『ザ・ホエール』 ダーレン・アロノフスキー
超ネタバレあんど不親切記録となっております。
どう言っていいかわからないけど、なんというか心の弱い人ばかりが出てくる物語で、妙に気持ちが寄り添ってしまったように思う。
私も大概心が弱い人間だからかな。
*
かつてチャーリーは8歳の娘と妻の元を去り、教え子アランの元へ走った。しかしその恋はアランの自死で幕を閉じることになる。
現実を受け止められないチャーリーは過食に走り、健康を失ってしまう。アランの姉である看護師のリズに支えられ、オンライン講師で生計を立てるが、病院にかかることを拒みつづけいよいよ危険な状態に陥る。
人生の終いを覚悟したチャーリーは8年ぶりに娘に連絡を取るが……という語。
こう書くとチャーリーって、とんでもなく身勝手な男だなと思う。
娘の立場に立ってみると、なかなかにハードな経験をさせられるなと思うもの。
死に際に呼ばれたって今更。
それでもチャーリーの「人生の最後に正しいことをしたと思いたい」という気持ちは切実だったんだろうとは思う。それが娘に対する罪悪感を払拭したいという、これまた身勝手な動機から来るものだとしても。
チャーリーにとって、恋人への思いを抱えたまま妻子と暮らすことは、自分自身そして恋人と妻子に対する裏切りだったんだと思う。
チャーリーなりの誠実さ、というのだろうか。
恋人への思いにも、妻への優しさも娘への思いにも嘘はなかったのだろう。
夫の愛を失ったことを知り、妻は苦しんだだろう。
両親の結婚が破綻し、父を失って、娘は悲しんだだろう。
でもそれ以上にチャーリーの想像が及ばない、思いもよらない場所で、解釈で、妻も娘も、そして恋人も膿んでいた。
現実の傷つき以上に解釈が彼らを追い詰めたのだと思えてならない。
愛を得て幸福だったはずの恋人は自死し、チャーリーの前から姿を消す。
信仰心の強い彼が見ていたのは好きな人に愛されているという現実ではなく、同性愛は神に許されるはずがない、罪を犯し神に見捨てられてしまったという解釈だ。
「ダメな母親と思われたくなかったから」的なことをつぶやくアルコール依存症の元妻は、チャーリーの心変わりを自分の責任のように解釈していたのだろう。その上娘を自分の延長のように思い抱えきれない責任の一部を覆い被せてきたのではないだろうか。「あの子は邪悪なの」と言われて育った娘のことを思うと胸が痛くてたまらない。
人間なんてろくでもないと教えてもらったなどという娘は、両親の結婚が破綻し、結果父親に合わせてもらえなくなったという現実ではなく、私は父から捨てられたのだという解釈に傷ついていた。
母から投げ込まれた「あなたは邪悪」(捨てられたのはあなたのせいだとも解釈できないだろうか)という呪いを跳ね飛ばすのに必死だったことだろう。
与えられるはずだった愛情を与えなかった父や母を投影し、人間なんて信用に値しないと、悪行を繰り返す。その行動はまるで必死で親の愛を試す幼児のようだ。
愛人の死と、荒廃した妻と娘を前に、チャーリーも自分は人を傷つけてばかりの救う価値のない人間だと解釈している。
だからこそ「人生にたった一度だけ、正しいことをしたと信じたい」という切実さで持って行動を起こすのだ。
「たった一度」つまりチャーリーは自分自身に対し一度も正しくあれたことはない人間だという評価を下している。自分なりに誠実であろうとしてきたのにも関わらずだ。
「たった一度」とまで思い詰めた行動の奥には、娘に対し自分の思いを受け止めて欲しいという期待がある。
チャーリーがオンラインのエッセイ講座で学生たちに送るメッセージは、ただ自分自身であれということだった。
それを表現する者の煌めきをこそチャーリーは愛おしむ。
私が望んでいるものを差し出してほしいんじゃない。
エッセイを通してあなたを知りたい。
あなたが何を感じ、何を考え、何を表現したいと望むのか知りたい。
それを表現することだけが意味のあるものだと伝える。
つまりあなた自身が素晴らしいのだとわかってほしい。
チャーリーは学生に娘を投影していた。娘に伝えたいことをずっと学生に向かって話していたのだ。
人にはあなたは素晴らしい(自分自身を愛せ)とメッセージを送っておきながら、チャーリーは自身を蔑ろにする。
自分自身に対し酷い評価を下しているチャーリーは、自分だけは例外だという態度をとっている。
自分は醜い。大切な人たちを傷つけて、後悔することしかできない自分など消えてしまうべきだ。治療する価値もない。自分のために貴重なお金使うくらいなら、全て娘のために残してやるべきだと考える。
自分自身の姿に自分で傷ついて、過食する。
あんなに痛々しい食事シーンは他にない。
まるで自傷、いや自殺行為だ。
私が娘なら、そんなふうに父親自身を蔑ろにして残されたお金を前に、何を思えばいいかわからない。
悪いと思っているのなら、どうして私のために生きようと思ってくれなかったのか?
