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自分語り|うつ病になった話①

自分のことを発信できている時点で割ともう回復傾向にあるといってもよいと思っている(!)思ってはいる・・・のでメモ程度に供養とする。

自分にも周囲にも興味が完全になくなり、一日中気分が落ち込み、どんなに楽しかったことでも何をしても楽しめない、風呂に入れないといった精神的な症状に加えて、眠れない、食欲がない、頭痛が酷い、倦怠感などの当たり前に生活することが難しくなる身体的な症状もあった。

そんなうつ病になったきっかけや症状、当時感じていた、考えていたことについて、思い返して苦しくならない程度に振り返ってみようと思う。辛くなったらやめて好きな性癖発表ドラゴンになるか。(それもまた滑稽ではあるが)

社会人3年目!うつ病発症!

結論から言うと、直属の上司のセクシャルハラスメントが原因の一部だと思う。
出張中に手や太ももや腰、部署の飲み会で胸を触られたりキスされたり、家までついてきて腕を舐められたり、本当に酷いものだった。今思い返しても憎悪。
職場のお局に言わせてみれば「警察を呼ばなかったみかんちゃんが悪い」だの、被害者にすらなれないところであった。これまた傷ついたよね。でも当時は私が悪いのだなと受け入れるしかなかった。辛かった。
一度目はこのお局の意見を鵜呑みにし、私がアクションしなかったからいけないのだなと自分を責め続け反省し、仕事に直接関係の無い事だからな……と公私混同させたくないな……と思い、個人間でもう二度としないことを約束させ、文章として残させて終わっ(てしまっ)た。
今思えばそんなふうに私を守ってもらえない環境で働き続ける必要があるのかさえ疑問である。その時は、退職する勇気も転職活動する元気も、何もかもなかったのだろう。
周りの友人たちには口を揃えてこう言った。
「一度目で許しているのがおかしい」「会社辞めさせるか辞めちまえ」「地元帰っておいで」と。全く~~~~!その通りである。

入社してからずっと上司と同じ仕事をしてきていたので、部署内でも「みかんちゃんの上司なんだからしっかり面倒見て~!」と言われる始末で、傍から見たら仲良し部下上司に見られていたのだろう。実際、仕事に関してはお世話になっていたし、技術力も吸収するところが多く日々勉強させてもらっていたのは事実である。

しかし、それとこれは別の話。
公私混同、ダメ絶対。
ハラスメント、ダメ。
許してはいけない。

二度目以降の行為で私は少しずつ気づいた。

( 私は悪くないのでは…? )

そう、私は悪くない。被害者である。

言質LINE、今見ても嫌気がさすね

自分の部署の部長、人事総務部長、人事総務ハラスメント担当、常務取締役……
色んな人に相談した。でも事実がないから会社としては何かしてあげることができない。そうとも告げられた。元気な今なら自分のこと大切にしてもらえない会社辞めてやるって思えるけれど、当時はそうだよね…写真も動画も目撃者もないもんね…とまた自分を責めた。

出勤すれば隣の席、仕事をするにも同じプロジェクト、会社に行くことが苦しくなり数日在宅勤務をしていた。
親交のある同部署のA先輩にはすべてのことを話し、一緒に考えてくれたり傍にいてくれたりした。関係のない人間に対しても恐怖心があった私でもA先輩だけはずっと味方でいてくれて本当に心強かった。私、A先輩、セクハラ上司の3人で同じプロジェクトを遂行していたことも多かったので仕事上申し訳ないなと思いながらも、「そんなことどうでも良いから、私に吐き出しなさい」と先輩は言った。言い続けた。
その時、私がどうしたら幸せになれるか一緒に考えたときのメモの一部。

A先輩直筆、みかんのハッピー人生計画案

普段よりさらに自分に自信がなくなっていた私は、「自分が悪いのか、自分がいるからいけないのか」と、ものの見方や考え方がさらに否定的になっていた。
A先輩はそれを全否定し、「みかんは被害者、何も悪くない、私はずっと味方だからね」と、何度も何度も寄り添い繰り返し伝えてくれた。人に恵まれているね・・・。

