なぜ「なぜホロコーストの犠牲者であるユダヤ人がパレスチナ人を虐殺するのか?」と問うのが偽善なのか?⑤

6.現代にも生きるシオニズムの基本原理と「ユダヤ人遺伝子」への執着

 ここまで筆者は、シオニズムの歴史を駆け足で振りかえってきた。シオニズムの開祖であるテオドール・ヘルツルを動かしていたのは、反ユダヤ主義との癒着と、同化ユダヤ人への蔑視の両輪だった。
 ヘルツルは1904年にこの世を去ったが、彼の打ち立てた基本原理を後世のシオニストたちはしっかりと受け継いだ。反ユダヤ主義との癒着と、同化ユダヤ人への蔑視は、ナチスドイツ期によく見受けられた。彼らはハーヴァラ協定でもってナチスの躍進を後押ししていたし、同時にヨーロッパで殺戮されていったユダヤ人に同情をまるで寄せていなかった。パレスチナにやってきた生存者についても、いたって冷淡な態度で遇していた。
 イスラエルが建国すると、最初蔑視されていたホロコースト生存者の待遇は少しずつ良くなっていくが、一方で国外に居残りつづける同化ユダヤ人への蔑視がなくなったわけではなかった。それは反ユダヤ主義との癒着についても同様で、シオニストは場合によってはナチスの残党とも手を組むことさえあった。さらにこの時期になるとシオニストは過去をまともに清算しないまま、大量殺戮の記憶の政治利用にも手を染めるようになる。
 こうした一連の傾向は、現在のイスラエルにおいても継承されている。その最たる例が現在首相を務めているベンヤミン・ネタニヤフだ。彼が民族主義者オルバーン・ヴィクトルと奇妙な友情を結んでいる一方で、ユダヤ人であるジョージ・ソロスと敵対していることは第1節で確認した。
 ヘルツルが開発した両輪はネタニヤフにも受け継がれているわけだが、大量殺戮の記憶の政治利用についてはどうだろうか。ネタニヤフが2015年10月21日に当時のドイツ首相アンゲラ・メルケルとの共同会見に臨んだ際、エルサレムの大ムフティーであるハーッジ・ムハンマド・アミーン・アル=フサイニーがアドルフ・ヒトラーにユダヤ人虐殺を教唆した、と主張したことは有名である。

 実はネタニヤフはこの首相会談に先立って、世界シオニスト機構に出席した際、リハーサルとばかりに自らの珍説を披露していた。

 驚愕する聴衆を前に、ネタニヤフはヒトラーとフサイニーの会話を再現して見せた。
 ヒトラー:「ヨーロッパからユダヤ人を追放するつもりだ」
 フサイニー:「追放されたユダヤ人はパレスチナに来るだろう」
 ヒトラー:「じゃあ、どうすればよい?」
 フサイニー:「焼いてしまえ」
 一九四一年一一月二八日にフサイニーがヒトラーと一〇分ほどあった際に、こういうやり取りがあったというのだ。だが、これは全くの作り話だ。
 なぜなら、ドイツはその五カ月前にソ連に進攻しており、ナチスのアインザッツグルッペン〔移動虐殺部隊〕は、すでに大勢のユダヤ人を殺害していたからだ(結果的に一〇〇万人から一五〇万人のユダヤ人が虐殺された)。さらには、ナチスはポーランドにベウジェツ強制収容所とヘウムノ強制収容所を建設中だった。

