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【読んだ】こう見えて失語症です

おすすめ度 ★★★★★

期待以上に、すごくすごく良い本だった。

40代で失語症になった夫のことを書いた本。
失語症について全く知らなかったので驚きがいっぱいあった。
それ以上に感動したのが、このご夫婦がとても素敵だったこと。

失語症であるオットさんが、とにかく明るく前向き。著者である妻も負けず劣らず楽観的で、「できることを楽しむしかないよね!」というスタンス。
病気を抜きにしても、本当に素敵で強くて、こんな生き方をしたいと思えるようなお二人なのだ。
悲観的にならず、卑屈にならず、まっすぐに向き合っている。かっこいい。全力で推せる。


失語症については、一章まるまる使ってマンガでわかりやすく説明してくれている。
著者は言語聴覚士の資格を取っており、正確で配慮が行き届いている。

簡単に書くと、失語症は「読む」「書く」「聴く」「話す」機能に障害が出るもの。脳にダメージをうけることが主な原因なので、ダメージを受けた場所や大きさによって症状にはかなりの個人差がある。

たとえば、「言葉は理解できるけど、話せない」人もいれば「理解できないけど話せる」人もいる。音と言葉の意味が繋がらない、言いたいことと出てくる音が一致しないなど、様々な症状があり、ちゃんと名前がついていたりする。マンガでの解説なのでわかりやすい。

「失語症は言葉の分からない国にいきなり放り出されたような状態」だという。例えばアラビア語やロシア語みたいに、一ミリも読めない聞けない場所を想像するとイメージできる。
ものすごいストレスだと思う。


オットさんの素敵なところを書いておく。
まず失語症になってもどんどん行動する。オリジン弁当にもいくし、デニーズやスタバにも行く。趣味の写真展にも行くし、仕事にも復帰する。
オリジン弁当で「ホイコーロー」が「ホーヒー」としかいえず、店員さんにわかってもらうのに苦労したときのこと。

「だって、日本語喋れない人もいるでしょ」とあっけらかんという。外国人のお客さんもいるから、上手く話せなくてもお店の人は驚かないはずだと。(中略)
言葉が出にくくなったからと言って、引け目に感じることはないよ。「よくわからない」「スムーズに言えない」ということさえ伝われば、相手の方が合わせてくれるよ。(中略)
それでいいのか、それでいいのだ。失語症になった夫に教わったことはたくさんある。これが最初の一つだ。

職場に復帰したときも、あらかじめ自分のトリセツをつくって、会社の人に配る。会話が早すぎて聞き取れないときは「もう一度ゆっくり喋って」というらしい。
「悪いな」とか思わないの?と著者が聞くと、「だってみんな僕の状態知ってるし」という。

迷惑かけてごめんなさい、とか思わない。卑屈にならないようにしているんだと、のほほんとしてるけど。強いなオット。

周りに迷惑をかけてしまう…と考えるのは日本人っぽいだけど、卑屈にならず「普通に」協力を求める。周りの人も「普通に」協力する。とてもいい関係だと思った。
できないことがあるように、その人にしかできないこともある。
「重いものを運ぶ時、足の悪い人には頼まないでしょ、それと同じ」と言えるオットさん。素敵だと思う。


そして、家族である著者も自然体。

家族の誰かが障害を持ったり、高齢のため支援が必要になったりすると、それ以外の人が「世話をする」ことになる。自分が我慢をすれば良いと抱え込んでしまうことも少なくない。そうしてストレスをためていたら、きっといつか続かなくなる。
失語症になってもオットは家族だ。一緒に生活しているのだ。困っているときにはできるだけ協力する。でもオットにも協力してもらう。

この考え方は、障害や介護に関わらず常にもっておきたいと思う。

遠慮しあって苦しみを抱えこむより、ずっと健全で建設的だ。
きっとこの人たちは、自分ではなく他の人が困っていても当たり前に助けるのだと思う。迷惑をかける・かけられるなんてせせこましいことは言わず、ニコニコ淡々と。

できれば私もこの著者夫婦のように生きていきたいけど、そうじゃないところがあるのも自覚している。
彼らと、ネットで自己責任論を振りかざす人との違いは一体どこにあるんだろう?最近よく考えている。

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