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「自分がされて嫌なことは他人にするな」ができない理由

今回は、私が日々の仕事から感じたことをもとにして、人間関係はなぜうまくいかないのかを考えていきます。

「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」
【意味】自分がされて嫌なことは、他人も嫌だと思うことなのだから、
    他人にしてはならない。

出典:『論語』巻第六 顔淵第十二、巻第八 衛霊公第十五

これは、子供の時に誰しも聞いたことがある言葉なのではないでしょうか。
孔子の書いた論語にある言葉で、私も小学生の時に教科書で習った覚えがあります。

自分がされて嫌なことは、他人にしてはけない。
例えば、あなたがが誰かに無視されるのが嫌だと思うのであれば、あなたも誰かを無視したりしてはいけないよ、ということですよね。

人が社会を形成して集団で生きていく限りは、お互いに信頼し、協力し合う必要があります。

そのため、仲間に対し、嫌な思いをさせないということが重視されるのです。

この言葉を聞いても、多くの方が当たり前のことと感じると思います。

しかし、この世界の全員がこの言葉を実行できていたら、もっとお互いに傷つけずにいられるはずなのに、そうなっていないのはなぜなんでしょうか?

私たちはなぜいつまでもいがみ合っているのか?
これが純粋に疑問だったので、一つ一つ考えていきたいと思います。


相手を傷つけてしまう時はどんな時?

どんな時代でも、私たちの悩みの中心には人間関係があります。

私たちはお互いの関係の中で悩みを抱えていますが、本当は悩みなんてない方がいいですよね。
だからこそ、いつもお互いに感謝し合ったり、優しく接することが大切だと思います。
それが私たちみんなにとって幸せなことです。

逆に、相手の行動にイライラすると、自分自身も嫌な気持ちになってしまい、何も良いことはありません。

それなのに、私たちは時々お互いを傷つけてしまうことがあります。
どうしてそうなるのかを考えるために、相手を傷つけてしまう状況を一つ一つ見ていくことにしましょう。

意図せず傷つけてしまうパターン

①自分が意図せず言った一言が相手を傷つけてしまう

例:「意外と顔小さいよね」
これは実際私が言われた言葉です。笑
「意外と」ということは、普段から顔が大きいと思われていたのかな、となんだか悲しくなった思い出です。

この時は相手に私を傷つける意図はなかったとわかっているため、何も問題にはなりませんでした。

ただ、私が、相手の話す内容を深読みしてしまったからこそ逆の意味を感じ取って傷ついてしまっただけで、もしかすると、そんな意図は全くなかったかもしれません。

②相手が自分の状況・行動を見て、傷ついてしまう

例:「自分は評価されないのに、あの人は仕事をしていないのに評価されている」と相手が思って落ち込んでしまう

誰しも、誰かと自分を比較して傷ついてしまうことがありますよね。

自分が誰かにとっての比較対象となった場合、自分の全く意図しないところで相手を傷つけるきっかけとなってしまうこともあります。

自分の思い通りにさせようとしてしまうパターン

私たちは、相手が自分の思い通りにならないとイライラしてしまい、つい怒りをぶつけてしまうことがあります。

また、誰かのせいで嫌な思いをした時、その人にも同じように嫌な思いをさせたくなることもあります。これはお互いにとって辛いことですよね。

例:仕事で自分が正しいと思うやり方でとは違う進め方をしていると、すぐに口を挟んでしまう

こういうとき、つい「私の思っているやり方の方が絶対正しい」「これ以外に正解はない」と思い込んでしまっているのではないでしょうか。

自分でよくよく考えて出した答えを絶対に正しいものと信じたい気持ちは誰にでもあります。

ですが、仕事では「唯一の正解」なんてほとんどの場合あり得ません。
むしろいろんなやり方から吟味して選んだ答えの方ががより良い成果が出るかもしれません。

さらに、自分のやり方を常に押し通してしまうと、周りの人たちから見て「あの人は否定ばかりしている」「面倒だから全てあの人の指示を仰いで仕事をしよう」ということになり、周りの職場環境がどんどん悪化していきます。