『イスラエルvs.ユダヤ人』p213

 アル=フサイニーがパレスチナに移民してきたユダヤ人を差別していたのは事実だし、ヒトラーを始めとしたナチスの首脳部ともたびたび接触していたのも事実だし、終戦後戦争犯罪人として捕らえられたのも事実である。とはいえ、引用にもあるとおり彼がユダヤ人虐殺の主因であると評価するのは不当であるというほかない。実際、アル=フサイニーは1943年にドイツの外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップに向けて手紙を送りつけたことがある。内容は、ユダヤ人難民をパレスチナに移住させることへの抗議だった。仮に彼がある程度の権力を有したうえで「追放されたユダヤ人はパレスチナに来るだろう」から、容赦なく「焼いてしまえ」ばいい、と提案し、それをヒトラーが受け入れたのならば、このような手紙は存在していないはずだ。
 ネタニヤフはいったい、何を目論んでこんな話を切り出したのだろうか? ドイツ人首相の横で、君たちは悪くない、すべてはアラブ人が悪かったのだ、と述べることで過去を免責する度量が自分にはあるとアピールしたかったのだろうか? そんなはずはないだろう。そうではなく、ネタニヤフとしてはなんとしてもアラブ人にこそ罪があることにしなくてはならなかったのではないだろうか。
 2015年と言えば、前年にイスラエル軍がガザに侵攻した記憶がまだ薄れていなかった頃である。例によってアメリカのせいで国連安保理決議は出せなかったが、国際社会はイスラエルに批判的な目を向けていた。そんな中でネタニヤフにとっては、ガザへの侵攻を正当化する理由が欲しかったのだ。イスラエルにとってもはやドイツ人は敵ではない。いまさら彼らの罪を咎めたところでなんの利益もない。それ以上に敵とすべきなのはアラブ人である。彼らが過去に罪を犯していたことにすれば、イスラエルの行動は十分に理解してもらえるだろう――大方そんな理由で、このような妄想を披露したのではないだろうか。
 第101警察予備隊に関する研究書をものしたことで知られているクリストファー・ブラウニングは、このように述べている。「ネタニヤフはフサイニーの役割を大幅に誇張することにより、パレスチナ人全員がヒトラーの共犯者だとほのめかし、パレスチナ人には独立を要求する権利などないと言いたいのだ」。
 筆者は前回、ダヴィド・ベン=グリオンやメナヘム・ベギンといった歴代首相が大量殺戮の記憶を、イスラエルの軍事的行為を正当化するために悪用したことを見てきた。それはそれで非難されるべき話だが、彼らとて「アラブ人がホロコーストを引き起こした」などとはさすがに言わなかった。しかし、現代において大量殺戮の記憶の政治利用は、歴史を改竄するところにまで到達してしまっているのだ。

 〔イスラエル紙『ハアレツ』のジャーナリスト〕ギデオン・レヴィーは、「イスラエルはユダヤ人虐殺の記憶を用いて、人道主義、正義、国際法の遵守を推進するのではなく、ナショナリズムを強化し、軍国主義を正当化した。今日のイスラエルでは、人道主義、正義、国際法の遵守は裏切りと弱さの兆候でしかない……。ホロコースト後、ユダヤ人は、武力の行使だろうが何をしても許されると考えるようになった」と解説する。
 レヴィーはこのように言い添える。「ホロコーストの「歪んだ教訓」を活かしているのはナショナリストだけ。そこには普遍的な結論や道徳的な教訓などない。毎年、イスラエルの多くの若者がアウシュヴィッツを訪れる。だが、アウシュヴィッツから戻った後に、ガザ地区との国境に張り巡らされた有刺鉄線の前で、「もうこんなことはごめんだ」と呟いた者はいない。彼らは逆に、「アウシュヴィッツが許されたのだから、ガザ地区だってかまわない」と思っているに違いない」。

同p216

 ここまで見てくれば、イスラエル人が現在ドイツで台頭しているネオナチまがいの政党と結託しているのも、何ら不思議でなくなるだろう。

 二〇一八年秋、ドイツで「AfD(ドイツのための選択肢)を応援するユダヤ人」という組織が結党された(AfDはイスラム嫌悪の極右政党であり、ネオナチとつながりがある)。
 イスラエルでは、故ラフィ・エイタンがこの組織を応援した。エイタンは、一九六〇年にホロコーストの主犯格アドルフ・アイヒマンをアルゼンチンで拘束する計画を立てて実行した人物だ(その後、エイタンはモサドの幹部になった)。
 二〇一九年三月に死亡する前年、エイタンはAfDを支援するという奇妙な行動に出た。その理由は、「AfDはイスラム系移民がヨーロッパにもたらす脅威を理解している唯一の政党」だからだという。「ドイツは、二つの世界大戦で自国の兵士たちが成し遂げたことを誇りに思うべきだ」と発言したアレクサンダー・ガウラントを含むAfDの幹部に、エイタンは次のようなビデオ・メッセージを寄せた。「国境開放という危険かつ間違った政策を阻止するAfDはドイツだけでなくイスラエルを含む西側諸国に大きな希望をもたらす」。

