脳で描くことで良い絵を量産できないか

絵画の歴史は、さまざまな切り口がありますが、神経科学的にいうと、画家がみえた像をどう表現するかを追い求める研究の軌跡です。

で、それを見た人が、画家の見た像を理解するという感じと捉えるとわかりやすいです。
https://www.amazon.co.jp/見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンス-岩田-誠/dp/4130633147

この絵好き!といった情緒的な要素を抜くと、平面で表現した像を見ることで、頭の中で再構成され理解できるというプロセスになるのかなと考えています。なんらかの根拠がある話ではありません、経験的な話です。

美大とか行く人の話によると、絵画を描くにはまずデッサン力が必要で、高校生などは、美術予備校でひたすらデッサンをしまくります。美大や芸大の受験でもデッサンを課せられるそうです。

実態は、ほとんど描きまくる、お互いの絵を盗み見ながら切磋琢磨するが実態のようです。

特に日本では、美術教育の明確なメソッドは確立されていないようです。
https://www.amazon.co.jp/絵はすぐに上手くならない-成冨-ミヲリ/dp/4779121183

巷では、漫画の人物の描き方、絵の描き方を指南する本やレクチャーが溢れています。

本当にメソッドってないのかというのが疑問です。

漫画の表現を見ていると、ある程度集約化されている気がします。

脳で捉えたものを、画材や色といった表現の特性に合わせて選択し、人間が見たときにイメージを想起しやすくするような表現にするには、そんなに取り止めのないものでしょうか。

僕の考えですが、
デッサンも含めて、脳の作用についての理解が乏しいので、
とりあえず、練習ありき、たくさん描きまくって、見よう見まねという世界になっているのではと思います。
運動やスポーツ、勉強の世界でも往々にやってきたことですよね、特にこの国では。

脳がイメージを捉えるには、環境の物体の規則性によって、学習されていくと思われます(詳しい人教えてください)

※同じ像を何回も見るという学習過程がないと、視力が回復しても見えないことは報告されている
「視力の臨界期」

https://www.jasa-web.jp/general/medical-list/amblyopia

となると、物体の捉え方に規則性やパターンがあるわけで、(現在のComputer vision、ディープラーニングの技術もこれを模倣している)

情報を落とした二次元にした場合も、特徴的な表現をすることによって、実際の物体の捉え方の規則性やパターンを呼び起こすことができるはずです。(というか、漫画とかその技術の塊みたいなものですよね)

であれば、ある程度脳が認識しやすい、表現のパターンをまとめることができる。
まとめることができるのであれば、教育することも可能ではないかと考えています。(あくまで仮説)

僕は自分で考えて、デッサンを自分で自分に教えたこともありました。

全然美術の先生に教わったやり方と違うんですよね、
簡単なやり方では、目の上に格子座標をVRみたいに敷き詰めて、距離を計算し輪郭を取っていく、
加えて、視点からの奥行きの距離の情報を入力して、平面に描いていく
といったことです。
それで描けるんですよね、ある程度は。

それから、デッサンができなければ、ちゃんとした絵が描けないというのも、真実かどうか疑わしいです。

iPadで写真をトレースして、あるいはアプリを使って、完璧なデッサンを作った後、着色や色を選ぶことに注力すると全く違う絵が描けるのではないでしょうか(実際そうやって描いた水彩画があったりします)

つまり、デッサンの能力がなくて、色や質感の表現に長けた人は、今まで絵を描くことに介しては足切りだった。しかし、技術の力で乗り越えて、見る人に訴える絵は作成可能ではないかという疑問です。

それはそれでアリなんじゃないかという仮説を持っています。

計算は間違うけど、プログラムコードを書くことで、数学ができるの同じです。

(そうなると、そもそもデッサンの位置付けは変わってくるかもしれません。
描き手が、対象の立体形状や質感を理解するためにデッサンする必要がある、とか。)

絵を描く、一つとっても、人間自体(ここでは、脳や学習)に洞察と理解を深めることで、さらに多彩で素晴らしい作品を生む素地を作ることはできないでしょうか。


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この本は近いことがかいてありますが、
学習過程の理解に乏しい人が主に経験から書いているので、全然物足りないです。
もっと、知見のある人がいたら、是非教えてください。