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55歳の誕生日に考える。

6月に入って55歳の誕生日を迎えた。55歳!!

5という数字は好きなので気分がいい。

2021年2月のある日突然、何の前触れもなく夫が離婚宣言して家を出ていった。弁護士も住むところもすでに手配済みだった。

気が狂ったように泣き叫んで暴れても不思議じゃなかった状況におかれた私だが、グッと腰が据わり一気に冷静になって、何をどういう順序で対応しなければならないかとすぐに頭が回り始めたのだから、自分でも驚く。

2022年3月末に離婚条件書に署名し、5月半ばには、離婚成立と名前を独身だったときのものに戻すこと、を裁判所が承認した。1年ちょっとの条件交渉が終わって、私は55歳になった。とてつもなく疲れたけれど、スッキリしてセイセイして心も体も自由と独立を感じている。

24年間の結婚生活。20年近く仕事に就いていない私が、これほど冷静でいられたのは、「君と子供たちに経済的な心配を一切かけない」という、彼がこの家を出て行った時の言葉を、一貫して守ったからだと思う。

彼は一方的に家庭を壊して自由を求めた。私はそれに抵抗しなかった。それも悪くないかと思えた、ということらしい。

人生、いつ一体何が起こるかわからないから、どんなに生活が豊かになっても収入を使い切るようなギリギリの生活をしてはいけない、と常に思っていたが、まさかこんな年になってその信念が効力を発揮することになるとは。

21歳のムスコと17歳のムスメ。二人とも立派にいい子たちに育ってくれて、一緒に過ごす貴重な時間を楽しむことこそあれ、彼らの将来に対する不安や心配は一切ない。どんな困難に突き当たってもちゃんと自力で乗り越えると私は確信している。

さて。人生100歳まで生きても不思議じゃない時代になった。まだ55歳。第二の人生をどうやって生きていくのかと、その能力と知性で何かを成し遂げられるはず、と親からも友達からも言われる。

どうだろう。

よしやってやるか、みたいなモードにはなっていない。ムスメが大学へ行くまであと1年ちょっと。それまでに、この家を売って引っ越しをして実務的にも精神的にも一人暮らしの準備をする。秋に日本に帰省して、ほったらかしになっている雑務を片付ける。親の様子もこの目で確認する。

それから、のことだ。

年齢とともに、いろんなことが面倒くさくなっているのは事実。誘われたら断らないようにしているが、外出しなくても退屈しない。読みたい本が山のようにあって、老眼が進んで読むのが苦痛になるまでに読み切れるのかと思うほど。観たい映画やTVシリーズは家でいくらでも観れるけれど、それよりも一冊でも多く本を読んだ方がいいだろうと思ってるから、なかなかその気にならない。

朝起きて、メールチェックして運動してシャワー浴びたらランチの時間。一人で食べてもよし、友達と会ってもよし。食料や日用品の買い物は週に2回程度。読書とnoteと編み物とNetflix。あっという間に夕食の時間になる。毎月か隔月でマンハッタンに一泊して、友達に会ったり美術館博物館で過ごしたり。春と秋には数ヶ月日本滞在。日本国内旅行。行きたい国はベトナムと台湾。もしかしたらギリシャも。年に数回は子供たちが帰ってくる。私が会いにいってもいい。

1日が始まって終わるのはあっという間だ。そんな毎日の繰り返しで、充実していると自信をもって言えるような第二の人生を送ることができるのか。

今年87歳と81歳になる親の介護だって、いつ始まってもおかしくない。そして10年もすれば、子供たちが結婚して落ち着く頃だろう。孫ができるかもしれない。

そうなるまでに、私が何かをしたくなるかどうか。

バイデンが79歳で大統領やれるのなら、私の体力も知力もあと20年くらいはきっと大丈夫だろう。だとしたら、あんまりだらだらのんびりしてる暇はない。ムスメが大学を卒業するまでに、進むべき道を見つけよう。

55歳の誕生日に考えたこと。






ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。