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「イノベーションとともにある都市」研究会 ―vol.03 イノベレシピで読み解くHigh Tech Campus Eindhoven ―

中分 毅
元日建設計副社長

イノベーション空間のレシピを用いたケース分析第1号

日建グループの「イノベーションとともにある都市研究会」(略してイノベ研)では、建築や都市開発の専門家の立場から、イノベーションが起こる(または起きやすい)空間のレシピ(要素)やその関係性を明らかにしようとしています。今回からは、前回の「イノベーション空間のレシピ」を用いたケース分析を紹介していきたいと思います。レシピの解説は下記noteを参照して下さい。

High Tech Campus Eindhoven(HTCE)/オランダ

HTCEの全景
https://www.hightechcampus.com/downloadsより転載

この記事で紹介するのは、開設20年を迎えるオランダのHTCEです。HTCEは民間が設立したリサーチ・パークであり、以下の特徴を有している興味深い事例のため、ケース分析第1号として紹介することにしました。

  • 企業のR&D拠点から複数企業のためのオープンイノベーション拠点へ発展した

  • イノベーション・エコシステムが不動産事業のプレミアムとして機能している

  • 人と人との交流を生むハード・ソフトのしかけを持っている

PHILIPS社の看板を撤去する場面をPHILIPS社がPRに用いている
Delivering innovation that matters to you Our Open Innovation Journey 2017から引用

HTCEイノベーション空間のレシピ

イノベレシピを用いたHTCEの分析結果が下図です。

イノベ研メンバーで作成したHTCEのイノベレシピ

ここからは、イノベレシピのフレームを用いて、HTCEをみていきましょう。目的、1.寛容性と集積、2.連携ネットワーキング、3.アフォーダビリティとサスティナビリティ、4.場の固有性の4つの観点での分析と最後に考察をまとめています。

目的

Philips(フィリップス)社が医療機器分野に転身するために同社の研究開発拠点を開かれたイノベーション拠点に変えることがHTCEの出発点でしたが、現在はその先を行く、テクノロジーをビジネスに変える活気あるイノベーション・エコシステムを構築する "TURNING TECHNOLOGY INTO BUSINESS, CREATING A VIBRANT INNOVATION ECOSYSTEM" が目的としてうたわれています。
現在は、健康と生活、スマートな環境と連結、持続可能なエネルギー、応用知能(Applied Intelligence)、ソフトウエア・プラットフォームの5分野でエコシステムを提供しており、世界で最も賢い1㎢ "The most inventive “square kilometer” on the planet"としてブランディングされています。

要素その1 寛容性と集積

多用途複合

名前の通りHTCEはイノベーションのためのキャンパスで、101haの敷地に、イノベーション活動のためのオフィスと研究・実験施設が40棟余、共用施設として会議室、レストラン、ショップやスポーツ施設が整備されており、イノベーターの交流促進やカンファレンスの場となっています。

HTCEキャンパスの全貌
https://www.hightechcampus.com/downloadsより転載した図版に加筆


多様な人材と業種

HTCEには、オープンイノベーションを展開するための多様なプレイヤーが集結しています。

  • 多国籍の大企業

  • 中小企業

  • 研究機関

  • スタートアップ

  • サービス企業(生活支援、マーケティング、会計・法律事務所など)

数字で見ると、250の企業、12,500人以上の研究者、110以上の国籍となっています(2022年1月時点)。
日本企業では、キーエンス、キヤノン、シマノなどが進出し、産業技術総合研究所が研究協力の覚書を結んでいるとのことです。

HTCEに進出した多様な企業(2022年1月現在)
Admiraal氏プレゼンテーションスライドから引用
※上記ロゴ・シンボルマークは各社の商標または登録商標です。


パブリックアクセス

HTCEのあるアイントホーフェンの都市圏人口は70万人でオランダ第5位です。HTCEは既成市街地のフリンジに位置しており、アイントホーフェン駅からは約4㎞、空港からは約10㎞で、高速の出入り口が近傍にあります。