『イスラエルvs.ユダヤ人』p227

 ネタニヤフに限らず、イスラエル人にとってもはやドイツ人は怖い存在ではない。それよりもむしろ警戒すべきなのはアラブ人やムスリムであって、彼らを排除してくれる者ならば、それがかつての天敵の残党であろうと手を組んで憚らないのだ。

 歴史を顧みない人間が跋扈する近年のイスラエルでは、ナチスが使った語彙を踏襲するかのような動きも頻発しているという。たとえば、極右政党であるマフダルの党首を務めたエフィ・エイタムはこのように述べていたという。

エイタムは、「エレツ・イスラエル(聖書に登場するイスラエルの地)」の西部(ヨルダンから地中海まで)はユダヤ人の生存圏だ」と説いた。教養に乏しいエイタムは、ナチス思想の忠告に「生存圏」という概念があったことを知らない様子だった。さもなければ別の言葉を用いたはずだ。いずれにせよ、彼の頭にはこのアイデアが思い浮かんだのだ。「この生存圏において支配することが許されるのはユダヤ人だけであり、「人権」や「平和」を唱えるのは精神病患者だけだ」と言い放った。

同p111

 もっとも、これが単なる極右主義者の放言にとどまるならよかったのだが、シオニストが伝統的に反ユダヤ主義との癒着を繰りかえしてきたために、本来敵とするべき相手の語彙まで踏襲してきたことは前回までの記事で確認してきたとおりである。繰り返しにはなるが引用しなおそう。

 一部の文献には、シオニズム運動が対象者の「選抜」を行っていた、つまり、政治ないし経済の観点からシオニズムの企図に積極的な貢献をなし得る人々のみをパレスティナに受け入れようとしていたという批判も散見する。ここで批判者が用いている「選抜」という言葉は、とりわけ重々しい観念連合を内部に宿すものだ。なぜといって、かつて絶滅収容所に到着したユダヤ人を貨物列車から下ろす際、SS隊員らが、当面、第三帝国の経済に貢献し得る人々を「選抜」する一方、その「選抜」から漏れた人々は、即刻、ガス室に送りこまれていたからだ。

『トーラーの名において』p258-259


 さらには、学者でさえもナチスをなぞるような思想に魅了されているそうだ。

 ところで、イスラエルではユダヤの純血性を保つための「科学」に注目が集まっている。科学を装う主張によって自分たちのイデオロギーを正当化しようとしているのだ。「ユダヤ人の遺伝子」を持ち出して、祖先の土地に戻るというユダヤ人の「歴史的な権利」やユダヤ人国家の特異性(選民思想)、つまり、シオニズムは正しいと論じているのだ。
〔……〕
 二〇一四年に私がこの問題を取材した際、イスラエルの遺伝学者ギル・アツモンは、歴史だけでは証明不十分だと考えているのか、次のように断言した。「ユダヤ人であることは遺伝子解析によって証明できる。よって、ユダヤ人という概念には説得力がある」。アツモンは、「ユダヤ人特有の遺伝子」があるという見方は否定したが、「科学が発展すれば見つかるかもしれない」と含みを持たせた。
 反対に、「遺伝子と表現型(ユダヤ民族に共通する生理的な形態)を分析すれば、ユダヤ民族の歴史の流れをより明確に再現できる」と請け合った。

同p135-136

 遺伝学をもって「ユダヤ民族の歴史の流れ」を再現する――実は、こうしたプロジェクト自体も近年になって現れたものではなく、シオニズム黎明期から見られたものである。
 シュロモー・サンドは『ユダヤ人の起源』のなかで、シオニストたちがイスラエル建国以前から「生物学」を取り入れつつ、ユダヤ人をアーリア人のようなれっきとした人種として定義しようと腐心してきた歴史をたどっている。

