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蟹の内輪差

忙しさのあまり蟹の列に横入りした。忙しさのあまり蟹の不器用さに薄笑いを浮かべた。忙しさのあまり蟹を剥かずに食べた。忙しさのあまり前しか見られなかった。
そんな激動の日々から一変した。方々から、感染症拡大防止のため外出を控えるように強く言われた。幸か不幸か、暇ができた。心に余裕が持てた。
蟹と向き合った。今までの時間を取り返すように蟹と向き合った。僕がボクシンググローブをはめ、申し訳ないほど蟹にジャンケンで勝ち続けた。お互いがお互いの不器用さを笑い合った。蟹と向き合った。ホコリをかぶった数学書を引っ張り出してきて、蟹の内輪差を導き出した。蟹と向き合った。蟹とはこんなにも美味しかったのか、隅々までいただいた。蟹を剥き割った。ザリガニにまで手を伸ばした。ザリガニの交尾の動画を見ている時だけ、あの罪を忘れることができた。ガニと向き合った。
蟹と、蟹と、蟹と、蟹と、蟹と、ガニと、蟹と、ガニと...
つみ重なった蟹の食い殻が部屋の片隅に置かれ、飼い慣らさないほど膨れ上がる後悔、恥ずかしくも感じてしまう退屈さ。崩れる落ちる食い殻。転がる食い殻。蟹のピース。

#小説 #ショートショート #掌編小説

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