医者が病院を辞めた後①

ピピピピッピーーーー!!

うっかり外に出てしまい、驚いて飛び去った飼い鳥の叫び声

それにコンラート、今君の言ったことだが、私は全部君と同じ意見だ。

コンラート・ローレンツのと対談にて カール・ポパーの言葉
「未来は開かれている」より

My brain is open!

ポール・エルディッシュ

豊かで、危険で、鮮やかで、残酷で、流転する世界へようこそ。

僕は今、医業としてはわずかに仕事を趣味として行っているにすぎません。
ほとんどは、物思いに耽ったり、運動と読書と勉強と散歩しながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。

僕が病院を辞めるまでの分析は、以前11回のエッセイでお話ししています。
今回からは、病院を辞めた後、どんなことが起きたのか、いくつかのトピックに分けて語っていこうと思います。

おそらくはほかの人と同じ世界を生きているでしょうが、
僕から見えている景色は全く違います。

まず起きた変化は、世界からの情報に圧倒される、です。

何を言っているかわからないと思います。

僕はパートナーの上司の定年退職に合わせて、2月末に退職しましたが(有休が1ヶ月も残っていないから出勤してほしいと言ってきた人事の電話は切った)、1ヶ月間は何もしないことにしました。

始業時間も、こなさなきゃいけない仕事量も、打ち合わせも、呼び出しコールも何にもなくなりました。

宇宙空間に放り出されたような感覚です。

今まで秩序だったものが消え、その代わり、自分のコンディション、街の風景、ありとあらゆるものが見るたびに変化しているように見えます。
覚醒剤を打ったことはありませんが、おそらくこれに近いのでしょう。

自分が力不足で誤診した症例を経験した時この知識を勉強しなくてはいけない、
ほかの人の仕事の質と比べてここが弱いなど、
自分で設定した限界やルールが消滅します。

やがて、数年間やってきた診断の仕事の記録の整理にとりかかりました。
部屋を埋め尽くすほどの医学書の整理もありました。(崩れてきて、負傷しました。)

辞める直前から、自分の記録した症例のその後を確認する作業を始め、土日も費やして、なんとか全部追跡することができました。

今振り返って分析すると、
記録した症例や、その後の情報で僕は頭の中であれこれ考えていましたが、
それすらも現実を切り取ったほんのカケラに過ぎないということです。

これでもなんなのかわからないと思います。
簡単な例を挙げましょう。

病院で内科の医者をしていたとしましょう、
診察室で、患者の症状を聞いて、病気を想定し、検査を組み立てたとしましょう。
カルテに、患者の訴え、診察や検査の結果、どんな病気か、どんな治療を行なったかを書いていきます。
で、しばらくして受診してもらい、どうなったか評価して、治ったり、治らなかったら別の検査や治療を継続したりするわけです。
記録して、治っていたらニヤニヤしたり、教育症例と称して研修医に自慢するのに使います。

でも、記録は、あくまで抽出です。

この症例には、患者の食事や生活もさることながら、どのように変化したのか、していくのかという情報ベールに包まれています。捕捉されていない方が圧倒的に多いです。

人体の中で大量に起きている変化が、人間では全て認識できないため、圧縮しているだけです。
その借景で、朧げな知識を使ってこねくり回しているような感じです。

僕は、さまざまな出来事について心を開いていた”つもり”でしたが、
それすらも、圧縮され、パッケージ化されたものの上に描かれていたということに気づきました。

逆にいうと、規則性がなく、途方もない数で、時間とともに変わっていくような世界や情報に対して、僕たちは処理できないため、
ある程度は定型化したことが起こる、変化しないとする、という幾つかの仮定がないと、
認知処理に負荷がかかり過ぎて、気が狂ってしまうからだと思います。
僕はもちろん気が狂ってしまいそうな方が好きですが、僕の鳥は外界の広大さが好きではなかったようです。(幸運にもやがて家に帰ることができました。彼は近くの人間に助けを求め、交番に連れてこられていました)

そして、しばらくすると、人間の認識に合うように、加工する行為が繰り広げられていることに気づいてきました。特に医学の世界では。これはまたの機会にお話しします。

医者が診ている患者にも、医者に言わない(言えない)事情を無数に抱えているように、
皆さんの住んでいる世界は、皆さんの見ているようなものでは決してありません。

続く