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「ファミリア」第六話

Cate Cooper(5)

 店からの帰り道、膨れっ面でブツブツと独り言しながら歩く。
「チク・タクは小型犬だし、だいたいバスケットに収まってて、店内を出歩いてる訳でもないんだから別に良いじゃない! きっと、犯人が見つかりそうにない憂さを、わたしで晴らしたに違いないわ!」
 バスケットの中の相棒が、心配そうに顔を覗かせる。
「ねぇ? チク・タク! まったく許せないと思わない? でもおじさんの言ったことなら気にしなくて良いわ。そう遠くない未来には、きっとあんたたちにも市民権が与えられて好きな所に行けるようになるから! 軍事施設とホワイトハウス以外でね!」
 今度はチク・タクは首を傾げた。言葉の意味がまるで理解できませんって顔で。ひどいわ、相棒失格よ。
 アパートに戻ると、誰もいない家の中で電話のベルが鳴り響いていた。慌てて受話器を持ち上げるけど既に電話は切れていて、どこからかけられたかもわからない。
 ため息をついて、我が家の赤いレトロ電話機を見つめる。
「オールデイズの弊害ね……」
 実はこれもお母さんのマイブーム家具の一つ。70年代に作られた近未来を意識した電話で、深い赤色の本体に、受話器を繋ぐコードとプッシュボタン部分が白色のシンプルな形をしている。レトロすぎて留守番録音機能がないのが難点なんだ……。
 洗濯物を取り出し、チク・タクにお水をあげるためキッチンに向かおうとすると、バスケットの中で携帯電話が鳴った。画面に表示されたナンバーは知らない番号。
――誰だろ? 「もしもし?」躊躇いながら応えると、受話器の向こう側からやけに騒がしい音がする。
「…………ディ………………パー……‼」
 女の人の声? でも同時に響く騒音や人の騒ぎ声で、その人が何を言ってるかまではよく聞き取れない。
「もしもし? あのごめんなさい。もう一度お願いできますか?」
 しばらく沈黙が続く。待っていると、何かガサガサと音がして、電話をかけてきた主の声が少しクリアになった。
「…………もしもし? もしもし? これで大丈夫かしら」
「聞こえます。あの……誰ですか?」
「こんにちは、こちらディランシー総合病院のERです。あなたはジェシカ・クーパーさんの親族の方ですか?」
 ディランシー総合病院? あまりの唐突さに混乱して黙っていると、電話の声が心配そうに訊ねた。
「もしもし? 聞こえてます?」
「は……はい。ジェシカはわたしのお母さんです」
「あぁよかった、あなたが娘さんのケイトね? 良い? 落ち着いて聞いて。あなたのお母さんはイタリアンマーケットの事故でこの病院に運ばれてきたの。詳しいことは病院でドクターから伝えるから急いで病院に来てちょうだい! ペンはある? 今から話すことをメモをとって――」
 受話器から届く声は深夜ラジオのように思えた。カレッジやハイスクールの表彰者の名前を列挙するみたいに、次々と聞きなれない単語が聴こえてくる。その如何にも重要そうな言葉の羅列は、今のわたしには何一つ理解することができない。
「あの……ごめんなさい! 一体、何がどうなってるの?」
 状況を理解できないまま、縋るように訊ねる。
「突然だものね、無理もないわ。お父さんはいない? それか、他に親戚や車を持ってる人は? そこはどこ?」
 わたしの疑問には答えず、女の人はさらに質問を重ねた。それが無性に頭に来て、思わず声を荒げる。
「そんなもの誰もいないわよ! お母さんは無事なの⁉ お母さんに電話を代わってよ!」
 自分でも何が何だかわからないままに、気づけば怒鳴り散らしていた。
「落ち着きなさい、ケイト。お母さんには代われないわ。今、ドクターが処置中なの。だからあなたは急いでタクシーに乗って、このディランシー総合病院に来てほしいの。良い? わかる?」
