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悪口を言わない


マシュマロありがとうございます。こういうのすごくうれしいです。文章を好きっていってもらえるのが一番うれしいです。

悪口を言わないというは私のプロフィールに書いてある言葉ですよね。ただ悪口を言わないように特別意識しているつもりはなくて、なんとなくで決めた言葉だったりします。だからどこかで言ってることはあるかもしれません。

悪口というのは悪意のある言葉のことだと思っていて、悪意がなければある程度のことは許されていいんじゃないかと私は思っています。悪意のない発言に対して、悪意を持って言葉を投げかける人をネットの炎上なんかではよく見ますけど、私は後者の方が断然嫌いです。

誰かに対して悪意を向けないというのが私のモットーなのだと思います。もちろん苛立つことや、理解できない人はいます。それでもその人たちに対して悪意を向けないということを徹底しているのかもしれません。

以前、私の好きな人がなかなか大きな炎上をしたことがあって、そのときは本当につらかったです。誰が見てもそれはいけないね、ということだったので、怒られるのは仕方ないと思うんですけど、明らかに悪意を持って言葉を投げている人の数が多すぎる。

死ねみたいな論外な言葉は置いておいても、そうじゃない「私はあなたのことが気に食わないです」みたいな、悪いことをしたのだから傷ついてしかるべきだという言葉が多くて、いったいこれはなんなんだろうって思いました。

別に悪口を言うなと説教するつもりはないけれど、私は言わないというだけです。それは私の中にある善性のようなものを守っていきたいのだと思います。悲観的ですけど、悪いことをしてまで生きるほど、この世界は美しくないと思ってるんですよね。これは私のある種の人生観だと思います。

悪いことをしないということが強さだと思ってます。

ふと思い出したんですけど、小学校のころ、グループで作業?をしていたときに班の女の子が急に何の前触れもなく泣き出してしまったことがありました。泣くようなタイプの子じゃなかったし、心当たりも全くなかったのでみんな驚いてました。

先生が話を聞くと、静かにしてなきゃいけないタイミングで私たちがふざけていて、そのノリをその子に強要してしまったみたいなんです。それで「私が正しいのに、私が間違っているみたいな雰囲気になってしまった」と泣き出してしまったということでした。

泣いてしまったのは、私たちを責めたいわけではなく、どうしようもなかったということでした。それで班のみんなで彼女がいる隣の部屋に行って、謝って仲直り?しました。でもそのあとやっぱり気まずい空気が流れてしまって、その子もどこか申し訳なさそうでした。

それを感じてかわからないですけど、さっきふざけてた男の子が、そこでもう一回ちょっとふざけたんです。それに私たちが便乗して一緒にふざけました。それを見た女の子が笑ってくれたのがすごくうれしかったです。

なぜかそんな話をふと思い出したので書いてみました。そのとき、私は彼女に対してすごいな、強いなって思ったのを覚えてます。あとその子に笑うんだとも思いました。

言葉観というテーマに戻ります。

言葉ってナイフに例えられることが多いですけど、私は言葉は爆弾なんじゃないかって思います。周りにいる人を容易に巻き込んで傷つけるし、何なら自分だって巻き込まれて傷つく。

でも爆弾って必ずしも悪い例えで使われるわけでもないじゃないですか。パッと例えが出てこないんですけど。別に私は言葉のやさしい爆弾でみんなを幸せにするぞ、みたいな思いはありません。ただ言葉はそういうものであると、意識して生きていきたいとは思っています。

最近気づいたんですが、意外と多くの人は言葉を私たちほど重要視していないというか、たかが言葉じゃんくらいの気持ちで使っているように思えます。それが良いとか悪いとかじゃなくて、私は言葉を大切にして生きていくというだけ。

だから嘘はつかないし、悪口も言わない。

マシュマロ


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