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忍辱 第十二場

■第十二場
 前場の翌日午前11時。琴吹町の隣町にあるホームセンター。レジにとても長い行列ができていている。列がなかなか進まず、みなイライラ顔。店員の小川と石田は行列にあっけにとられている。小川の近くに、店員専用の電話機がある。石田の背後に、客の高橋が腰をかがめながら特価品コーナーの値段を見定めている。
 ホームセンターの隣は、佐藤夫妻が構える小さなコンビニ。夫婦で店に立っている。暇そうな顔。客は一人もいない。
石田 「昨日のテレビの影響ね。みんな防犯スプレー買ってる。」
小川 「そりゃあ、みんな怖いもんね。わたしだって買いたいよ。」
 長谷川(妻)が店に駆け足で入り、高橋の腰に接触。高橋はよろけて倒れる。
長谷川(妻) 「すみません。」
 長谷川(妻)はそれだけ言うと、倒れる高橋に気づかず、店の奥に走っていく。小川と石田が駆け寄り、高橋を助け起こす。
石田 「お客様、大丈夫ですか? 」
高橋 「いたた。‥なんなの! もう! 」
 顔をしかめながらも高橋はゆっくり立ち上がり、憤然としてその場を去る。
 長谷川(夫)が店に速足で入ってくる。
長谷川(夫) 「おおい、走るなよ! あったか!? 」
長谷川(妻)「あった。でももう殆どない! 3個買うね? 」
 石田はおずおずと聞く。
石田 「あの、お客様。」
長谷川(夫) 「はい? 」
石田 「ひょっとして、防犯スプレー、お買い求めでしょうか? 」
長谷川(夫) 「そうですけど? それが何か? 」
石田 「あの事件の影響で、たくさんの方がそのスプレーを購入されてます。大変申し訳ないのですけど、購入はご一家で一個のみとさせていただいております。」
長谷川(夫) 「なんだって? そんな決まりあったか? 」
石田 「はい、売り場の方に、張り紙もさせていただいております。申し訳ございませんが、ご了承ください。」
長谷川(夫) 「ええー。‥でも、それはダメだよ。うちには年頃の娘が3人もいるんだ。例の事件で、女性ばかり被害にあってるだろ? もしうちの娘が襲われたら、どうしてくれるんだ。あんた責任、取れんのか? 」
石田 「お気持ちはわかります。でもこの町には他にもたくさん女性の方がおられます。その人たちのことも考えていただきたいのです。」
長谷川(夫)「それは、‥仕方ないんじゃないか? ‥この町の人数分、スプレー仕入ればいいんじゃないか? 」
石田 「早期に入荷する予定でありますので、なにとぞ今回は一個にて、お願いしたく。」
長谷川(夫)「いや駄目だ。犯人は今日襲ってくるかもしれないんだ。手遅れになったら意味ない。あんたも女性なんだから、怖いのはわかるだろう? 」
 石田は言葉に詰まる。それをしおに長谷川(夫)は立ち去って店の奥に。
 そこに電話機が鳴る。小川が取る。
小川 「はい、田畑ホームセンターです。‥はい、‥はい、防犯スプレーですよね? 今大変在庫が厳しい状況ですので、お取り置きは出来ないんです。はい、まことに申し訳ございません。‥はい、‥いえそれは。‥はい、そう言われましても、‥大変申し訳ございません。」
 しきりに頭を下げながら電話を切る小川。たちまちまたかかってくる電話。
石田 「小川さん、もうだめだよ。電話放っておいて、レジの応援にまわろ。」
 そのとき、買い物をすませた岸本がカートで石田の脇を通る。岸本は怖い顔で一心に前を見ながら重そうなカートをひいている。カートにはたくさんの防犯スプレーがあるのが見える。あっけにとられる石田。
小川 「あのお客さん、張り紙出す前に買ったのね。」
石田 「張り紙、ついさっき出したばっかりだったから。‥でもなにもあんなに買わなくっても。」
 レジで並んでいる人が、小川と石田に文句をつける。
前田 「すみません! あの人なんですか? 死ぬほどの数買っていきましたけど? 一人一個って決まりなんですよね? 」
村上 「不公平じゃないですか?! うちは五人家族なのに、一個しか買えてないんだよ?!」
青木 「どういうことなんだ?! ちゃんと公平に売れよ! 」