 周知のとおり19世紀末のヨーロッパにおいては、人種主義を「科学」でもって補強しようとする試みが活発に行われていた。その一部が悪名高い優生学へと発展し、国民社会主義の隆盛と大量殺戮の遠因になっていくのもあまりに有名だろう。こうしたエセ学問が勢いづいていた時期に誕生した「ユダヤ人国家」を求める運動もまた、その影響を免れられなかった。
 もっとも、シオニズムの開祖の一人であるテオドール・ヘルツルは、ユダヤ人種を生物学的に基礎づける試みについてはあまり熱心に関与していなかったらしい。(注7)
 ヘルツルにとってはユダヤ人国家はあくまで政治でもって速やかに解決すべき問題であって、学問でもってじっくりと理論武装をするべき問題ではなかった。それは彼がユダヤ人の移住先としてパレスチナ一択にこだわらず、アルゼンチンやウガンダも選択肢に入れていたことからも明らかだ。
 ただ、ユダヤ人種に関してはこのようにプラグマティックに振舞ったヘルツルに対し、シオニズムを成功に導くためにはユダヤ人種の存在を理論的に証明することこそ欠かせないと捉えていた者もいたとサンドは述べる。ヘルツルの盟友マックス・ノルダウはその代表例だ。
 ヘルツル同様ドレフュス事件まで同化ユダヤ人としてドイツ人になろうとしていたノルダウは、やがて高まっていくユダヤ人排斥運動に失望し、その反動としてシオニズムに熱狂するようになっていった。血統的にドイツ人種でない自分がドイツ人になれるはずもなかった、結局自分はユダヤ人種なのだからあくまでユダヤ人との協調関係を重視すべきなのだ、と結論づけるようになったのだ。
 その後もサンドはマルティン・ブーバー、ハンス・コーンなどといった、一般的には「文化的シオニスト」と呼ばれている人々が、ユダヤ人の「血」に魅せられていった歴史を叙述しつつ、より露骨に「人種」を追い求めた修正主義シオニストのウラジーミル・ジャボティンスキーの発言も引用する。

「ネイション意識の原点は教育にではなく、それに先立つ何かに求めなければならないのは明白である。それが何なのか。私は長いあいだこの問題を考えつづけ、答えを見つけた。それは血だ。そして私はこれに固執する。ナショナルアイデンティティの自覚は人の『血』のなかに、肉体的人種的型のなかにこそあり、その中にのみ存する。[中略]民族の肉体的型は、一人一人の精神状態よりもなお一層全体的かつ完全に民族の心の構造を映しだす。[中略]であればこそ、われわれは精神的な同化などというものを信じない。何世代にもわたって一切の混血を免れ、純潔を守りぬいてきたユダヤ人の家系に生まれた者が、ドイツ人やフランス人のメンタリティーに適応するのは物理的に不可能である。それはちょうど黒人が黒人であることを止めるのが不可能なのと同じことだ」

同p391

 さらにサンドは、「ダーヴィニスト」アルトゥール・ルピンがシオニズムに果たした貢献も取り上げている。ルピンは単に「古代イスラエルの地」に住んでいた人々と現在ヨーロッパに住んでいるユダヤ人の人種が近いと説くだけではなく、アラブ人から土地を取得する実務的業務も担っていた。あまつさえルピンは、反ユダヤ主義とも公然と関係を持っていたという。

これにおとらず驚くべき事実は、第二次世界大戦がはじまるまで、ルピンがドイツの優生学思想の学会と大学人としての交渉をもちつづけていたということだ。よく知られているように、ドイツでは優生学は高い人気をもっていた。意外なことに、ナチスの勝利によってもこのつながりが完全に途切れることはなかった。ヒトラーが権力の座についたあとで、彼は人種論の「法王」ハンス・ギュンターを訪問している。ギュンターは一九三二年にナチス党に入党し、ジプシー絶滅の立案者になり、ホロコーストがあったことを否定しつづけた人物である。

同p397

 こうした歴史を振り返りつつ、サンドは一方で「国民社会主義とのこの奇妙な近しさに惑わされてはいけない」とも述べている。黎明期のシオニストは、たとえばナチスがユダヤ人の排除を通じて自らの血を「浄化」することを目論んだような意味合いで人種主義に取りつかれていたわけではない、と『ユダヤ人の起源』では警告されている。
 シオニストにとってはあくまでも「『他者』からの離脱」こそがテーマになっていたのであって、他者の排除のために生物学を援用したわけではない。簡単に言えば、シオニストは同化ユダヤ人に向けて、お前たちはドイツ人やフランス人とは逆立ちしたって同胞にはなれない、なぜなら人種が違うからだ、しかし我々とは同胞関係を結べるのだからともに国家を築こうではないか、と呼びかけていただけだというわけだ。
 その後1948年にパレスチナで民族浄化が行われ、現在でもアラブ人を排除する動きが絶えないことを踏まえると、こうした主張は簡単には受け入れづらいところがあるが、一方でサンドはそうした「『科学的』イデオロギー」こそがシオニストたちがパレスチナの地を求める根拠の一つになったことは認めている。

