見出し画像

読書。"The Widow's Son" by Bruce Steinberg

ムスメが「これ読むといいよ」とだけ言った一冊。

読み始めたら、ユダヤ人の子供たちが学校の他にユダヤ教を学ぶ教会のような学校にも行く。行かない子もいる。Rabbiとの会話がとても興味深く、ユダヤ教というよりも信仰について深く考えさせられた。

ムスメにいうと、「ね、オモシロイでしょ?でも宗教がテーマの本だって言ったらママ読まなかったでしょ」….そうかもしれない。

Paigeがクリスチャンで読書好きだから、読みながらテキストする。

「思いやりから善行を施す方が、神の戒めとして善行を施す方よりも重要なのだろうか」と、RabbiがBar/Bat Mitzvahを迎える子どもたちに問う。
「宗教的戒めを徹底して守る人たちよりも、ボランティアする人たちを敬うべきなのか」
「ボランティアで善行する人の方を、神の戒めにただ忠実に従う人よりも素晴らしいと思うか」

すべてこれらの質問の本質は同じ。
Paigeは「そう、それを常に考えているの」と言う。

どう思うかと問われて、私は答える。

「つまり、弱い人間で善行を施せないとき、神の戒めを思い出して善行するっていうことを示唆してるよね」
「そう。自動的に行動するようになるの、習慣的っていうか。だから何度も何度も練習して、どんなにストレスのある状況でも、自分の最善を尽くせないかもって思っても、自動的に自然にできるようになるわけ。体に染み込むっていうか。」
「うわぁ。なんかようやく少し分かった気がする。それ("It") が無理強いするんじゃなくて、手伝ってくれるんだ。」

「そう!そういう感じかな?」
「『強制する(force)』ってちょっと違う感じがするけど。だって歯がいじめになって逃げ場がなくなってるんじゃなくて、自分がそうしたい、んだものね」
「"It"って何を指して言ってるの?」
「信仰をもつこと、っていうか、神様?神っていう言葉、使いにくいのよ」

私にとっては神ってのは存在で、でも「信仰」って考えたら、ちょっとわかりやすいかも。信仰っていうのは自分自身が望んでることで、強制されてるのでも見張られているってことじゃない。神様は怖い存在に思えるんだけど、あなたにとっては怖くないのよね。むしろ受け入れられて愛されて許されてるって感じるのよね。

そして、Paigeはわかりやすい例を持ち出した。

ちょっとシンプルすぎるかもしれないけど。今年、私はthe yardstick clubっていう水泳グループに誘われて参加したの。自主的なグループ。このグループに参加する意義を持つには、ある程度の距離を泳がなきゃいけないでしょ。これだけは最低泳ぐっていう決まりがあるわけじゃなくて、自分が泳げる距離でいい。だからグループに参加してから、かなり一貫した距離を泳いでいるの。

泳いだ後気持ちいいからプールに行くのが楽しみな日もあるし、行くのが億劫でも泳いだら気分がいいっていう日もある。いやいや行って泳いで、やっぱり気分悪い日もある。でも定期的に泳ぎに行くから習慣になるわけ。グループ仲間が強制するわけじゃないけど、グループに所属することで気が乗らない時にも泳ごうって思える。

この例えがふさわしいかどうか自信ないけど、ちょとこれに似てるかな。気分が乗らない時でも自分にとっていいことだから、泳がなきゃっていう義務を自主的に受け入れるって感じ。

すごくよく分かった。こんなふうに信仰ってものを説明してくれた、説明できた友達はこれまでにいない。この後のやりとりで、直接話すんじゃなくて、テキストだから相手のコメントを読んでちょっと考える時間があるからいいよね、って言い合った。読み返すこともできるし。

いい本を読むと、必ず誰かと話したくなる。

Paigeは私よりもちょっと若いけれど、アメリカでの友人関係はほとんど年齢は関係ないのではっきり覚えていない。4人子供(男、男、男、女)がいて一番上がムスメの同級生。上の3人が高校生。4人ともスイマー。台湾系アメリカ人(昨今は、中国と台湾の区別をしっかりつけねばならぬ)のカップル。あれ?ご主人も台湾だったかな….うーむ。親は彼女を医者にしたかったのだけど、大学2年の時に「嫌だ」と宣言し、小学校の先生になった人。

小学生のreading specialistだから、いい本知ってるかなと聞いたら最初のおすすめがコレだった。

彼女との出会いは、私にとってお宝を探し当てたようなもの。会うたびに手料理をご馳走して、最低3時間は二人で喋りとまらない。





ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。