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「獏」第十二話

爆心
(3)

 その日、仕事を終わらせて車庫へと戻ると、事務所はもぬけの殻だった。キャプテンもハングマンもB.F.もいない。
 ボヤの件で全員出払っているんだろう。
『ジャスティスの奴、大丈夫かな?』
 イヤホンの向こうでハンサムが呟く。
「きっと大丈夫だ。こんなことでへこむような男じゃないよ」
 俺がハンサムを宥めると、イケモトの落ち着いた声が聞こえた。
『車庫に戻ったら、俺がいろいろと情報を仕入れておくよ』
 イケモトは、普段は本当にどうでもいい蘊蓄ばかり語っているが、今日ほどこいつが心強く思えたことはなかった。
〝燃えてる部分をテールゲートから排出しろ!〟というあの咄嗟の判断。イケモトの叫び声が頼もしく思い返される。
 そんな俺の気持ちを代弁するかのようにアトラスが言った。
『お前って実は、頼りになる男だったんだな』
『はぁ⁉ それってどういう意味だよ? 俺はいつだって頼りになるでしょ?』
 照れ隠しなのか、イケモトがいつもより少しだけ大袈裟に荒々しく喋る。いつもは即おさらばする事務所のベンチに座り、馬鹿話に興じた。くだらないネタを持ち出しては互いを貶し、笑い合った。今回の騒動のおかげで、仲間の絆が増したと思える時間だった。