訴えてお金をもらってしまったら、払えばこの件は終わりとなりこちらからこれ以上アクションすることはできなくなる。お金は貰えるものなら貰いたいのも事実だが、お金が欲しくて訴える訳では無いのも事実であった。
実刑にしていくには、フラッシュバックしたりすることも加味して、証言するために何度も現場検証しなければならない。事件化って難しいよね。
相手に何を求めるのか、はたまた相手のことを考えるだけで精神的に厳しくはないのか。
自分はどうしたいのか、どうありたいのか。

たくさん考えなければいけないのに、自分で判断することも自分の意思も何もない。こういうのを『虚無』というのだなと身をもって痛感した。

一旦、勤務地変更と同プロジェクトから離脱を条件として働き続けることとなった。今思えばそこまでして働くのは自分でもおかしいと思う。しかし、仕事に罪はなかった。今の仕事は大変なことももちろんあるが楽しいしこれからもっと成長したいと思っていた、幸い仕事は好きだった。その思いだけでなんとか踏ん張っていたと思う。
仕事が好きになれたのも上司の影響が全くないわけではない。立場、ステータスを利用して近づいてくるのも実に腹立たしい。憎らしい。癪に障る。

物理的距離が離れたところで同じ会社にはいるし、社用車や自宅を見れば思い出してしまうことも多かった。

自分がダメな人間だと感じてしまうことも多くなり、何に対してもつらく感じてしまったり、イライラしたり、焦ったり…希死念慮もなくはなかった。

思いの丈をつぶやいているね、なんだかなあ

数日経って、精神的な症状だけでなく身体にも不調が現れてきた。
・食欲がでない、食べられない
・睡眠欲もない、眠れない
・性欲もない
・頭痛がひどい
・動悸と息苦しさで呼吸がしづらくなる
・吐き気がすごい、嘔吐する

思いつくだけでも常に上記症状に襲われ続けていた。
仕事をするどころか生活するのも難しくなってしまい、不安しかなかったが休職することにした。詳しい休職の話は改めて書くね。特にお金の面では不安しかなかったな。

自己紹介で書いた通り、私は今東北地方で一人暮らしをしているので、療養のために実家に戻ることにした。

実家の居心地は良いものではなかったが、うつ病の原因であるところのストレスから物理的に離れた環境で過ごすことはよいことであったのだと思う。実家もストレスではあるので、部屋にこもってずっと横になっていたが。

地元の心療内科を受診するにも、母親は知り合いの病院には行きたくないと、病気である娘を穢れと思っていたのだろう。私のせいで「○○さんの家の娘さん、うつ病らしいよ」と言われたくなかったのだろう。私の体調よりも自分が周りからどう思われるかの方が大切なのだなと、これまた消えてしまいたいと思った。もちろん親には親の人生があって私のために生きるわけではなくて、親の人生に新しい登場人物として出てきただけなのかもしれないけれど、除け者だなと哀れに感じた。

治療は、薬物療法と精神療法で進めていった。
休職中は自分は何もできないのだなと落ち込んだり、意味もなくたくさん泣いたり、イライラが止まらなかったり、自分のことをだんだん嫌いになっていった。

ずっと涙が出ていたとき、医師には「泣けてるだけいいよ」と言われてそうか心を殺しきれてないから他に比べたら私は元気の部類だよなと言われたような気がしてまた自分に対して嫌悪がすごかった。お医者さんもそんなこと思ってないだろうにね。

振り返れば『今思えば○○だな』のオンパレードで、一日一日生き抜くので精一杯だったんだねと自己発見した。

今日はこのくらいにしておく!(ちと辛くなってしまったので)

メンタルが安定している人のほうがよいに決まっているし、今はにっこり笑顔で頑張らないようになんとか生きるか~~の心意気!

今日もチョコレート食べてにっこりです。

途中で書くのやめたけれど好きな性癖発表ドラゴンもまた今度ね。

みかん

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