国宝 鳥獣戯画をみた
実家の本棚にその本はあった。
パラパラめくると墨で描かれているモノクロの動物たちが、まるで人間のように動き、本の中で生き生きとした生活を繰り広げていた。
腹を抱えて笑うウサギ、おどけて見せるカエルが印象的だ
それは、京都の高山寺にある国宝、鳥獣戯画の画集。
本好きの父が自慢げに、「千円だと思って注文したらさぁ、一万円だったんだよぉ」ですって。
鳥獣戯画が東京に来るというとこを教えてくれたのはテレビだった。しかし、開催直後の緊急事態宣言で、あっけなく国立博物館は休館。
ウサギやカエルも上京早々の長い春休みに間が抜けただろうか。しょんぼりしたおちょぼ口が目に浮かんだ。
いや、思いがけない春休みに博物館の中を自由に遊び回ったかもしれない。
開館に対する国と都との相違などで二転三転がありながら、6月1日から公開を再開すると知り、待ってましたとばかりに私は国立博物館を訪れた。
鳥獣戯画は平安時代から鎌倉時代に描かれた4本の絵巻物だ。マンガの原点と言う人もいる。
そのすべてを公開するということが今回の目玉だ。
有名なウサギやカエルが登場するのは甲巻。
10mを越える絵巻物で、観覧者が立ち止まらないように絵巻物の前には同じ長さの動く歩道が設置されており、観覧者はその動く歩道に乗りながら観覧する。
動く歩道は、なかなかの速さがあり忙しい。
画集で見慣れていた動物たちは歴史を感じさせない若々しいタッチで描かれ、インスピレーションの赴くままに筆を走らせたように、軽快な筆さばきの絵描きの姿を想像させた。さっき描いたのかと勘違いしそうなほどの新鮮な輝きを放っていた。
残りの乙巻、丙巻、丁巻は動く歩道に乗らずにゆっくり鑑賞できる仕組みになっている。
印象的だったのは丁巻だ。主役が人間の丁巻は、人間臭さを観察している気分になる。
曲芸をしている人、それを見て笑う人、真剣なやぶさめ、ゲートボールのようなスティックを豪快に振り回している集団、丸太に綱をくくりつけて大勢の男たちが引っ張って、途中で綱が切れてしまいズッコケている人たち、お経を唱えているお坊さんの側で集中力が切れてしまって、つまらなそうに明後日の方向を向いてしまっている人、表情豊かな人間たちで溢れていた。
墨で表情されているのに色鮮やかさを感じる。
実家にある画集では感じることが出来なかった作者の勢いと、丁巻を描いた作者は、人間の愉快な一面の目撃者であったという説得力があった。
私は思う。
長い年月をかけて今に存在するモノに触れ、自分の時間をそのモノと共有することは人間としての財産になる。
外出自粛が呼びかけられている昨今だが、ただ生きればいいのではなく、目に見えない良質な財産を築きながら生きたい。
こんな熱い想いをnoteに書き留めている一方、本好きの父といえば、「鳥獣戯画なら我が家にあるから、いつでも見に来てよ」ですってよ。