HTCEの位置
https://www.automotivecampus.com/en/about-the-campus/our-storyの案内図に加筆

要素その2 連携・ネットワーキング

コーディネート・マッチング

HTCEで注目すべき点は、イノベーション・エコシステムを形成するために有効だと思われるプレイヤーを選択して誘致を行っていることです。HTCEは2030年に向けて5つの戦略テーマを設定しており、入居が可能なのはこれに適したテナントに絞られています。
■ グローバルなハイテク・エコシステム
■ 最新の技術
■ パートナーシップ
■ 持続可能、活気があり開かれた場
■ 才能を育てる場
この任に当たっているのが、HTCEの運営会社であるHTCE Site Management社です。同社はHTCEのプロモーションとテナント誘致から始まり、進出した企業間のコーディネーションやエコシステム育成も担当しています。
スタートアップはエコシステムの重要な一員ですが、スタートアップという概念が希薄であった開設当初は入居した大企業からのスピンオフから着手しました。現在はスタートアップ拠点としての知名度があがり、インキュベーション施設等も整備されています。

仮説ベースでの実証実験

HTCEにはPhilips社が提供した各種の実験設備があり、通常のR&Dにおける実証実験は行われているものと推測されますが、リビング・ラボとしての活動が行われているかどうかは確認できていません。

ハイブリッドなネットワーク

先ず重要なことは、HTCEでは繋がりたいと思う相手が至近距離に存在することです。キャンパス内に多様な専門性、問題意識、文化的背景を持った12,500人が存在していることがHTCEの強みです。
これらの人々が交流する機会を創り出しているのが、The Stripと名付けられた共用施設です。「人はリラックスした時に、良いアイデアが浮かび、お互いに話したくなる」(Admiraal氏)との考え方に基づいて計画・運営されています。特に交流が生まれやすい食堂は、建物ごとの配置ではなく、バラエティに富む11の食堂がすべてThe Stripに集約されています。水辺に沿って軒下が散歩道のようにもなっており、心地よい交流空間を提供しています。
この様に開かれた共用空間がある一方、各企業のイノベーション・オフィスは閉じられており、これを開かれた柔軟な場所にしていくことが課題として指摘されています。

人と人との交流を生むハード・ソフトのしかけ:The Strip 外観・使われ方 https://www.hightechcampus.com/downloadsより転載
The Strip 平面図
Juurlink & Gelukh(設計者)の https://www.jhk.nl/NL/99333-strip.htmlから転載し加筆

HTCEにおけるネットワーク形成はアイデアをビジネス化する目的に沿って展開されていますが、これはキャンパス内に留まるものではなく、BrainPort(後述)に位置する企業や研究機関との間、更には、グローバルなネットワークを5つの戦略分野で形成しています。

HTCEがエコシステム形成を図る5つの戦略分野
https://www.hightechcampus.com/downloadsより引用

要素その3 アフォーダビリティとサステイナビリティ

民間資本

HTCEの特徴は、Philips社という純粋の民間資本によって開設され、その後投資ファンドに売却されますが、売却後も一貫して民間資本による運営と拡張がなされてきた点です。Philips社の施設を言わば居ぬきで転用したことが初期投資の圧縮につながり、民設民営のイノベーション・キャンパスの成立を可能としたものと推測されます。
現在Philips社は1テナントに過ぎませんが、様々な研究設備を同社は提供しています。これがスタートアップにとっては、HTCEにいる意味の一つで、これらを活用して成長しHTCEから巣立っていく企業を輩出しています。

Phillips社が提供するイノベーション・サービス施設
Delivering innovation that matters to you Our Open Innovation Journey 2017から引用

加えて、HTCE内にはベンチャー立上げ加速のためのHighTechXLとスタートアップのコラボレーションを支援するLumo labsの2つのプログラムが整備されており、こちらも民間で整備・運営されている点も見逃すことはできません。

