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断捨離と古いものとか金属とか

断捨離を実践する中で困った事がある。できる範囲で不要なモノは捨てて、キャンプ用品等コンパクトで軽い物を揃え、日常で使っている

一方で昔ながらの自然素材を最低限の加工を施した伝統工芸品も好きだ。でもそういった工芸品はお世辞にもコンパクトとは言えない。

そして、その様な伝統工芸品を捨てると、何か自分の中にある大切な物を捨てるような気がしていた。何故だろう。

そんなの事を考えていた時、前から開催されると聞いていた葦で船を作るWSの概要が掲載された。その中には~葦舟は一つの生態系となって航海するという記述。ここに何かヒントがありそうだと思った。

道具は使っていると自分の垢がつく。食器等の食物関係の道具なら、身体に入れている食材がついたりもする。その垢や食材を微生物が食べているのであれば、自分と道具の回りに似たような微生物の生態系が育まれているのではないだろうか。

そう考えると、世界は自分とモノではなく、自分はモノであり、モノは自分になる。

そして、伝統工芸品の様な自然素材で作られたモノをを捨てる事は、自分の一部を捨てるような感覚を産み出すのではないだろうか。
勿論使った頻度や年数にも依るだろうが。

また、この微生物の生態系こそが、好きな人、モノ、空気感とか雰囲気とかにも繋がっていると予測している。

、、ここまで書いて思った。「垢とかなら何にでも付くじゃん」

そこは自然素材ならではの微生物の住み心地とかあるのかなー。作り手の微生物うんぬんかんぬんとかあるのかなー。素材による空気とか温度とか、湿度とか関係あるのかなー。って感じです。

モノって何だろうか。

まぁ、葦船作り1日目。そんな事を考えながら楽しみました。

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