見出し画像

「LoOp」第三話

第一章 サトザクラ

川瀬昇流(2)

 しかし同じ田舎で育ち、同じ学校を出て、同じ職業を目指し上京したのに、どうしてこんなにも違ってしまうのかと考えると、俺はかすかに胸が苦しくなる。嫉視反目しようとする封印されたはずの俺のペルソナが、ここぞとばかりに首をもたげた。
「ところで川瀬さんは? 何かきっと立派なお仕事をされているんでしょう」
 偶然の一致で盛り上がった波柴は質問を投げ掛けた。無邪気に一歩踏み込んでくる優男の前では、俺の凝り固まった羨望の愁いなど、短ランを着た田舎のヤンキー程度にちっぽけな虚勢でしかない。
「経営コンサルタントをしているんです。リバースという個人事務所をやっています」
 正直あまり気乗りはしなかったが、自ら病室を訪ねておいて、質問に答えたくないから帰るという訳にもいかない。俺は胸ポケットから名刺ケースを取り出すと、3Rとデザインされた名刺を波柴に渡した。
「へえ、すごい……素敵なデザインだ」
 包帯だらけの波柴の手元に渡った俺の名刺が、犬っころのような円らな瞳に見つめられている。
 紙は和紙の混ざった厚手のクラフト紙で、それなりに上質感を保っている。いかにもビジネスライクな淡いブルーで縁取ってあるが、顔写真を入れることはせずにRの文字を重ねた大きめのロゴを配置してあった。
 3Rは、Reverse,Rebirth,Riversの3つのRをとったものだ。流れを変える、生まれ変わる、複数の河川や伏流などが合わさって大きな流れとなる、この三つの意味を含めてある。
 この仕事を始めた頃は俺も腐りきってはいなかったのかもしれない。個人事業主や単独店舗ではこうした印刷物は自前で用意することが多いし、テンプレートから簡単にデザインを起こせるフリーのツールも沢山ある。だが当時の俺はすっかり気負っていて、CIができるデザイナーにわざわざ小さくはない金を払って発注したのだ。
「ありがとうございます、その道のプロに褒められるとはうれしいですね」
 だが今ではこの凝ったロゴのおかげで、相手の第一印象を操作するのに困ることはない。予想外の産物だった。
「経営コンサルタント――」
 そういう波柴の瞳の奥に、別の光が宿るのに気づいた。
「それって、経費のコスト削減に関わるアドバイスや、業務の効率化、経営方針の見直しなどのテコ入れ指導をされているってことですよね」
 波柴は、控えめにコンサル業務の内容について質問をしながら、期待を籠めた眼差しで見つめた。
 こいつは俺に何か頼もうとしている――経験からすぐにそう察した。
「そうですね。依頼される中で最も多いのは、能力開発セミナーの類でしょうか。講師といっても色々で、全従業員や新入社員を集める大がかりなものもあれば、区役所などにある無料の相談窓口で、個人店舗の会計査定をお願いされたりと幅広いんですよ」
 多少の誇張はあるが、ある程度正直に業務内容を話す。波柴の気持ちが前のめりになってくるのが面白いようにわかる。もう一歩だ。
「それなりに踏み込んだことをお願いされることもありますよ。人事や賃金の見直しとか、設備投資計画の作成……クライアントさんから提出される資料では診断材料が足りないと判断した場合は、直接僕が実地調査をしたりもします」
 そこまで話すと、まだ少し躊躇いを残していた波柴は顔つきを一変させた。
「あの、小売り店舗の実践指導をお願いすることってできるのでしょうか」
 言いたいことはそれだけでわかった。網にかかったなというのが感想だ。売上改善を目指した実践指導という体裁で、入院中、こいつの代わりに俺が店を開け、ちゃっかり営業を続けようという魂胆だ。
 性急な期待が、ベッドの上でこの男の上半身を前のめりにさせている。
「たしかに個人経営店舗の業務改善はいくつかやっています。しかし、今あなたは入院しているし、見ず知らずの私に店を任せるというのはどうかな。波柴さん、あなたが退院してからじゃ駄目でしょうか」
 俺はあえて気乗りしない風を装った。
「波柴でいいですよ。お客さんは多くはないですが、少なからず常連さんもいます。それに何の告知もなくお店を閉めてますので」
 俺は苦笑いで応えたが、この男は断られることなど微塵も予想していないのか、すでに頼り切った視線を投げかけてくる。
「そんなに期待の眼差しを向けられては……いやはや困りましたね。スケジュール空いていたかな」
 日程などどうにでもなる。俺はカバンからノートを取り出し、予定を調整して考えこむフリをしながら、既に引き受けるつもりで必要日数を計算する。
 今は手が離せない仕事もないし、何よりまとまった報酬が手に入るだろう。こちらも好都合というものだ。
「僕、我儘を言って困らせてしまっているかな。なぜだろう、なんだかあなたとは初めてあった気がしなくって」
「ははっ。そこまでいわれてはね。では、同郷のよしみということで、君のお店を手伝わせてもらおうかな」
 参った、というように笑顔を見せると、波柴は、
「本当ですか? 忙しいでしょうに、すみません!」
 とガーゼで覆われた口元をほころばせた。