酒井 「あのう! こっちは、レジでずっと待ってるんですけど! そんなところにぼさっと立ってないで、さっさとレジ応援行ったらどうなんです!? 」
 あちこちから攻め立てられ、かえって動けなくなる小川と石田。そこに店の奥から近藤があらわれる。
近藤 「ちょっと店員さん! 防犯スプレー、もう売り棚にないんだけど? 」
小川 「もう売り切れになってしまったんだと思います。申し訳ございません。」
近藤 「在庫、出してきてよ。」
小川 「在庫もありません。普段そんなにたくさん売れるものではないので。」
近藤 「じゃあ次はいつ入荷するの? 取り置きしたいんだけど? 」
小川 「お取り置きはできないんです。申し訳ございません。」
 近藤はいらいらして大声になる。
近藤 「じゃあどうすれば買えるの?! 」
 そこに、柴田が店の奥から現れる。
柴田 「店員さん! 防犯スプレー、もう売り棚にないんだけど? 」
酒井 「あの! レジでずっと待ってるってさっき言いましたよね?! 何してるんですかもう! 」
近藤 「ちょっと、今わたしが話してるんですから後にしてくれませんか? とにかく買えるようにしてくださいよ! それがあなたのお仕事ですよね? 違います? 」
 石田と小川、耳を塞いで座り込む。
 佐藤(夫)は、店先に出て、隣の様子を見ている。
佐藤(夫)「お客さん、みんな、あっちの方に入っちゃうなあ。多分防犯スプレーだろうな。」
佐藤(妻)「売り切れてるだろうね。もうネットで買うことにするよ。」
 佐藤(妻)はスマホを見て、指を動かす。
佐藤(妻)「うわ。昨日のテレビに出てた容疑者、顔写真と名前出てる! うわ家族まで? 」
佐藤(夫)「ええ? おまえまたそんな変なサイト見て。」
 佐藤(夫)もそう言いながら、興味津々で妻のスマホの画面をのぞく。
佐藤(夫) 「‥おだやかそうな人だけどな。」
佐藤(妻)「見かけじゃわかんないよー。」
佐藤(夫) 「あああ、顔を見たら見たで余計にこわいな。早く逮捕されればいいのに。」
 そこにふらりと唐玄が入店。佐藤(妻)が気づいて、唐玄に近づく
佐藤(妻) 「いらっしゃいませ。何かお探しですか? 」
唐玄 「ここってお酒、おいてますでしょうか? できれば日本酒を。」
 佐藤(妻)が唐玄の顔を見る。一瞬いぶかしげな表情をしていたが、やがて恐怖に変わり、夫に向って叫ぶ。
佐藤(妻) 「え! うそ! ちょっと! 大変! ウチに来た! 」
佐藤(夫) 「何だ? お客様の前で。」
佐藤(妻) 「犯人! 犯人! 」
 佐藤(妻)はあわてふためき、レジ横にある消臭剤(ファブリーズのようなスプレー)を手に取り、唐玄の顔目掛けて連射する。唐玄は消臭液をまともに浴びて顔をゆがめる。
佐藤(妻)「出ていって! 通報するよ! 」
 しかし、唐玄は右目に消臭薬が入り激痛。その場にうずくまる。
佐藤(夫) 「おまえ、何かけたのよ? 」
佐藤(妻) 「え? 消臭剤。」
佐藤(夫) 「おい! そんなもん顔にかけるな! ‥すみません、大丈夫ですか? 」
 唐玄は立ち上がる。佐藤(妻)はぎくりとするが、唐玄は手で目をおさえる。少し怒りの顔をしたが、思い直して無言で立ち去る。
 ホームセンター店。一時の混乱は収まったが、列はまだ並んでいる。電話はひっきりなしに鳴っているが、誰もとらない。客も店員もイライラ。石田と小川はレジに立っている。
 そこに、絹代が現れる。トートバッグを持っている。
 石田は絹代の顔を見るなり、つかつかと絹代の前に立つ。
石田 「恐れ入ります。粟田様ですよね? ご退店いただけますでしょうか? 」
絹代 「‥は? 」
 若干の間。
絹代 「もう閉店? 」
石田 「いえ、あなたがたには、お売りできません。」
絹代 「‥え? ど、どうして? 」
石田 「店の安全を守ることができません。即刻退店ください! でないと通報しますよ! 」
 石田は悪鬼のような表情で絹代の背中を押す。小川も加わる。
絹代 「なにするの? 痛い。あ、あなたたち気は確かですか? 」
石田 「これが今わたしたちができる仕事なんです! お客様に対する責任なんです! 」


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