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Accountabilityのない社会で暮らすということ。

Accountabilityとは、自分の言葉や行動に責任が伴う、ということである。それがアメリカには存在しないと思うことが多い。

ムスメが歯科矯正用のretainerを新調することになった。水曜に型をとって、できるのが翌日と言われたが、フィッティングのアポが来週の火曜まで入れられないので、とりあえず受け取るだけ受け取り、調整が必要ならば火曜日に出頭する、ということとなった。

「明日(木曜日)完成したらすぐに取りに来ますが、お電話いただけるんですね?」と確認。

ところが、連絡が来なかった。金曜の午後からは大雪の予報。週末は当然オフィスは閉まるから、金曜の朝に電話を入れる。

「火曜にアポ入ってますよね。その時にお渡ししますよ」
「違います。昨日出来上がり次第お電話いただけるはずでしたが。それで試してみて調整が必要なら火曜に伺うということにしたんです。ピックアップできるんですか」

確認します、と言われ待っていると、やっぱりすでに完成していた。すぐに取りに行った。受付の女性は笑顔で、retainerを渡ししてくれる。

「くれぐれも、火曜のアポはキャンセルしないでくださいね。調整が必要なければ、必ずキャンセルの連絡入れますから」と念押しした。

こういうことが、しょっちゅうある。しょっちゅう、あるのだ。相手を信用できない。自分で確認する。案の定盲目に信用せずに確認してよかった、ということがしょっちゅうある。つまりは、相手の仕事を私がやってるようなものである。

そして、そのキチンと仕事をしなかった奴がなんの悪気もなく、ニコニコしている。なぜか。奴にaccountabilityがないシステムになっているからだ。奴は罰されないから困らない。困るのは、私の方だ。

そんなバカな話があるかぁっ!!

私は、といえば、ムスメに火曜のアポが必要かどうかを前日に聞き、必要ないというのでキャンセルを入れた。

が、自動的に送られてくるアポの確認テキストが、案の定来た。でもこれは無視する。こういうことが、しょっちゅうある。

まだある。アポの後に、保険会社に提出する領収書をEメールすると受付に言われたのだが、気がつけばまだ受信していない。ほぼ一週間たっている。電話して、また受け取ってない旨を伝える。

「じゃあ、今から送りますね」と屈託なく明るく言われた。

翌日、まだ来てないことに気がついた。

「昨日の午後に、すぐメールするって言われたんですけど、まだ来てません。メールアドレス間違っていませんか?変なところに送信されても困ります。」

そんなことまで私が心配しなきゃいけなくなるということが、わからないの
だろうか。電話に出た人は昨日とは明らかに違うから、この女性を怒鳴るわけにはいかない。これからメールするというので、今すぐですか?と追い打ちをかけた。すると、じゃあ今すぐ送るので、そちらで確認してください、と言う。追い打ちかけなかったらすぐに送らなかったのか、と呆れる。送ると言われたものが来ていないという電話をかけているのに、私が追い打ちをかけなければすぐに片付けてしまおうとまだ思わないのか。

25年ほど前に私が日本を出てから、手取り足取りの日本のカスタマーサービスは発展し続けた。日本のカスタマーサービス大好きな私ですら、そこまでしなくても、と思うことが多くなった。それに慣れている、それを当然だと思っている日本人が、アメリカに住んだら、どんな苦難が待ち構えていることか。英語ができなかったら苦情もいれられない。が、いれたところで、何が変わるわけでもないし謝罪なんてされない。むしろ、何をそんなに怒りまくっているのだと笑われ呆れられるだけのこと。期待値の違いである。

Accountabilityのない社会では、こうあるべき、こうあるはずという期待が裏切られ続ける。そのかわりに、ダメもとで言ってみる、頼んでみると、たまたま機転の効く担当に当たって、ラッキーってなこともあり得る。日本ではこういう宝くじみたいなことはないだろう。でも私は日本の方がいい。

私はオーストラリアや英国で短期で暮らしたことがあり、アメリカと程度の差はあるけれど、日本のようにはいかないことを知っている。アフリカやラテンアメリカ、東南アジアやロシアや中国がどんなことになっているか想像もつかない。おそらく住めない、と思う。

最近、想像力、についてよく考える。想像力がない人が多い。人や社会が多様化するにつれて、他人の気持ちを想像できない、世界の状況を知らない人が多くなってきたのが気になる。知らないくせに、なんでも知ってるかのように語る人が多くなってきた。Accountabilityがない場で言いたい放題できる世の中になったからだ。

日本の衰退を嘆く専門家の文章をよく読むが、日本人が得意なことにもう一度立ち戻ったらどうだろうか。欧米や日本に追いつけ追い越せとやってきたアジア諸国と比べて、ここが足りないここが弱いというのではなく、日本民族の強み、得意技を見直して、それを掲げていけないか。日本を日本人を日本文化を尊敬し憧れる人は世界に多い。

健康な食生活。
責任感があり、真面目で勤勉。
ルールを守る。
礼儀正しい。
謙虚。
優れたテクノロジー。
詳細への配慮。
手の器用さ。
常に、より良きものを求め、作ることに対する情熱。
改善に向かって決して絶えることのない努力。

要するに、一言でいって、細かいところまで神経が行き届き、責任感があってきちんとしている。

私は、30年前の日本のイメージで語っているのだろうか。もちろん、日本も日本人も時代の流れと共に変化している。武士のモラルで生きる日本人はもうほとんどいないだろう。が、世界の人々も同じようなスピードで変化しているのだから、全体的に比較的に、日本人はやっぱり上にあげたような点において、格段に優れている、のである。

私は日本人であることを誇りに思っている。それは日本の外で暮らしているから、という点が大きい。

コロナ禍で世界がぐっちゃぐちゃになって、これまでの常識が通じなくなって、うまく回っていたシステムの歯車が壊れ出したこの時に、企業がこれからどうしようと戦略を立て直す今だからこそ、日本はそこに戻ってみたらどうだろう。




ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。