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読書感想文なんてAIに書かせとけばいい
中一息子が、読書感想文を書くことになったらしい。
宿題なのかわからないが、しっかりした原稿用紙と提出用紙、先生が頑張って作ったであろう「読書感想文マスターシート」的なものが机に散らばっている。
手をつける気配は、ない。
私も苦手だった
1年以上、読書記録をnoteに書いてきたけれど、読書感想文は苦手だった。
厳密には「学校で書かされる読書感想文」が、苦手だった。
あらすじ、印象に残ったところ、その理由は〜、本にまつわる無難な体験語り。THE・テンプレ!という自由度のなさ。
守破離という言葉もあるし、型を知ることは悪くないと思うんだけど、本が好きだったからこそ、好きなように書けないことにイライラした。
さくらももこや中島らもを愛する「作文はウケてなんぼ」のこどもだったから。
だから、読むのは好きだけど書くのは嫌いな息子の気持ちがよくわかる。
津村記久子さん降臨
と、そこに私の推し作家である津村記久子さんのこんなイベントが開催された。
当日は予定があって参加できなかったのだけど、アーカイブ配信があったので申し込んだ。息子のためでもあるが、なにより津村さんの話す姿みてみたい!というファン精神である。
(津村さんの書評「やりなおし世界文学」はおすすめ。
守破離の離が離れすぎてぶっとんでる面白さで、どれも読んでみたくなる。)
結論から言うと、津村さんは期待通り面白い人で、疾走感のある喋り(オタクの早口とも言う)は関西弁、鋭い言葉選びでサラリと刺さることをいうところが超かっこよかった。全体的には「型通りの読書感想文をかくには」と言うテーマだったのに、「型通りの読書感想文かいてもつまらないじゃないですか」と本音をポロリしていたところに「…好き!!!」ってなった。
(ここまでオタクの早口)
その中でも強く共感したのが
「自分の考えたことは基本忘れちゃうんです。でも、書いて残しておくと、自分はこういうこと考える人間なんやってわかるようになるんですよ。それってお得やなと。」というはなし。
そうなんだよね。
私が読書記録をつけている理由は、まさにこれで、自分の思考を理解し、整理するためだ。
大量の記録をたまに見返すと、どこかで繋がっていたり、考えが変遷したり、進化していたり、一周回って戻ってたりしていて面白い。
自分の頭の中って、わからんもんなんやなと思う。
ひたすら自分語りをするよりも、本という対象があってそれについてあーだこーだいうほうが意外と整理できて良い。
やっぱりダメだ読書感想文
これを、息子が困ってたら伝えてみようと思ったけど、ふと立ち止まった。
誰のためでもなく、自分のためになるから書くとお得。という感覚は、学校の読書感想文で当てはまるだろうか?
国語的に正解の文法と構成でかかれていることが前提で、そうでなければ添削される。
添削した読書感想文は、あらゆるトゲが抜かれて、正しいけど面白くない作品になる。
ごく選ばれし人が、洗練されつつ個性や自由が光る受賞作を生み出す。それは素晴らしいことだと思う。でも、ほとんどはトゲを抜きすぎて本体も無くなったカスみたいな作品になる。そして赤ペンされすぎて、作文が嫌いになる。
あ〜やっぱりダメだ。
学校で書かされる読書感想文のいいところが見つけられない。
どうせつまらないなら
どうせつまらないなら、どうせ型を教えるのなら、正解の文章を書き写させるとかでいい。新聞とか、名作の古典小説とか。
正しい文法、正しい構成をテクニックとして教えればいい。
あるいは、AIに書かせたものを添削させてみたらどうだろう。
及第点の読書感想文を書くスキルは、すでにAIに代替されている。
バレないように人間らしさを出すにはどうしたらいいかとか、一般的すぎるところを自分の経験にしてみようとか。他人の書いたものにダメ出しをするのはやりやすいし、学びも多いからためになるんじゃないかな。
などなど、勝手な妄想を広げることになった。
はあ。
息子は、おそらく期限の前日か、期限を過ぎてから焦り出すんだろう。(いつもどおり!)
でも、もうそれでいい。
たくさん本を読んでいるし、作文ができなくても、あなたは情緒豊かで個性的で面白い子だと伝えてあげよう。
うん、そうしよう。
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