 ネイションを「種族的」実体として理解する考えは、程度の差こそあれ、シオニズム運動のすべての系統に共有されていたので、生物学という新しい 「科学」は大きな喝采とともに迎えられた。遺伝は極めつきの形で、パレスチナ返還請求の根拠の一つとなるわけであったシオニストたちは、古代ユダの地パレスチナを、そこから救済の出てくる聖地としてのみ考えることをやめていた。このときからこの地は、大胆なパラダイム変換によって、世界 中のすべてのユダヤ人のネイションとしての祖国となることであろう。したがって歴史的な神話は、都合のよい「科学的」イデオロギーを採用する原因にもなった。なにしろもし仮に近代のユダヤ人が最初の離散者たちの直接の子孫でなかったとすれば、「イスラエル人だけの国」とされる聖地に彼らが定住することをどう合法化すればいいのだろうか。 ネイション観念の世俗的な擁護論者は、全能の神に歴史の方向づけをゆだねる無気力な伝統に反抗していたわけであって、彼らには神の約束だけでは十分でなかった。 そして正義は、もし宗教的抽象論にないとすれば、必然的に、部分的にせよ生物学のなかに隠れているはずなのであった。

同p386

 枢軸国が敗れた後、優生学はあっというまに退潮した。国際的には「人種」だの「血」だのといって、生物学的に人間を規定しようとする理論を打ち立てるのはタブーとなった。だが一方で、「さまよえるユダヤ人が単一の起源をもつというシオニストの深い信念をゆるがす」にはいたらなかった。建国間もないイスラエルにおいて、ヨーロッパや中東、そして北アフリカからバラバラにやってくるユダヤ人をいかに統合するかが問題になっていたが、その解決策として一番手っ取り早いのは、「ユダヤ遺伝子」が古代から今に至るまで脈々と続いていることを証明することだった(シオニストは「宗教的抽象論」にてんで理解を示していなかった)。
 当初はまったく実りを結ばなかったこうした(エセ)学問的探究は、七〇年代ごろに分子生物学が隆盛すると本格的に「ユダヤ遺伝学」として確立されていく。そして、21世紀に入りゲノム解析の技術が発達すると、大衆の注目を集める話題も振りまくようになっていった。イスラエル人とパレスチナ人のあいだに「男性Y染色体の変異パターンに驚くべき類似性があること」が発見されただの、ユダヤ人の女系祖先は実は「もともと中東と何のつながりもないことがわかった」だの、「祭司のしるし」とでも呼ぶべきDNAが発見されただの……愚にもつかない一連のニュースを、サンドはこう切って捨てている。

 こうして、大衆が「難解な」科学を敬いやすいことがまたしても明確になった。じっさい、正確と考えられている科学の分野から提供される情報を疑うのは、素人にとって簡単なことではない。一九世紀末から二〇世紀はじめにかけて自然人類学が、人種についての怪しげな科学的発見を、なんでもすぐ信じる公共の場にどっさりと提供したように、二〇世紀末から二一世紀初めには分子遺伝学が、民族的アイデンティティを渇望するメディア論壇に、不完全な成果や生半可な真実をもち込んだのだ。これまでに行われたいかなる研究も、無作為に抽出された、あらかじめ「種族的な属性」のわかっていない遺伝子情報をもとに、ユダヤ人の遺伝全体に典型的に当てはまる一律な特性を解明することには成功していない。一般的に言って、観察データの選択方法についての情報はわずかで、重大な疑惑をかきたてるようなものである。しかも、性急に引きだされた結論がつねに、研究所とはまったく無関係な歴史的レトリックを用いて組みたてられ、強化されているのでなおさらだ。とどのつまり、「科学的」で金のかかる研究がおこなわれたにもかかわらず、個別ユダヤ人の特性を、いかなる生物学的な基準によっても、いまだに定められずにいる。