 翌日、店の鍵を預かった俺は教えてもらった場所へ赴いた。
 ――LoOp
 それが店の名前だった。営業は午前十一時半からだと聞いていたので、朝十時には到着し、シャッターを開け中へ入る。
 こじんまりとした店内には、喫茶用のカウンター席とショーケース、その他陳列棚に雑貨が広げられたシンプルな店だった。内装は自分で仕上げたのだろう、いかにも素人がペンキを塗ったような雑味のある仕上がりで、ディスプレイの仕草も手作り感満載だった。おしゃれ雑貨を気取った、にわかDIYの女の部屋といったくらいにしか見えないが、まあこんなものなのだろう。『となりの部屋』とかいう素人雑誌の表紙くらいなら飾れそうだ。
 彼が退院するまでは、仕入れと喫茶はやらない、ということで話はつけてあったので、それまではただの店番だ。業務改善の『実践』などは、お決まりのPDCAを個人店舗向けの経営ノウハウに置き換えてやれば満足するだろう。簡単な仕事だ。スパイラルアップの具体的な提案を、店名のループにでもちょっと絡めてやれば文句などいうはずもない。

 その日、店もそろそろ閉めようかという頃、ひとりの女性が店内へ入ってきた。艶のあるストレートの黒髪が胸の辺りまで真っすぐ伸びている。
 透き通るような肌と大きな瞳に、筋ばった高い鼻に薄い唇の若い女性だった。手の甲を見る。やはり透き通っていて美しい。二十二、三といったところか。
 店に入るなりチラチラとこちらを伺っている。一瞬万引きを疑ったが、どうも違うようで、俺に話しかけるか迷っている感じだった。声をかけようかとタイミングを計っていると、女性が近づいてきた。
「あの……波柴さんは、お休みですか?」
「今日は不在ですが、何か?」
 そう答えると彼女は困った様子を見せた。