アクセラレーション・プログラムの1例
https://www.hightechcampus.com/downloadsより引用

政策支援・PPP

民間企業の工場や研究所の移転跡地をどの様に活用するかは、街づくり上も大きなテーマです。イノベーションの場として再生することは有力なオプションだと考えられますが、実際は容易なことではありません。HTCEの整備は民間で行われたものの、公共の関与がなかったわけでは決してなく、国や市がBrainport Eindhoven整備という地域経済政策を企画・推進し、そのHUBの1つとしてHTCEを位置付けたことの効果も大きいものと思われます。国の技術機関もHTCE内に立地することとなりました。

HTCEはBrainPortのハブの1つ
https://www.automotivecampus.com/en/about-the-campus/our-storyより引用

リノベーション

1998年のPhilips社の本社移転に伴って、地域経済へのダメージを緩和するために市政府とイノベーション・エコシステムの開設が市と協議されました。この協議を踏まえて、2003年同社のNat Labは廃止され、翌年HTCEとして他社にも開放されることになりました。一からの新規整備ではなく、自社の研究開発施設をオープンイノベーションの場として転用したことが成功のポイントの一つであると思われます。

要素その4 場の固有性

有形(自然環境・景観・歴史的建造物)

特に記載することはありません。

無形(産業・歴史・文化)

Eindhovenは、製造業の街としての伝統を有し、地元の工科大学TU/eと産業界との連携が継承されていることが無形資産の活用となっています。

新しい文脈の構築

今や、Financial Times, Fortune, Forbesなどの名だたる経済雑誌が称賛するに至ったHTCEは、イノベーション・エコシステムとしての新しい文脈を構築したと言えるでしょう。
HTCEの目的に合った主体が集まってこなければ文脈も構築されない訳ですが、これに寄与した要因として、以下の3点を挙げることができると私達は考えます。
• 共創やエコシステム形成にとって有効なターゲットに働きかけ、HTCEのコンセプトへの賛同者を獲得する
• 自らのシーズを起点として、スタートアップ育成を軌道に乗せる
• ファンドに売却して、Philips色を薄める

閉じられたR&D拠点からオープンなエコシステムへ
Delivering innovation that matters to you Our Open Innovation Journey 2017を編集して加筆


まとめ:都市更新プロジェクトとしてのHTCE

最後に、イノベ研メンバーの活動領域である都市更新プロジェクトの観点からみた考察をまとめました。

まず、HTCEは2度ファンドに売却されています。
1度目:2012年:オランダのRamphastos Investments に売却される(518million €)
2度目:2021年:オランダのファンドは米国のOaktree Capital Managementが購入する(推定1.2billion €)

このように、ファンドが購入し、ファンドからファンドへと転売されたことは、HTCEが不動産事業としても成功したことを意味しています。

米国には、大学が課税上のメリットもあって開設したリサーチ・パークは数多くありますが、民間企業が開設し投資ファンドに売却されたこれほどの規模のリサーチ・パークは世界にも余り例がないのではないでしょうか。大企業はイノベーションの場は自社で所有する志向が強く、スタートアップは賃料負担力が弱いので、この様なリサーチ・パークが不動産賃貸事業として成功を収めていることは驚異的だと言えます。

ではHTCEは何故成功を収めたのでしょうか?
開設時点ではPhilips社が所有する場を賃貸したという好条件がありますが、その後不動産投資対象として成功したのは、下図のようなメカニズムが働いたからではないかと推測されます。

イノベ研メンバーで作成
  1. HTCEの目的に合致した企業のみの誘致を図り、これがイノベーション・エコシステムとしての優位性を生み、更に企業の進出を促す好循環が生まれる

  2. この好循環が、不動産事業の収入を安定化させ、さらに増加させる

  3. イノベーション・エコシステムが利益を生み出す源泉であることを投資家は理解し、更に発展させようと考える

  4. このため、エコシステムの発展を支えてきた運営は継続される

  5. キャンパスは増築され、これが更なる集積を促す

    残念ながらコロナのためリアルな訪問ができていないので、実際に現地を訪れて私達の推測を確かめることと、日本でも発展を続けている京都リサーチパーク(KRP)の様な純民間のリサーチ・パークを探索していきたいと考えています。

