて、支えてほしくて、これでいいんだよね?いいよね!と進んでいた。

30歳。

改めて、難しい歳だなあと思う。

正しさも幸せもそえれぞれに確立されて、共有することなく胸の中にしまっている。自分の心のままに進み、たまに不安をこぼしてみたり。でもそれは、寄り添ってほしいわけでも、支えてほしいわけでもなく、ただ言いたいだけ、のことのほうが多い。

最近、自分にとっても、相手にとっても、気持ちよく楽しく時間を過ごすために何かしらの工夫が必要になってきたように感じる。久しぶりに会えた時には、楽しい話や笑える愚痴で盛りあがりたいなあと願いつつ、深入りせず、浅瀬で話すのがきっとちょうどいいのだろう。

大人になるとは、こういうことなのだろうか。

仕方ないことなのかと思いつつも、なんだか寂しさも感じる。

日並

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