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未完成のまま

人は完璧を求めても仕方がないとわかっていてもそれに近いものを手に入れようとします。途中でやめると「ちゃんと最後までしなさい!」と親から叱られた経験は誰しもあります。

その時はつまらない、疲れるから、そして面白くなくなったといろんな理由があるものですから続けることは一つの修行のようになってますます嫌いになってしまったという人もいるでしょう。

習い事を始める時は大体は友達が習っているからと親に連れられて体験レッスン、珍しいのも手伝っておもちゃを買ってほしい時のように「やってみたい!絶対やめないから~」と言うものです。

親はそれを聞くとやる気スイッチが見つかったと、嬉しくていろんなことを習わせたがります。果たしていつまでも続いて今もという人はほんの一握り!みんな途中で挫折、断念します。

それでいいのかもしれません。自分に合っていないと分かったのですから…。それをできるようになるには相当の努力が必要なことも。生半可ではダメなんだという厳しさも小さいながらに分かったでしょう。

また少しでもかじっていると後々もう一度!という機会もやってくることがあります。

未完成と中途半端!似て非なるものですが、どちらもそんなに悪いことではなく、長くて短い人生の中で一つずつをこなしていくには時間があまりにも足りません。

いろんなことを経験することはいいことです。
「あの時高い月謝を出したのに何の役にも立っていない!」と愚痴る母親もいますが、親は何を期待したのでしょう⁈

今は豊かな時代。いろんな習い事が豊富でサッカーや野球でプロになって海外で活躍している選手も大勢います。みんな小さなころから続けてきた賜物!多かれ少なかれ親との二人三脚です。
それを見ると我が子も!と親は夢を見ますが親も限界を感じます。
才能は誰しもあるものではなく一握りの人に与えられたもの。ちゃんと天は見ています。どんな所にいてもその才能は開花するチャンスを待っています。

私たちの小さなころは習い事と言えばお習字やそろばん、そして高学年で塾がちらほら。
ピアノやバレエもありましたが私は長続きしませんでした。

父は字を書くことが得意でしたが私に習わせようとはしませんでした。
一つだけ、手紙を書くときは相手を思って丁寧にと言われただけです。

そろばんも今に機械が計算してくれると言ってました。
なので特に習いたいものもなく暇な小学生時代を送っていました。

今私がその当時の年齢ならどうでしょう?あれもこれもと習い事にいそしんだでしょうか?

何でも長続きしない性格ですから親もわかっていたのでしょう。でも未完成ながらいろんなことを見たり聞いたりはできました。
それは今になっていろんな考え方が出来るということに少しは役に立っているようです。

これはこれで良し!好奇心だけは大切にしたいものです。

今日もいい日にしましょう!




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