見出し画像

私の友達

引っ越しをすることになり十数年働いた老人ホームを退職する。毎日のように顔を合わせていた約50人の愛するおばあちゃんたちと会わない生活を目の前に実感がなく、気持ちは湿って小さなため息が多くなった。

ハコちゃんと愛称で呼ばれる95歳のおばあちゃんは私の推しである。
私がオギャァと生まれた時にハコちゃんはすでに40半ばだった。
ハコちゃんはなんて長生きなんだろう。

おかっぱ頭のハコちゃんは元美容師だ。
目もとがどことなく自分に似ているようで、親近感を感じる。彼女は逸脱した物覚えの悪さや突拍子もない勘違いはあるものの、毎朝のフルメイクは欠かさずメイク道具をしまい込んで見当たらないと、この世の終わりと言う表情を見せる。眉墨が見当たらないと言って眉毛のない麻呂のハコちゃんと2人で何度も家捜しをした。洗濯物の山の中から眉墨を見つけてハコちゃんに自慢気に見せると、「あ~良かった。あなたは天才ね。良く見つけたわ。っで、なんでそんなところあるのかしら?」
なんだかんだとありながらも、美容に対する向き合い方は現役だ。

ここ数年、私は髪を切ると決まってハコちゃんに評価を求める。車椅子に座るハコちゃんの隣しゃがみに目線を合わせてから右へ左へ頭を振る。
「ハコちゃん、今回の髪型は何点?」
ハコちゃんは私の襟足や前髪をじっくり見つめ
80点とか75点とか何基準か不透明な採点をくれる。そして「もうちょっと前髪は残して、後ろはもっと軽くカットね。」とアドバイスは欠かさない。退職直前に同じようにハコちゃんに髪型チェックをしてもらったところ過去類を見ない100点を獲得した。
満点をもらったのに、胸の奥からジワりとした淋しさが滲んですこし苦かった。

ハコちゃんは何でもすぐ忘れるし、何度も同じことを聞くし、夜は火事なんか起きてないのに火事だと叫ぶ。
しかし私が連休を取るとすぐバレる。
数日ぶりにあいさつをすると「しばらく見なかった。どこに行ってたの?何をしてたの?顔を見ないから心配しちゃう。」とあいさつそっちのけで矢継ぎ早の質問責めだ。私は勝手に家族の安否確認みたいなものかと思い込んでいた。しかし、人が考えることは聞いてみないと分からないモノなのだ。

ある時、連休明けの私はハコちゃんに質問する。
「ハコちゃんはなんでそんなに私の事を心配するの?」

彼女はジッと私の顔を見つめて迷いなくこう言ったのだ。

「だって、友達だもん。」

ハコちゃんのまっすぐな眼差しに言葉が震えた。ハコちゃんの気持ちが分かってハッとした。
この年になると、やれ子育てだの親の介護だのと忙しいイベントが立ちはだかり新しい友はなかなか現れない。
でも私の新しい友は数年前から身近に存在していて、穏やかなタレ目のクシャっとした笑顔で私を心配してくれていたのだ。
ハコちゃんは私のちょっとの淋しさを敏感に感じ髪型に100点をくれて、友達と呼んでくれたのかも知れない。

逸脱した忘れっぽさとは比べようもないくらい、ハコちゃんは人の気持ちの変化を逃さず受け取ってさりげなく包み込む力のある女性だ。
それは美容師として培った経験と見る眼が備わってこそ発揮させるパワーである。

ハコちゃんは80歳を超えてなお1人で美容室を切り盛りし、地域の結婚式や成人式では着付けやヘアセットを一手に引き受け大活躍だったとハコちゃんが施設に入った日に息子さんが自慢気に話していた。
私がハコちゃんの年になるまであと50年もある。気が遠くなるし、そこまで長生きするか想像はつかないが、その頃までにはハコちゃんのような愛嬌と知性を兼ね備えたい。

ハコちゃんは私の友達である。


この記事が参加している募集