後輩がいるということ
先輩はいつかいなくなる。
大学卒業を目前にして、2年ほど続けてきたアルバイトで、後継者の育成に力を入れることになった。
アルバイト先にはフリーターがいない。つまり、バイトはほぼ学生ということだ。(ほぼというのは、どこかの企業に勤めながら副業として働く人がいるから)
ほとんどの人が4年以内に辞める。少ない人数でシフトを回しているが、それでも毎年のように誰かが卒業する。
初めてのバイトで、泣きたくなる日も逃げ出したいときもたくさんあった。
1年が過ぎた春。
卒業した同期だったスタッフのために、増員が決定した。初めての後輩だった。
これから一緒にお店を作っていく人として、私がサポートに入ることを前提としていろんなことを教えた。
2年目の冬。
私の卒業のために、スタッフが増員された。
私の後継者が来たのだ。
私は去る者として、その子がひとり立ちする時、きっとサポートなんかしてあげられない。
残り数ヶ月で、私のやってきたことをその子は吸収しなければならない。
その子が私の代わりであるように、私は、私の前にいた誰かの代わりだったかもしれない。
誰かに私がやってきたことを引き継ぐために、指導をするのは、初めてじゃない。
それでも、誇りをもって私らしい仕事をしてきたと思える、誰かの真似事ではなく私の真心としてやってきた一つ一つの行為の意味を話しながら、誰かに私の仕事を教えるのはあまりにも利己主義なのではないとさえ感じてしまう。
私らしい接客を、お店らしさにして、いまさら何を残したいのだろうか。
これからも、サービス業といわれる仕事を生業にすることを私は少しだけ後悔している。
誰かに笑顔を与える仕事が好きだ。だけど、私じゃない誰かを通して、私の真心を伝えなければならないときもあるのだろうと思うと、一生プレイヤーでいたいと願ってしまう。
好きな仕事でも、好きな業務だけできないのが、後輩がいるということなんじゃないかと思う。
自分の仕事を誰かに伝えるのは、案外難しい。
その伝えた仕事を、私自身が完璧にできていないと示しがつかないから。
その仕事の意義を理解できていないと、教えるときにブレるから。
何度も、何度も意義を考えながら
丁寧にやってきたことに報われるのもきっと教える瞬間だと思う。
後輩がいるということは、
自分自身へ完璧さを追求してしまうから苦しくて、
教えるほど自分ができた人間だと思えないくらい自己肯定感が下がってしまうけれど、
それでも、後輩がいなければ、
きっと成長のスピードはずっと遅かったのだろう。
いてくれてありがとう。これからも頑張って。
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