 詳しく訊いてやると、どうやら彼女は最近この店を知り、波柴と出会ったようだった。
「実は昨夜暴行を受けて入院しているんです」
「ええ!?」
 昨夜の状況を詳しく話すと、「どこに入院しているんですか?」と心配そうな表情を浮かべた。
 不安げな気持ちが白い頬に赤みをさして、透き通った肌によく似合う。
 俺はそんな不誠実な考えをよぎらせながら、『少なからず常連客がいる』と言った波柴の困った顔を思い出した。なるほど、彼女を狙っている訳だ。
 気が向くとまでは言えないが、ひとつ恩を売っておくか。
「店を閉めたら売上と店の報告に彼の入院している病院へ行くんですが、良ければ一緒に行きますか」
「え、いいんですか?」
 彼女は是非という態度で返事をした。
「構いません。店が終わるまで座っていてください」
 俺は冷蔵庫に残っていたフルーツを、その辺りにあった紙袋に入れた。
 仕入れのストップは波柴が病院から済ませていたが、残っている食材在庫に関してはどうしようもない。フルーツ以外のものは捨ててしまってくださいと頼まれていたのでそのようにする。
 店を閉めると俺たちはその足で彼の入院先に行き、その日の売上と報告を済ませた。
 病室で彼女の顔を見るなり表情を明るくする波柴に、正直羨ましいといった感情が湧いてくる。
「じゃ、私はこれで」
 と早々に立ち去ろうとすると、波柴が思い出したように俺を引き止めた。
「川瀬さん、リングのサイズ直しできますか?」
「ああ、店に道具が揃っていたから、その程度ならできるよ」
「実はサイズ直しをお願いしたいリングが一つあるんですが良いですか?」
 波柴にリングの場所と変更サイズを訊く。
「印字はしてあるのか?」と訊ねると、波柴は笑いながら彼女の顔を見て「いえ、印字はしてないんです」と答えた。
 なるほど波柴が彼女に贈る物なのだと察知した俺は「明日には仕上げるよ」と言い残し病室を出た。

 翌日、俺は開店準備を始めると、昨日のリングの件をすっかりと忘れてしまい、過去一年分の売上推移レポートや問題点などをまとめていた。
 サイズ直しのことに気がついたのは、閉店間際に彼女が来店してからだ。彼女の顔を見るなり俺は慌てて、リングを取り出しサイズを直し始めた。
「すみません、すっかり忘れていました」
「いいんです。明日また立ち寄ります」
 優しく笑いかけてくれた彼女はとても魅力的だった。
 彼女は喫茶用のカウンターに座って、
「波柴さんが帰ってくるまでカフェはできないんですね」
 と寂しそうだ。
「ああ、すみません。飲み物も出せなくて」
 俺がそう言うと、カウンターに座っていた彼女がおもむろに立ち上がった。
「いいんです、あの私、自分でやってもいいですか?」
 手慣れた感じでエスプレッソメーカーの電源を入れると、俺にまで珈琲を淹れてくれる。
 彼女は珈琲を飲み終わって機器を掃除すると帰っていった。
 俺がひとり残り、リングを仕上げていると、突然男が店内へと入ってきた。
 店内の明かりは殆ど落としてある。シャッターも半分閉じてある状態にも関わらず、なんて図々しい奴だと思いながらも俺は要件を訊くために男へ近づいた。
 黒いパーカーのフードを被り、破れたジーンズに黒いエンジニアブーツを履いた男が、黙ったまま俺の顔を見ている。
 誰か訪ねてきたら自分のことを伝えてほしいと波柴は言っていた。『少なからずいる常連』の一人なのかと思ったが、どうみても客じゃない。
 波柴と歳も近そうだし、ひょっとしたら知り合いか? そう思った俺は訊ねたが、男は黙ったまま俺が仕上げで磨いていたリングに目をやって指差すと口を開いた。「それは?」
「ああ、これは彼が恋人に贈るリングだよ」
「そうか、ところであいつは今どこに?」
 表情を緩めた男に俺は少し緊張が解れ、やはり波柴の知り合いだったかと、彼の入院先と病室の番号を教えた。
 男はニッコリと微笑んだようにも見えたが、俺はなぜか背筋が凍りついた。男は突然刃物を懐から出し、リングを指差して言う。
「それは、俺があいつの誕生日プレゼントに贈ったリングだ」
 突然豹変した男に、俺は何がなんだかわからなかった。
 鋭く振り下ろされた刃物が俺の手に食い込んだかと思うと、指を綺麗に落としていった。
 吹き出した血の海の中、リングを拾い上げた男は、膝から崩れた俺を見下ろし、まるで違う誰かを見つめているかのような虚ろな目で最後に一言だけ呟いた。
「絶対に許さねえ……」
 振り下ろされた刃物が、このとき俺のすべてを奪っていった。


◀前話 一覧 次話▶

#創作大賞2024 #恋愛小説部門



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

ありがとうございます!!!!!!がんばります!!!