 だが翌日、笑えない出来事が俺たちを待っていた。
 夜半、出勤して従業員用スペースに車を停める。すると、普段は見かけない車が二台停まっているのに気付いた。ハングマンとB.F.車――平常、この時間には出勤していないはずの二人の車だった。
 事務所にも二人の姿はない。なぜこんな時間に? 何か嫌な予感を抱きつつ、パッカーの鍵をとって出発準備を始めると、イケモトから着信があった。
『D.J.大変だ! ジャスティスが首切られたらしい!』
 イヤホンを装着するが早いか、焦った声が飛び込んでくる。
「首切られたって⁉ どういうことだよ、イケモト!」
『クビだよ、クビ! クビ切られたんだ』
「は? どうしてジャスティスがクビなんだ?」
 俺は耳を疑った。訳がわからない。
『ハングマンが上に掛け合ったんだよ!』
 イケモトが集めた情報では、どうやら昨日のボヤ騒ぎの一件がジャスティスの解雇を決定づけたらしい。
『ここぞとばかりに、気に入らないジャスティスのことを都合よく追いやったのさ!』
 イケモトの声が怒りに満ちている。普段からハングマンに盾突き、店側から苦情をもらいまくっていたジャスティスは、ハングマンにとって邪魔者以外の何者でもなかったと言うことだ。
「だからって……、人事は俺ら現場の人数が足りてないことは把握してたんじゃないのか? 本社の人間もジャスティスが邪魔だったっていうのか?」
『いや、ジャスティスの解雇はハングマンの一存らしい。キャプテンがそう言ってたよ』
 なんだって? ――俺は耳を疑った。
「一存? 一存でクビなんて切れるのか? それにジャスティスはどっちかっていったら被害者だろ。なんでキャプテンは守ってやんないんだ⁉」
 まったく、お飾りにもほどがある。そんな下っ端の横暴を止めるのが主任の仕事だろうが。
『キャプテンなんかに、ハングマンに意見する口なんてないんだ。D.J.お前だってわかってるだろ』
「それにしたって!」
 苛立ちながらイケモトに当たるが、どうにもならないこともわかっていた。やりきれない思いを抑えられずに、イライラしながら信号前の停止線で何度も舌打ちする。その日、俺たちの会話といえば、この件に対する不平・不満ばかりだった。
「誰かジャスティスに連絡取ったのか?」と訊ねても、『いや……』と歯切れの悪い答えしか返ってこない。俺はさらに苛立ったが、実際ジャスティスと連絡がとれたからといって、あいつになんて声を掛けてやればいいのかわからなかった。
 いつもは賑やかなイヤホン通話も、空気が重い。いっそのこと、今日は切ろうかと言いかけると、アトラスが景気よく言った。
『まぁ、今日くらいはゆっくり休ませてやろうぜ』
 俺たちが落ち込んでいても仕方がない。ボヤが起ころうと何が起ころうと、回収はしなきゃならないんだ。だがどんなに自分を言い聞かせても、やはりどことなく落ち着かない。
 どんよりとした空気は変わることはなかった。
『それにしたって、いきなりクビはないよなぁ? あいつだって今までこの会社で頑張って来たんだしさ』
 不満そうに漏らすハンサムに皆が同意する。
「店側にも責任があるんだ。少しはゴミの分別に気を遣ってほしいぜ。普通、ライターをまとめて捨てたりするか?」
 俺が不満を垂れるとイケモトが答えた。
『店が捨てたとも限らないよ。客の誰かかもしれないしさ』
『だけどさあ、運が悪かった、じゃあこっちは済まないんだぜ……』
 ハンサムの言う通りだ。市からの認可を受けている許可車両を走らせている以上、俺たちにも責任がある。だれも俺たち自身の業務責任なんざまともに読んじゃいないが、責任をなすりつけられないよう、飛び火などの災難を免れるためにイケモトがたまに誰かしらに注意する。
 可燃ゴミ袋に入っていたから、ハイ可燃として回収しました、では俺たちの仕事は実際済まされない。危険物や、回収対象ではない異物が含まれていないかをチェックするのも業務のうちだからだ。そういったことを怠れば、大きな事故にも繋がるし、最悪信頼を失い、許可取り上げ、なんてことにも繋がりかねない。
 許可を取り上げられれば、当然うちの会社はゴミの回収業務が出来なくなる。もう俺たちだけの問題じゃない。会社そのものが事業に携わることができなくなるんだ。そんなことになれば、会社に勤める全社員の生活にも掛かってくる。つまり社員全員、丸ごと仕事を失う。
 少し前に産業廃棄物処理業者が、廃棄を頼まれた冷凍食材を横流しして売っていた――なんて事件があった。廃棄依頼のあった賞味期限の切れた冷凍食材は、その産廃業者から別の食材業者へと横流しされ、再びスーパーに並んだり、加工されて食卓へと流れていたんだ。
 当然、その産廃業者や、そこから食材を仕入れた業者までもが続々と警察にパクられていったが、俺たちから見れば、可哀相なのはそこの従業員たちだ。
 なんせ、阿呆な責任者のせいで、全員が職を失ったんだからな。
 そういった不正を防止するために、この業界には〝マニフェスト〟なんてものがある。政治家が掲げるようなインチキ臭いもんじゃないぜ。
 俺も詳しいことはわからないが、イケモトの話では、排出された廃棄物が適性に処理されているかどうか、排出者がチェック出来る代物らしい。わかりやすく言うと、友人に贈った荷物が、今どの辺りにあるかわかるようなシステムなんだとか。――宅配便の追跡調査みたいなもんか?
『なぁ……? なんとかジャスティスを復帰させられないかなぁ?』
 ハンサムが言う。
 その日、俺たちは、会話が途切れる度にこの台詞を吐いていた。
『ずいぶんとつまらない会社になったよな? あの二人がまだ事務所に入る前は楽しかったのに』
 アトラスが言ったことには賛成だったが、こうなったのにも事情があった。ハングマンとB.F.が今の補佐の位置につくまで、事務所の管理業務はキャプテン一人で切り盛りしていた。
 もともと大人しい性格のキャプテンは、そもそも、こんな変わり者たちがごった返す現場の監督者には不向きだ。伝え方が優しい、というより弱々し過ぎて、ここに勤める現場の猛者どもをまとめ上げられないでいた。まったく、〝器〟じゃないってやつさ。
 当たり前だが、至極自然な流れで従業員たちも増長していった。決断力の欠けるキャプテンに、一人、また一人と愛想を尽かし、指示を無視して好き勝手。それでも現場は回る。キャプテンを吊るし上げるだけで、それなりに現場は結束していた。結果、役立たずのキャプテンは一人孤独に禄な仕事もせず、ただ事務所に存在していただけだった。
 まぁ、キャプテンにしてみれば毎日が苦痛だったろう。周りには味方はおらず、自分を吊るし上げようとする者だけ。そんなキャプテンに、ハングマンは秀吉のように取り入った。草履を温めて、キャプテンの孤独な懐に上手く入り込んだ。
 キャプテンの気持ちもわかる。そりゃ、自分の悩みを聞いてくれる部下が寄り添ってくれるなら、日頃の愚痴を打ち明けたくなるのも当然だ。いくらハングマンが野心家で、望みが叶えば平気で手の平を返すような男だったとしてもだ。結果、キャプテンは、ハングマンを自分の直属の部下として俺たちの間に置いた。そう、副主任として。
 ハングマンを介することで、自分への当たり・・・を緩和させ、クッションとして利用するつもりだったのだろう。しかし、結局乗りこなせずに振り落とされ、今ではその実質的な地位を失い、完全に取って代わられている。
 憐れと言えば憐れな話だが、キャプテン本人は、別段下剋上されたと理解しているようには見えない。仕事はないし、もともとない権威もさらに地に落ちたが、そんな現状でもまんざらでもなさそうだ。
 なぜかって? ハングマンを事務所に入れたことで、現場の人間から来る圧力がハングマンへと移って自分が楽になったからさ。
 台頭した男は、独裁的に俺たちを押さえ付け、結果、ハングマンはキャプテンのクッションどころか、最強の壁となった。このままハングマンを矢面に立たせておけば、キャプテン自身はもう吊しあげられることはない。
「なあ、ところで、ハングマンとB.F.は、二人でジャスティスのコースを走ってるのか?」
 出勤時、駐車場に二人の見慣れない自家用車があったのを思い出し、ムカムカしながらも俺が訊ねるとイケモトが答えた。
『多分な。なにせ走り慣れてないコースだからな。一人じゃ回収先もわからないだろうし、日が暮れちゃうだろうしな』
『それに、自分のカワイ子ちゃんをひとりぼっちで仕事させるような男じゃないだろう? ハングマンは』
 ハンサムがそう言うと、皆は『間違いない!』と笑っていた。

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