人を信じることができず、自分のことを愛せないで、嫌なことばかりする混乱した私を、どうして再び置いてけぼりにしてしまうのか?
私を支えて。生きて、一生償ってよ。私のお父さんを返して。
満たされない子供の心を宿した娘は口では金をよこせと言いながらも、きっと、心の中でこう叫ぶだろう。本当に欲しいのは愛情なのだ。
娘は愛が欲しかった。でもこんな形を望んだわけじゃない。独りよがりな父の愛をどうしていいかわからない。
そんなチャーリーの独りよがりな思いは恋人の死後、そばでチャーリーを看護をしてくれた恋人の妹リズをも傷つける。
本当は持っているのにお金はない(自分のお金が全て娘のものだ)と言ってリズの困難を放置したのだ。
本当はお金があった。
チャーリーのために時間を割き手間をかけ尽くしていたリズへの思いやりはないのか。
彼女の虚しさはいかばかりだったろう。
またお金に関しては元妻も辛さを味わったはずだ。
単純にお金の問題ではない。愛の問題と捉えて、胸が軋むのだ。
娘に全額残したいと言うのはつまり、元妻には何も与えるつもりはないということ。思いやってもらえないと言うこと。
いまの彼には娘だけあればいい。元妻には何一つ残したいものはないと解釈してしまうと言うこと。
それに傷つかないはずがない。
ただでも娘を抱えきれなくなっているのに、さらに嫉妬を生むようなことをして、いい方向に向かうだろうか?
リズや元妻を傷つけて、彼の死後、大事な娘は誰に支えてもらえるだろうか?
一所懸命娘を思い良かれと思ってチャーリーは独りよがりになる。娘しか見えていないからだ。
恋人の時もきっと彼しか見えなくなって、周囲を傷つけたのだろう。
自身の傷にとらわれた娘の行動は無慈悲だ。子供が押し付けられたひどい自己像を跳ね返そうと気張るその時、相手の状況は見えていない。
それと同じくらいチャーリーも自身の想いに夢中で周囲の人間の気持ちが見えず、無慈悲になっていたといえるだろう。
当人はただ必死なだけだったのだとしても。
誰が見てもいただけない娘の態度は、チャーリーにだけは傷つきの深さとそれを負けず跳ね返そうとする輝かしい力として映る。
自分のつけた傷によって生まれた曇りだと知っているからだろう。
その力が前向きなものになるように、なんとかしてやらねば。死ぬまでに曇りを晴らしてやらなければと思う。
チャーリーは娘に言う。
あなたは素晴らしい子だと、自分は間違っていたと。
私は彼からこの言葉が聞きたかった。娘もきっとそうだ。
君を捨てて家を出るなんて、どうしてそんな酷いことができたのかわからない。後悔している。
娘が産んでくれと頼んだわけじゃない。チャーリーとその妻に願われて娘はこの世に生まれてきたのだから。
チャーリーはその時その時、自分の気持ちに誠実に人生を選んできたのだろうと思う。
だけれど8歳だった娘だけはどうしたって「いらない子」にしてはいけなかった。
なのに自分は家を出てその責任を放棄した。さらに自分を蔑ろにして二度と果たせなくなろうとしている。なんて身勝手なことだろう。
だから傷ついた彼女をそのままにして、いなくなるわけにはいかなかった。何があっても、絶対に受け取ってもらわなければならない。
娘の前で許しを乞う。
最低限、それだけは「正しいことをした」と言えると思った。
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