幹を眺めるひととき
さきほど、踏切で電車を待つことになったとき、ふいに訪れたひととき。
さいしょは、日陰があるので、桜の木の陰に入った。
電車がこないので、桜の幹を見ていた。
そうしたら、蟻が幹を伝っていった。
それを見ていると、幹も見れるようになった。
電車はこないけれども、ひとときだな、と思った。
踏切を渡ったあとのひとときと同じ価値のあるひとときだなと思った。
そこに静けさと、自然と、自分と、夏と、幹の筋を、感じた。
そして、何故このような感触になれる自分なのか、不思議に思った。
今朝、不思議とよく寝れたせいかもしれない。
まだ、食事をしていないからかもしれない。
そういう年齢になったのかもしれない。
夏だからかもしれない。
とにかく、いいひとときだった。
以上