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アメリカで何十年も暮らしたあとの老後は、日本で?

どんなに長いことアメリカに住んでいても、50を過ぎた頃から日本人は食の好みが和食に戻り日本に帰りたくなる、と聞いていた。そんなものかねぇ、と30代の頃は思っていたが、いやまじで、実際にそうなった。

が、今回は、私の話ではない。

近所に日系二世のご主人と日本人の奥さんの老夫婦が住んでいた。子供はいない。10年以上前にこの街に引っ越してきたとき、同じく近所の韓国人の奥さんに紹介された。いずれご主人の家族のいるカリフォルニアで老後を送るはずだったのが、まだやれるまだやれると言い続け、西海岸に移住するタイミングを逸してしまったらしい。まもなくして一回り年上のご主人が前立腺の癌になり痴呆も加わって、施設には入りたくないと彼は言い張る。一軒家の管理どころではなくなり、近くのアパートに二人で移った。

以前は、丁寧で美味しいお惣菜をちらほらいただいていたので、今度はお返しに私がせっせと作って持っていった。私と日本語で話ができることが嬉しかったようだし、日米文化の違いの理解も一緒だし、彼女は体は弱いけれど賢い人だったから、同じことを何度も繰り返すとか愚痴を言い始めたら止まらないとかいうことはなく、心地よい関係を続けていた。

数年前にご主人が亡くなり、まもなくコロナ禍がやってきた。何せもう80歳をすぎていたから、どこからコロナをもらってくるかわからない子供のいる私はできるだけ彼女に会わないようにして、食事だけ週に何度か持っていった。

もう余命が長くない人の"Quality of Life"を重要視するアメリカの医療文化は、看護する彼女の体を守る特性があって、彼が息を引き取った瞬間も、疲労困憊して休んでいた彼女を付き添いの看護婦は起こさなかった。彼女はそのことをひどく恨んだ。積極的な治療をせず痛みを和らげて死を迎える準備をする"Palliative care/Terminal care"を見て、アメリカでは死にたくない、と強く思ったらしい。ご主人の埋葬とお骨をカリフォルニアに送る手続きを済ませ、日本に帰ると決意した。

まだ健在で家族もいる95歳のお兄さんに「帰ってこい、俺が面倒見てやる」と強く言われたのもあるだろう。彼女の姪っ子は60代で、子供はいないが会計士としてバリバリやっている人らしく、テキパキとオンラインで帰国に必要な事項を調べてくれるの、と喜んでいた。血の繋がった家族の世話になるのが一番いい、と皆思った。

彼女は米国籍をとっていたが、日本にはまだ戸籍が残っていた。コロナ禍でどう日本に帰るか、という相談を領事館で問い合わせたら、目の前で「あれ?まだ戸籍残ってますね。これは間違いですね」とパチンとボタン一発で戸籍を抹消されてしまったという。そして、日本ヘはあくまでアメリカ人として数年の長期ビザで入国滞在するという形になり、すると国民健康保険の対象にならない。でも、両親は日本人で日本で生まれたのだから、日本に戻りさえすればなんとかなるはず、と皆が思っていた。

そして、日本で死ぬつもりでアメリカにある一切合切を片付けて、彼女は今年6月に日本に帰っていった。

お兄さんの家の近くにあるケアハウスに入居したらしい。個別の部屋があり、食堂があって決められた時間に入居者全員で集まって食べる。部屋の外に出れば誰かしらがいて、おしゃべりしようと思えばできる環境なのだが、痴呆がかっている人も多く同じことを何度もとか自分のことしか話さないとか、頭のしっかりした彼女が相手したくなるような状況ではないらしい。アメリカの食事は、肉や魚がメインでご飯はあくまでサブ。このケアハウスの食事は、ご飯がたっぷりでおかずはちょこっと。ケアハウスの周囲にはコンビニもスーパーも歩いていける距離になく、せっかく日本に帰ったのに電車に20分くらい乗って出かけないと、何も欲しいものが買えないという。

そして、一切を仕切る姪っ子が何かというと「誰の名義で、ここにいられると思っているんですか」という台詞を投げつける。ケアハウスの入居時もただ何枚もの書類にサインをさせられただけだったが、この次は養老院に入ることになると姪っ子に言われ、その施設に行って見学させてくれるわけでもないという。

「アメリカで一人でちゃんとやってきた私には、耐えられない」
「まるで私に意思などないかのごときに、なんでも一方的に決められてしまう」

気持ちはわかる。でも、アメリカに何十年も暮らしていた浦島太郎の85歳の叔母さんが、すでに95歳の父親と母親をも抱えている自分のもとにやってきた、となったら.....姪御さんの気持ちもわからないではない。

「あなたは、ご両親のこと、そんなふうに決めないでしょう?」

そう問われれば、決めないですね、と私は答える。が、数年に一度も会ってない、親しく付き合ってない叔母さんが突然戻ってきて世話することになったら、何もわからない人なのだから、私が全て取り仕切って決めなきゃと思うだろう。それなのに、なんでも自分で決められないと不満たらたらで抵抗されたら、誰の名義で暮らしていられると思ってるんですか、という台詞が出てくるかもしれない。そして、私は思う。

アメリカで一人でちゃんとなんてやってなかったじゃないですか。体調が悪くて、数日寝たきりのこともしょっちゅうあったし、食事を作る体力も気力もなかったし、領事館だって付き添いなしには行けなかったし、引っ越しもなんでも全て友達夫婦に任せっきりだったじゃないですか。

何十年もアメリカで暮らして、85歳で日本に帰ったら、もう全て諦めて任せてしまうしか、そっちではもう暮らせないですよ、と私は言いたかった。

そして、半年もたってないのに、なんと彼女はアメリカに戻ってくることにした、というのである。

続く。






ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。