同p415

 エドワード・W・サイードは、優生学を始めとした人種理論はある「真理」を迫害される民族に押しつけていたと看破している。

 人種、文明、言語内部の弁別的差異に関するこの〔生物学的〕真理が、根深く、また、根絶しがたいものであったこと(あるいは、そう主張されたこと)は、とくに強調されねばならぬ点である。この〔生物学的〕真理は事物の根底にまで達しており、すべての事物はその真理ゆえに、みずからの起源、およびその起源によって可能となる類型から逃れることができないのだと主張された。それは、人間のあいだに真の境界線を設けるものであり、人種とか民族、文明などの概念は、その境界線に沿って構築されたのである。またそれは、喜びとか苦しみ、政治組織と言った多様かつ平凡な人間的現実から無理やり人々の目をそむけさせ、そのかわりにその視線を下降・退行させて、何人にも変えることのできない起源という方向へと向かわせた。科学者は研究にさいし、そうした起源の問題をさけて通ることができなかったが、それは東洋人が「セム族」とか「アラブ」「インド人」という類型=起源から逃れることができないのと同様であった。

エドワード・W・サイード『オリエンタリズム 下』平凡社ライブラリーp79-80

 ユダヤ人は元来、こうした「何人にも変えることのできない起源」をヨーロッパ人から押しつけられる立場にいた。ありていにいえば、お前たちは卑怯な生物で、かつ狡猾な人種であって、どれだけ頑張ってもそうした性状は変えられないのだ、とばかりに扱われていたのがユダヤ人だった。
 どうやらシオニストはこうしたヨーロッパ人の言い分を、丸ごと鵜呑みにしてしまったらしい。ヨーロッパ人の言うとおり、自分たちはどうあがいても「ユダヤ人」であることを辞めることはできない。ヨーロッパに住んでいようと、アラブ世界に住んでいようと、アフリカに住んでいようと、そしてイスラエルに移住しようと、自分たちが「ユダヤ人」であるという事実は抗いようのない真理なのだ。ならば、我々はその真理を受け容れたうえで、自分たちは一つの起源から流れ出てくる同じ人種であることを証明しようではないか。その証明が果たされるのならば、イスラエルの土台はもっと盤石になるであろう……彼らはそんな風に、まったく勝ち目のない戦いを現代にあっても続けているのだ。

 あたかも導かれるようにナチスと同種の政策をとり、さらには人種主義の科学にまで手を染めていくイスラエルのエスタブリッシュメントであるが、シルヴァン・シペルによると以下のような「驚愕の発言」も出ているという。ただ、上で見てきたような歴史を踏まえるのならば、こういった発言がシオニストから出てくるのはむしろ必然であるように思える。

 二〇一九年四月下旬、ヨルダン川西岸地区のイスラエル入植地エリにある軍事学校「ブネイ・ダビデ」のラビであるギオラ・レドラーは、「ヒトラーのイデオロギーは一〇〇%正しかった。ただし、彼はそのイデオロギーを実践する対象を間違えた」と発言した。この驚愕の発言の真意は、「ヒトラーは、アラブ人やイスラム教徒といった本当の悪魔を始末する代わりにユダヤ人を狙った」ということだ。

『イスラエルvs.ユダヤ人』p131

 次回はこれらの歴史を踏まえたうえで、「ホロコーストの犠牲者であるユダヤ人がなぜ?」という問いの偽善性について結論を出し、代わりに我々が探究すべき問いを提出する。

脚注

(注7)サンドはこんなブラックジョークじみた逸話を紹介している。

 のちにシオニズム運動に参加することになるユダヤ系イギリス人の作家イスレール・ザングヴィルとロンドンで食事をした後、テオドール・ヘルツルは、醜いことで知られていたザングヴィルが自分たちは二人とも出自は同じだと考えていることについて、気を悪くして日記に書いている。「彼は人種について固執していたが、私にはとうてい受け入れられない。われわれ二人を見れば、一目瞭然ではないか。ただこれだけはいっておこう。我々は同じ歴史的実体を構成しているが、異なる人類学的な要素からなるネイションに属しているのだと。ユダヤ人国家を築くにはこれで十分だ。いかなるネイションも、ただ一つの人種だけで成り立っているわけではないのだから」。

シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』浩気社p387-388

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