見出し画像

昭和のおばんざい


土曜日はおとなも半ドン。仕事は午前中でおしまいでお昼頃には帰ってきました。

子どもたちも土曜日はお昼まで。小走りで帰りました。友達と遊ぶこともありましたが、おとなが早く帰ってくることが嬉しくて週末は大好き!でした。

いつもより土曜日の時計はゆっくり時間を刻みます。
お昼ごはんがすむと父と散歩に出かけたり、友達も誘って一緒に家で遊んだりといつも賑やかでした。

初めて家に来た子もすぐに溶け込んで、一緒にご飯を食べたりと家族も歓迎していました。

我が家はいつも誰かのお客さんや友達が来ていて、家族だけの土曜日という日はあまりありませんでした。

そんな来客はほとんど晩御飯を一緒に!ということになり、帰る人もいなかったような…。

振る舞うことが好きな家族でしたが、ごちそうを出すということはあまりなくて、普通の晩御飯。お酒を呑むおとなには何種類かのつまみが出ましたが、おばんざいはいたってふつうです。

こいも、こんにゃく,にんじん、さんどまめ、厚揚げ、それに季節の野菜が加わって煮物は定番でした。今でもたまに同じ材料で作りますが、帰省した娘が一番喜びます。

土曜日ごと淡路島からやってくる魚屋のおじさんはその日の新鮮な魚を持ってきました。
さばくのはうちの台所で包丁は自前のもの。それを遊びに来た友達と飽きずに見ていました。おじさんも張り切って見事な包丁さばきです。
たまにお祝い事があると明石の鯛。この季節は桜鯛といって特においしいとおじさんが言ってました。

当時の誕生日には必ずと言っていいくらい鯛の尾頭付きの塩焼き。真ん中に鎮座?していました。今のようにケーキが一緒に並ぶことはなく、それは食後のお楽しみ!

普段でも尾頭付きはだいたい祖父と父の前にでんと!ほかの家族は切り身になるのですが、みんな跡形もなく骨だけが残るというきれいな食べ方でした。

野菜は何品かあって旬のものを食べることを大切にしていました。
いまでいう地産地消もそのころから…。自然と四季折々のものは覚えました。

タケノコがどっさり送られてくると淡路島のわかめと、フキの煮物が出ます。このころの豆ごはんは大好物で、春は美味しいものがたくさん!

いまでもホタルイカや、しんこなどをスーパーで見つけると迷わずに籠に入れます。
いかなごは頂くもの?と思っていたので母たちが炊いていたのを見たことはありませんが、近所からはいいにおいがあちこちからしました。

家庭ごとに味が違って私は甘めのくぎ煮が好きでした。

あまり揚げ物が無いのが我が家ですが、そんなものだと思っていました。
今のように子供を中心とした献立はなく、おとなと同じものを食べました。そんなに塩分を気にするふうもありませんでした。

子どもは大切にされましたが、特別扱いすることはなく、おとなのすることや話すことを自然に聞いて学習しました。

それがいいの悪いのではなくごく普通の事でした。
だから挨拶も自然に、素直に「ありがとう」と言えたのはおとなたちが使っていた普段からのことば!だからです。

今や核家族、年長者の意見も聞くことが少なくなっていますが、情報はたくさんあって心配なさそう!と思っていたら最近の若いママたちも時には母親のアドバイスをもらうことがあるとか。

聞くとなんだか安心するそうです。何にもない平凡な毎日でしたがたくさんのことを学んで、それが自然と財産になる!これが家族の良いところかもしれません。

今日はタケノコごはんを食べたくなりました。パン!と手のひらでたたいていい香りの木の芽をそえていた母の横顔が浮かびます。

今日もいい日にしましょう!



この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?