なぜ実現できないのか

ここまで、お互いに相手を傷つけてしまうパターンについて考えてみました。

そんなつもりはなくても、お互いに気付かないうちに傷つけ合ってしまうからこそ、人間関係はこんなにも難しいのかなと感じます。

では、これらの問題を解消するためにできることを考えるためにも、まずはそれぞれの原因を考えていきたいと思います。

理由① 私たち人間の想像力が限定的であること

私たちは他人に何かをするとき、毎回毎回「自分が同じことをされたらどう思うか」を吟味することはありません。

事前に十分検討していたら、「自分が他人にこれをされたら嫌だろうな」と思い至っていたはずなのに、それを想像せずに、他人にやってしまうことがあります。

自分が同じことをされたら即座に嫌な感情が湧き上がり、相手に抗議したり、相手を責めたりするのに、自分はそれを気づかず相手にしてしまうのです。

また、自分が相手にしたことで相手に起こった感情は、相手にしかわかりません。

相手が自分にその身を持って伝えてくれないと、相手の感情を知ることはできません。
さらに、きちんと伝えてくれた場合でも、相手と全く同じ感情になるというのは難しいことです。

つまり、自分が相手を傷つけてしまったことを、本当の意味で自覚するのは難しいと言うことになります。

そのため、自分が相手にしようとしていることが、「自分がされると嫌なこと」なのかどうか、常に考え続けることは難しく、さらに、考えたとしても本当の意味では理解できないということになります。

理由② 相手の行動を是正したくなること

私たちの祖先はずっと昔から集団で生きてきたために、集団を成り立たせるためのルールを本能として備えています。

つまり、誰かが自分に嫌なことをした時は、同じことを繰り返さないように相手にその行動をやめさせようとします。

相手に抗議したり、どれだけ嫌だったのかを伝えたり、相手を同じ方法で傷つけてその辛さを自覚させようとしたりとさまざまな方法で相手の行動を是正しようとします。

そうすることで、私たちはお互いの行動を抑止し合い、集団の中で問題を最小限にとどめようとしてきました。

私たちがこうやって今も集団として生活し、昔よりもはるかに大きなコミュニティの中で共存できているのは、この本能が私たちに備わっているおかげなのかもしれません。

なんとか対策できないのか?

孔子が何千年も前に非常にシンプルな答えを出してくれているのに、私たちがいまだにお互いの関係性について悩んでいるのは不思議なことのようにも思えます。

裏を返せば、この問題を0にすることはできないのだと思います。

私たちは様々な方法で傷つけ合ってしまいますが、私たちにできる努力はそれを最小限にすることと、お互いに傷つけてしまうことを受け入れることだと思います。

対処法① 問題を最小限にする

まずは、他人を思い通りにしようと思わないことが大事です。

自分にとってはこれが正解だと思うことでも、他の視点から見ると違うのかもしれません。

ですが、常に意識しようとしても難しいですし、自分の考えや願望に従って行動するとどうしても避けられないこともありますよね。

対処法② 問題を受け入れる

「私たちは時にお互いに傷つけ合ってしまうという」ことを受け入れることが対処法になるかもしれません。

お互いに良い関係を築いていきたいのであれば、例えば誰かのしたことで傷ついたとしても、それをコミュニケーションのよくあることとして認めるのも選択肢としてはありです。

でもそれは、お互いに良い関係を築くという目的があるからこそできることです。

「いつもいつも自分だけが損をしている」「もう耐えられない」ということであれば、もちろん無理に受け入れようとする必要は全くありません。

まとめ

ここまで、お互いに傷つけ合ってしまう理由と、その対策について考えてみました。

私たちは、特に理由もなく、わざと相手を傷つけようとすることはほとんどありませんよね。

だからこそ、コミュニケーションは難しく、思い通りにならないのかなとこの記事を書いていて思いました。

私たちは傷つけることもありますが、それ以上にお互いを癒したり、原動力になったり、幸せを共有したりと人間関係が私たちに与えてくれるものもとても多いです。

できればお互い傷つけたりせず、良い関係を築いていきたいですね。

今回は、人間関係やコミュニケーションについて少し考えてみました。

つらつらと考えたことを書いてみただけですが、もし何かみなさんにとっても考えるきっかけとなったら、嬉しく思います。

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