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レーズン食パンは… 好きですか? きらいですか?

【何かを食べて生きている】
みんな生まれた時から何かを食べて生きている。毎日食べるもの、時々食べるもの、思い出した頃に食べるもの、見ると食べたくなるものなど、人それぞれいろいろある。

時には、味の記憶から過去の情景がよみがえったり、ある特定の状況に身を置いた瞬間、過去に食べた味覚がよみがえってくることもある。私にとってそういう記憶に残る食べ物の一つが、レーズン食パンである。レーズン食パンを見ると、いくつかの記憶がよみがえり、過去の情景や味が頭に浮かぶ。

何とも不思議である。

息子が小学生の時、個別懇談会で担任の先生と生活態度や成績について一通り懇談した。そろそろ帰ろうとした時、先生が思い出したように「給食の時間、〇〇くんの席の下にレーズンがいっぱい落ちていました。聞いたら『手が滑りました』って言ったけれど、きっとレーズンが嫌いなんでしょうね。」と困った顔で笑いながら教えてくださった。息子はパンに入っているレーズンが嫌いだった。理由は、食パンに甘いものが混ざっているのが受け入れられない、ということだった。

娘も幼い頃、レーズン食パンが嫌いだった。理由は、食パンの表面に見えるレーズンが人の目玉に見えて怖いらしい。今までレーズン食パンを食べているところを見たことがない。多分今も苦手なままなのだろう。

レーズン食パンは賛否両論、一つの家族の中でも好き嫌いが分かれる食べ物なのかもしれない。子どもたちが苦手なレーズン食パンであるが、実は私はレーズン食パンが好きなのだ。

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【なぜか気になる食べ物】
世の中はおいしいもので満ちている。一番好きな食べ物は?と問われても一つに決められない。家族が全員揃って食べる夕食は文句なくおいしい。大きな仕事を終えた後の焼肉は幸福感に満たされる。今は亡き母の手料理は、心まで温まった。気のおけない友人と食べるランチは、知らないうちにため込んでいたストレスをどこかに放ってくれる。

具体的に挙げればきりがないほどたくさんあるおいしい食べ物の中で、なぜか気になるレーズン食パン。パン屋さんに行くと必ず探してしまう。なぜ、レーズン食パンが気になるのか。気になり出したのはいつ頃からか。

【記憶の先を辿ってみると…】
物心がつきだした頃。まだ下の弟が生まれていなかったので3人きょうだいの5人家族だった。日曜日の朝、3人の子どもたちの朝食の面倒は父の役目だった。

まず誰かがパン屋さんに食パンを買いに行くところから始まる。買ってくるのは白い食パン。それをトースターで焼いてバターを塗り砂糖を少しかけて出来上がりである。後は、牛乳と目玉焼きにサラダか野菜炒めぐらい。トースターは2枚ずつしか焼けない。パンがほどよく焼き上がり、ナイフを使って器用にバターが塗られ砂糖がかけられるまで、少々待たなければならない。父の一つ一つの動作を見ながら子どもたちは賢く待つ。

私たちの近くで、飼い猫のキジトラが体を上下させながら眠っている姿が記憶の片隅に残っている。何でもない時間だったけれど、平和でゆったりしていて幸せだった。

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ある日曜日の朝は、いつもの白い食パンではなくレーズン食パンだった。袋には紫色のぶどうのカットが入りいつもよりほんの少し華やかだった。はじめて食べたパンの中に入り込んだレーズンの味をぼんやりと覚えている。甘い…と感じた。少し歯応えがありほんのり優しい甘さだった。子どもたちが喜んで食べたので、それからしばらくレーズン食パンが続いた。

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レーズン食パンを袋から全部出して一枚ずつレーズンの数を調べ出した時、父に「やめなさい」と叱られた。食パンの表面に見えるレーズンが多いパンを食べたかっただけなのに。その時は「どうしてだめなの?」と思ったけれどよく考えたら当然の注意だったかもしれない。

叱られたことも含めて、私はレーズン食パンを見ると家族がそろって食べたレーズン食パンの味と幼いきょうだいが一緒に過ごしていた頃の懐かしい日々を思い出す。

食べている時は、笑顔だった。喧嘩することもない。ちょっとしたことも笑えてくる。そのうちに、お腹いっぱいになる。あの時の満足感は、レーズン食パンがおいしかったのか、父を囲んで食事していることがたのしかったのか、はっきりとは思い出せない。多分、おいしいとたのしいが同居していた気がする。


【記憶の引き出しの中のおいしいとたのしい】
親は一生懸命に子どもたちに食べさせようとしていた。私たちは、毎週繰り返される日曜日の朝食のひとときを当たり前に過ごしていた。幼いながら何となくこんな日がずっと続くと思っていた。しかし、気づいたら子どもたちは成長し日曜日の朝の父の役目はいつの間にか終わっていった。ただ、一緒に食べた時の感覚や記憶は今も私の中に生きている。

パン屋さんのレーズン食パンから辿る記憶の先には、何気ない食卓を囲んでおいしそうにたのしそうに朝食を食べている、幼い頃の自分がいたのである。

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食べることは生きていくためである。毎日いろんなことがあるけれど、おいしいものを食べている時は幸せ。特別なごちそうでなくても、たのしく食べればおいしい。おいしくたのしく食べたことは、記憶の引き出しの中に収納されていく

これからも毎日何かを食べ続けるけれども、一回でも多く、おいしくたのしい食事を心がけたいと、レーズン食パンを見て思う。

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