最高権威による間違い 〜死がある意味〜

ルドルフ・フィルヒョウは19世紀を代表するドイツの医学者。

若干35歳でベルリン大学の教授を務め、「すべての細胞は細胞から生まれる」という説を提唱し、白血病の発見などを成し遂げ、細胞病理学(細胞から見た病気の成り立ちを研究する学問)を完成させた人です。

がんは刺激によって発生するという説を発表したのも彼です。

左鎖骨上(鎖骨の上)リンパ節腫大は彼の名前を取ってウィルヒョウリンパ節と呼ばれています。

医学の世界を大きく発展させた偉い先生で当時の最高権威でした。

そんな最中、ハンガリーの医者センメルヴェイス・イグナーツは、病院で出産した妊婦の死亡率が高いことに悩んでいました。産褥熱と呼ばれていました。

彼は、綿密なデータ収集と、分析を行いました。
その結果、どうやら死んだ妊婦の遺体を解剖した時に、「手についた微粒子」によって、病気が患者の遺体から別の患者へと移されていると結論づけました。

(解剖で、誤って自分の手を傷つけてしまった同僚が、妊婦と同じような症状でなくなっていったからです)

そこで、解剖し終わった後、次亜塩素酸カルシウムで洗浄することを徹底し、なんと死亡率を0%にすることができました。

今日、この微粒子は細菌であることがわかっていますが、当時はわかっていなかった。

この結果を会議で発表したところ、大反対に遭いました。その中にはウィルヒョウもいました。

晩年のウィルヒョウは保守化していたわけですね。

人類の歴史を、発見の歴史としてみると、こんなのばっかりです。

最初は素晴らしい業績を作って時代を切り開くが、年齢を重ねるにつれ、自分の考えを変えることが難しくなる。周りも間違いを修正できなくなる。

そして、重鎮が死んだ後、影響力から解放されて、議論がリセットされ、客観性を帯びた議論が展開される。

その中でまた新しい発見や考え方が出てくる。

老化し新しい考え方を受け入れられない人が消えないと、人類としては前に進めない。死の意味は一つここにあるのかもしれません。

そうなると、こんな考え方も出てくるかもしれません。新しい時代を切り開く能力や発想と、年をとっても自分の考えを変えうる柔軟性は別のもの。
後者は行動で維持できるのではないだろうか。

参考文献
宇宙創成 サイモン・シン
https://www.amazon.co.jp/宇宙創成〈上〉-新潮文庫-サイモン-シン/dp/4102159746