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自分に対して「良い子」で在れ

「良い子になってね」
「あなたは良い子ね」
「良い子にしてなきゃだめよ!」

その良い子っていうのは、誰にとっての良い子?
そんなことを最近よく考える。

たいていは、親にとって、周りの大人にとって良い態度、社会にとって良い態度などのことを言うのではないだろうか。

つまり、良い子というのは、他人にとって都合がよいという意味である。

良いか悪いかは、自分以外が判断するものなのだ。

これは、日本の伝統でもあり、「正しい」考え方だ。

だから、この文章を読んだ人が、日本人としての美徳を否定されたような気がして、ムッとするのも当たり前。

他人のために。というのが日本人の正しさだから。



自分よりも他人を優先する文化は素晴らしい。自己犠牲などが素晴らしいと思えるのも、その正しさのせいだろう。

私もそうだ。ヒーロー映画が大好きだし、身を挺して他人を守る姿を心からかっこいいと思うし、憧れる。


「他のために」という考え方は、日本人の誇るべき美徳だ。
それは間違いない。


しかし、長所と短所は裏表である。長所の裏に、必ず短所が存在する。
これは、絶対的な法則で、この素晴らしい美徳の裏にも、短所は存在する。


他を優先する考え方。この価値観の短所を考えてみる。

それは「自分を優先することが正しくないことである」と思うことではないだろうか。
つまりは、自分を大切にすることが後回しになることだ。
人のために行動することが正義だから。

迷惑がかかるからやめなさい。
迷惑をかけない子が良い子。という考え方。

どんな言葉にもうっすらと潜んでいる「我慢をして他人に合わせなさい」「我慢をして自分の欲求を抑えなさい」というような本人の心を無視して押さえつける正しさがあるように思う。

「その考え方がなくなったら、日本は終わってしまうぞ!!」って思った方もいるはず。それはそう。この考え方で日本は成り立っている。いくらブラックな会社でもつぶれないことから証明されている。ストライキすら起こらない。


本来、「他人のために」という行動は、自分が満たされていて、あふれる愛が他人への愛として、思いやりとして表出するもの。

そこに自分への愛がなければ、愛されることが目的で、他人のために動く人になる。他人から愛を奪うために、人に尽くすようになる。尽くされる側は、その言動から、それをうすうす感じ、奪われまいと離れていってしまう。他人からの見返りがなければ動かない人間が出来上がる。

つまり、他人を優先する前に、自分への愛が大事なのだ。

自分を大切にしているかどうかが重要なのだ。

今の日本の教育には、そこが欠落していると私は考えている。

他人を愛する前に、自分を愛することが大事なのに、それに気づいている大人は少ない。

自分を愛すことができる取り組みを第一に考えて、教育は行っていくべきだと思っている。

他人のための良い子である前に、自分のための良い子、自分の好きな自分で在ることが子ども達の健全な未来につながると信じている。





読んでくださり大感謝!
自分を愛せることを第一に考える教育。
これが私の目指す教育です。

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少しでも仲間が増えたらいいなぁ♪(^^)

自分を愛するための教育法は、現在いくつか実践中です。
よければ他の記事も読んでみてくださいね♪
少し長くなってしまった!
ニキチャコでした!またねー!




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