未来は見えない。だからこそ自分で決めるんだ。
自己決定することが大切。
その方がポジティブな感情が生まれ、主体的に生きられるから。
主体的だからこそ、粘り強く取り組むことができるようになるから。
そのことを踏まえて、最近の教育現場では一斉授業の型から脱するために「もっと子どもにゆだねましょう」と言われるようになった。(私の自治体では)
前回の記事(1000字程度)で「なぜ自己決定することが良いのか」を論じたとおりである。
今回は、そこをもう少し突っ込んでみることとする。
簡単に言えば、『自己決定とは、人間という種が生きていくために生み出した苦肉の策』ではないか、という話である。
少しマニアックな話になりそうなので、気を付けていただきたい。
(2200字程度)
まずは、もし自己決定できないとどうなるかについて考えてみよう。
それはもちろんストレスがたまり、それによって無気力になったりすると思う。
例えば、あなたが自分のタスクだけでも手一杯のサラリーマンだとする。
今日は残業確実だという状況である。
そんなとき、上司に「これ、やっといて。今日の帰りまでに必ず。できれば今すぐ取りかかって」と圧をかけられながら机の上にバサッと書類をおかれたらどうだろう。
「はぁ!? こっちは自分の仕事で手一杯なんですけどぉ!? 自分がやれよ! この〇〇野郎!」なんて口がすべりかねないほどにイライラするのではないだろうか。
もしくは「はい。わかりました」と言った後に、大きなため息を漏らすのではないだろうか。
しかし断れるはずもなく、言わずもがな、多大なストレスに見舞われるだろう。
私たちの体は、自分自身がコントロールできないことに対して、ストレスを感じる構造になっている。
自分の身に起こることをコントロールできないということは、自分の安全を保つことができないということにつながるからだと考えられる。
先ほどの例で言えば、
残業は体に自身の体に負担をかけるものだ、それを強制されるということは、自分の身が危険にさらされることになるではないか、と体は考えているということだ。
そこまでいつも意識しているかは置いておいて、無意識下ではそのように考えてストレスを感じているということである。
人間にはいくつかの欲求が標準装備されている。
欲求は「~したい」「~しないといけない」と自分に足りないものを欲し、行動を促すエネルギーのもとになっている。
生理的欲求に始まり、コントロール欲求、安全欲求、承認欲求、グループ欲求などがある。
生理的欲求は、言わずもがな生きていくために必要不可欠だ。
しかし、他の欲求はというと、そうでもない。
安全欲求 ⇒ 普通に生きれば安全は確保されている。
承認欲求 ⇒ 認められても、認められなくても生きていくことができる。
グループ欲求 ⇒ 誰かと同じじゃなくても生きていけるし、特別であっても生きていける。
こういった欲求たちは、捨てようと思えば捨てることができるだろう。
つまり、その欲求のために引き起こされる行動を抑制できるということだ。
しかし、「周りをコントロールしたい、いや、しなければいけない……」と行動を引き起こすコントロール欲求は、生理的欲求と同様に、人間である限り完璧に捨て去ることは難しいと、私は考えている。
なぜなら、私たちは未来を予知することができないからだ。
コントロール欲求は、「コントロールできていない」と思い込むことから始まっている。
その思い込みを解消しようにも、目の前の現実のすべてをコントロールすることは決してできない。自然災害などがいい例だろう。
ここが人間の限界である。
コントロール欲求は、未来を予知できない人間という種に、必ずセットされている装備といえる。
思い通りにならない相手にイライラする。
言うことを聞かない子どもを叱りつける。
期待通りの対応をしない店員に腹を立てる。
自分の力ではどうにもならないことに、人はどれだけストレスを感じているだろうか。
しかし、今まで述べてきた通り、このストレスを完全になくすことはできない。
私たちは、日常のストレスと上手に付き合っていくしかない。
ではどのようにストレスと付き合っていくか。
そこで大切になってくるのが、自分で選んで決めているという感覚(自己決定感)である。
自分で選び、決定すると、自分の進む道をコントロールしている感覚をもつことができる。
そのため、ストレスが軽減される。
言い換えれば、周りのことをコントロールしたいのに、そんなことできるわけないから、苦肉の策で「自分で決めたんだ!」と信じることにする、それでコントロールできていることとする。 よし! コントロールできている! これで安心だ!、という感じだ。
苦肉の策というとなんだか少しカッコ悪い感じがするが、仕方ない。
これでいいのだ。
人間にどうにもできないことはあきらめて受け入れればいい。
前回紹介した " 自己決定によって、結果に左右されずにポジティブな感情が生まれる " という科学的根拠は、コントロール感がどれだけ私たちの脳にとって重要かを示していると思う。
自分で選んで決めたという事実だけで、「コントロールできているんだ! やった!」と、いつでも未来の不安を抱えている脳は大喜びしているようだ。
まとめると、私たちは未来を予知できないからこそ、コントロール欲求を手放すことができずに、うまくいかないことに対してストレスを感じる。
人間関係に対しても、学習に対しても、「自分で選んでいる」という感覚は、主体的に生きるために重要である。
また、自分をストレスから守るためにも有効だ。
未来を予知できない私たちだからこそ、自分で選び、決定することが大切になってくる。
それは人間の限界を受け入れ、それでも絶望せずに前に進むために、人間が生み出した知恵、と言えるかもしれない。
自己決定感を持つことが、人間がより幸せに生きるという点において重要だと理解していただけたであろうか。
みなさんもぜひ、どうにもならない現実をコントロールしようとすることよりも、小さな自己決定感を積み重ねて、主体的に生きてもらいたい。
これから起こることは分からない。
だからこそ「自分が決めているんだ」と納得して進んでいこう。
たった一度きりの人生だから。
ここまで読んでいただき、大感謝!
(「自己決定なんかしなくても、実は全部あなたの思い通り。現実はすべてあなたがコントロールしているから」なんておかしな私の主張は、下の記事にまとめています。コントロール欲求を少しでも和らげたい方は、読んでみてもいいと思います。約5000字)
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