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【読んだ】他者の靴を履く

おすすめ度 ★★★☆☆

noteでみつけた選書サービスでおすすめされた一冊。
エンパシー(=意見の異なる相手を理解する知的能力)をベースにした現代思想を多様な観点から分析、展開されている。
内容が濃くて面白かった。でも、、難しかったー…!

自分では手に取らない作者さんだったが、政治や経済、現代思想など幅広く、深い考察に圧倒された。
失礼ながら名前を初めてみたときは「芸人さん?」と思ってしまった。。。なんかそういう名前の人いた気がして…すみません。
実際はイギリス在住のノンフィクションライターです。

難しいものはすぐ忘れるので、私が理解したところを記録しておく。


エンパシーとは、日本語で「共感」と訳されがちだが、同じく共感という意味を持つシンパシーとは異なる。
何が異なるかというと、シンパシーは感情で、エンパシーは能力なのだという。
そのエンパシーにも分類があり、それぞれに論文や研究が展開されているのだが、難しくてヘロヘロになった。外国人研究者の名前が全然頭に入らない(そこ?)

というわけでエンパシーの定義は難しいのだけど、簡単に言うと「他者を他者としてそのまま理解する能力」である。
自分と違うもの、受け入れられないものでも、他者として存在を認め、理性的に立場を想像すること。だから、「他者の靴を履く」なのだという。

ちょっと傾聴に近いものを感じるな。

そのエンパシーを身につけるには、感情を理解し、言語化したり表現したりする能力が必要になる。これをエモーショナルリテラシーというらしい。感情をコントロールする能力ということか。

エンパシーの能力が高い人は、実はサイコパスに多いらしい。人の感情が理解できるからこそ、思い通りに他人を動かしたり、他人が嫌がる恐ろしいことを考えつくことができるという。
後半でエンパシーは善か悪かという議論もあるのだが、私は使い方次第だなと思う。


話は派生して、帰属性にも及ぶ。
私達は普段から仕事や性別、国籍など様々なものに帰属意識を持っている。その時々によって、その人らしい人を無意識に演じている。例えば授業参観ではお母さん、会社では〇〇課のリーダー、外国に行けば外国人旅行者。
どれか一つが「本当の自分」ではないし、誰かに決められる筋合いもない。
他者の靴を履く(エンパシーを発揮する)ときにも、この考えは大切だ。

「他人には一つの顔しか無い」と思いこむことは、「この人はこういう人だから靴も汚くて臭いに違いない」という偏見につながる。
その歪んだ認知によって暴力や悲劇が生まれることもある。例えばSNSでの炎上・私刑。
エンパシーを正しく働かせるには、既成概念からの解放が必要ということだ。これが本の主題でもあるアナーキックエンパシーにつながる。

ふぅ。もう脳が疲れてるが、全然序盤である。

さらにここから、イギリスの歴史、政治、経済から見るエンパシー。
コロナ禍、AI、教育、ジェンダー問題、メディア、災害時におけるエンパシーなどなど、一つ一つの話題が示唆に富んでいるのでとても書ききれない。

サッチャーはエンパシーがなかったから鉄の女とよばれる政策ができたのではないか、
ドナルド・トランプの支持者には、なぜ「人の良い性格」が多いのか、
日本人が異常なまでに気にする「迷惑をかけない」という美徳はエンパシーを阻害するのではないか(これ面白かった)
幼児に「感情の名前を教える」行為が、感情リテラシーを高める説(これも)、
コロナ禍での相互扶助や医療関係者への賛辞が、エンパシーある社会とどう繋がっているのか、

等など、どれも「うぉーなるほどね!」と考えさせられる。

考えさせられる事が多すぎて、頭が爆発した結果あんまり残らないというのが残念ではあるが、それは私の脳みその問題。
時間をかけてでも読むに値する本だと思う。

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