【読書記録】苦手から始める作文教室
おすすめ度 ★★★★★
先日、中一息子の読書感想文について書いた。
1ヶ月ほど前から机の上に散らばっている読書感想文の原稿用紙は、上に他のプリント類が積み上げられて、手をつけた形跡はない。
ただ、提出日はどうやら明日である。
明日ってオイ。
息子の450倍くらい心配性な私は、自分の宿題でもないのにハラハラしている。多分私が心配性すぎて息子には心配性成分がひとかけらも遺伝しなかったのだろう。今朝も早起きしたのに大リーグの中継を見ていた。オイオイ。
そこで津村記久子さんの作文教室である。予想を超えて面白かったので朝4時から一気読みした。もはや息子は関係なく、私が楽しむために読んだ。
メモがおもろい
津村さんの小説は、どれも日常の些細なことをとことんリアルに書いている。まるで誰かの生活を覗き見しているような、あるいは自分のちょっとしたイラつきを覗き見されているような。小説の内容以上に日常のチマチマ感を味わいたくて読んでいる節すらある。(内容も面白いですよ)
だから多分そうなんだろうと思っていたが、やっぱり津村さんはメモ魔だった。しかもメモから面白い。たくさんあるが少しだけ抜き出すと
もう、メモ書きだけで一つのエッセイのような面白さがある。どうかその話、詳しく聞かせてください、とお願いしたくなる。(後者のメモはエッセイとして載っていて、メモとエッセイの違いも楽しめる。お得)
タイプライター???
どうやら津村さんはタイプライターを使っているらしい。タイプライターってあれですよ。こういうやつ。
いやそんなもの今時あるの?でも津村さんなら使ってそう。オタクがすぎて真似したくなるタイプなので、早速Amazonで検索してみたが、どうも「タイプライター風キーボード」しか出てこない。
津村さんが使っているのはキーボードの話なのか?でも請求書作るために久しぶりにパソコン開いたと言ってたし、パソコンではない。そして付属の辞書があるとも書いてあるので、キーボードだけでもない。
結局、謎のままである。いつかタイプライターのこともエッセイにしてほしい。
本当のこと、普通のことを書く
あー、良い。
津村さんの作品の魅力は、何度書いても「それだけじゃないんだよな」「そんなもんじゃないんだよ私の記久子は」というこじらせた感情に苛まれる。
この本を読むことで、そのこじらせた気持ちがほどかれるような気がした。そうそう、そういうこと。
「本当のこと」「普通のこと」が丁寧に磨き上げられた表現力で描かれている。そして「それでいいんだ」と思わせてくれる。
本人の文章を前に、「アンタわかってるじゃん」と謎の上から目線になってしまった。
書くのが好きな人は書けばいい
この本は「苦手から始める文章教室」になっているけど、津村さんは、本音では「苦手な人は書かなくてもい」と思ってるんじゃないか、と思った。そういう記載が垣間見られる。
書くことで頭を整理したり、過去の自分を知ることができる。私もそういうタイプなので、書くのが好きだ。何でも文字にしたい。
だけど、実際のところ息子のように文章を書くことに魅力も効果も感じない人種もいる。そういう人は別の表現方法があるかもしれないし、表現しなくても満ち足りているのかもしれない。
2024年現在の世の中では、文章は書けないよりも書けた方がお得だとは思う。小論文とか履歴書とか、書類選考に強いと色々役にたつ。
でも、これから先はどうなるかわからない。
一定レベルの文章はAIに代替されるし、一定レベルに満たないものもAIが修正してくれる。自分でイチから文章を作るスキルは必須ではなくなるはずだ。
多分、私はそれでも書くと思う。noteに書かなくても、ストレスが溜まったらノートに吐き出すと思う(誰にも見せられない)。
だからどうするわけでもない。津村さんのいうように、自分をなぐさめるように、自分の考えを大切にするために、書くんだ。