この記事の執筆において参照した情報

イノベ研のメンバーは一般社団法人 FCAJ : Future Center Alliance Japanのリサーチ・プロジェクトのスポンサーメンバーとして2022年1月9日にonline visitに参加し、HTCE運営の主力メンバーであるCees Admiraal氏(HTCE Site Management Director, Business Development)にインタビューを行いました。この記事はそのインタビュー内容をきっかけに、以下に掲載したレポートを参照して作成したものです。
なお、FCAJでは、2019年に世界に先駆け「イノベーションの場のインパクト」調査をもとにEMIC (Evaluation Model for Innovation Centers)モデルを提唱し、2020年には、EMICのフレームワークを活用したWebサーベイを行い、日本と欧州の87の場の特徴や違いを知ることができました。関心のある方は、是非下記を参照ください。
https://futurecenteralliance-japan.org/recent-activity/emic-1

① FCAJがHTCE Site ManagementのBusiness Development Director であるCees Admiraal氏に行なったインタビュー(2022年1月ー3月)
② HTCEのホームページ https://www.hightechcampus.com/
③ HTCE投資家へのインタビュー  Foreign owner helps High Tech Campus with international ambitions
https://innovationorigins.com/en/foreign-owner-helps-high-tech-campus-with-international-ambitions/
④ HTCEの運営に関するレポート Managing the ecosystem of innovation areas
https://iadp.co/2017/09/09/managing-the-ecosystem-of-innovation-areas/amp/
⑤ Philips社 社説明資料 Delivering innovation that matters to you Our Open Innovation Journey
https://www.engineeringsolutions.philips.com/app/uploads/2017/01/presentation-our-open-innovation-journey-iason-onassis.pdf
⑥ HTCEの活動白書 Creating a vibrant innovation ecosystem: The High Tech Campus Eindhoven case
https://www.researchgate.net/publication/333798940_Creating_a_vibrant_innovation_ecosystem_The_High_Tech_Campus_Eindhoven_case
⑦ HBRに掲載された論文 Use Open Innovation to Cope in a Downturn Henry W. Chesbrough and Andrew R. Garman
https://www.researchgate.net/publication/228794465_Use_open_innovation_to_cope_in_a_downturn
⑧ Brainportの紹介のホームページ Home of pioneers
https://brainporteindhoven.com/nl/

イノベ研の主要メンバーはこの4人です。

中分 毅(執筆者)
元日建設計副社長。40余年の日建グループでの勤務を経て退任。「工場移転跡地を研究開発をテーマとして再生する」プロジェクトに30年程前に参加したのが、イノベーションに関心を持ったきっかけで、その道の達人から教えを受けた「発展的集積構造」に関心を持ち続けています。

諸隈 紅花 
日建設計総合研究所 都市部門
主任研究員
博士(工学)。専門は歴史的環境保全、公園の官民連携による活性化。古いものが好きですが、実は新し物好きでもあり、その最先端のイノベーションが都市にどう表出するかに関心があります。

石川 貴之
日建設計 執行役員 新領域開拓部門 イノベーションデザイングループ  
新領域開拓部門 イノベーションデザイングループ / 新領域ラボグループ プリンシパル
専門は都市計画。大規模再開発やインフラシステムの海外展開業務を経験する中で、様々な地域と組織で人や技術が繋がり、新しい空間やスタイルが生まれる「イノベーション」の空間や仕組みに興味を持っています。

吉備 友理恵
日建設計 新領域開拓部門 イノベーションセンター
2017年入社。共創やイノベーションについてのリサーチを行いながら、社内外の人・場・知識を繋いでプロジェクトを支援する。
共創を可視化するツール「パーパスモデル」を考案(2022年出版予定)。



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