 電話の声が、なんとかわたしを落ち着かせようと、幼い子に言い聞かせるみたいに冷静に対応してくる。
「なんで⁉ 代われないってどういうことよ⁉ お母さんはどこ⁉ 代わってほしいって伝えればそれで済む話でしょ⁉」
 とにかく不安で、わたしは一心に電話の主を怒鳴りつけていた。〝処置中〟という言葉が脳を素通りしていく。自分を抑えられない。
 そんなわたしの苛立ちを察したのか、チク・タクが怯えた表情で物陰からこちらを覗いている。遠巻きにする相棒にさえひどく苛立った。
「ちょっと聞いてるの⁉ 早くお母さんに代わってよ‼」
 わたしが繰り返すと、今度は受話器から別の男の人の声がした。
「クーパーさん? 担当医のローレンスです。お母さんは頭に大きな衝撃を受けたようで、今は機械に繋がれた状態で会話ができないんだ。だから君は看護師の指示に従って、一刻も早く、お母さんに会いに病院に来てくれるかい?」
「……」
 決して理解したくない言葉が飛び込んできた。――お母さんは今、機械に繋がれた状態で会話ができない――今度は素通りできなかったその言葉に、頭が真っ白になる。わたしはぐらつく気持ちを堪えながら、なんとか言葉を吐きだした。
「どうすれば良いの⁉」
 とりあえずお母さんは無事なんだ。会いに来いってことはそういうことよね⁉ 無理やり自分を落ち着かせようとするけど全然うまくいかない。すると、さっきまで話していた女の人が取り次いだ。
「ケイト? まず、あなたの家はどこ?」
「スプリングガーデン地区のグリーン通り沿いよ。ねぇ! 病院はどこにあるの⁉」
「まずは落ち着いて? ケイト。お母さんは今のところ安定してるから大丈夫よ。まずはスプリングガーデン通りまで出て、タクシーを拾いなさい。運転手にディランシー病院までと伝えれば、必ずここへ辿り着けるはすだから安心して。お金はある?」
 膝が震え始める。一刻も早く病院に向かいたくて焦っていたわたしは、電話の声が「お母さんは大丈夫」というのを聞いて、ほっとするのと同時に泣き喚きたいほどの不安に駆られていく。
「あの⁉ チク・タク……弟は? 弟も連れていって良い⁉ きっとお母さんも喜ぶから!」
「弟さんがいるのね? もちろんよ、二人で一緒に来なさい。良い? タクシーを拾ったらディランシー病院よ?」
 わたしは電話を切ると、すぐさま仕度をし始めた。
 キッチンシンク下の棚扉を開けて、シンクの裏側にガムテープで貼りつけられた封筒を引きはがす。中には「もしも」の時のために300ドル分の現金が入れられていた。緊急時専用のお金だ。それをバックパックに捻じ込むと、今度はペット用のキャリーバックをローゼットから引っ張り出す。
「チク・タク! チク・タクおいで!」
 わたしが呼ぶと、ずっと遠巻きでいたチク・タクが物陰から顔を出し、こちらの様子を伺いながらオドオドとしている。
 一緒にいたはずのマギーおばさんはどうなったのか? 先にタクシーを呼んでおけばよかった! そうすれば少しでも早く病院に着けたのに!
 病院へ向かう準備をしながらおぼろげだった不安がはっきりとしてきて吐きそうな気分だ。途中でお母さんの容態が急変したらどうしよう? 考えたくもないイヤな想像ばかりが浮かぶ。
 そんな考えをどうしても払い退けられなくなり、また冷静ではいられなくなったわたしは、呼んでも来ないチク・タクに向かってまた叫んだ。
「チク・タク! 早くしてよ! 置いて行くわよ⁉」
 怒鳴りつけると、彼は尻尾を丸めてその場に座り込み動かなくなってしまった。何度呼んでも、それ以上近づいてこない。
「一体何なのよ⁉ もういいわ! あんたはここで留守番よ!」
 わたしがこんなにも焦っているのに、チク・タクが一体何を考えてるのかさっぱりわからない! 言うことを聞かない彼に怒りだけが増していった。
 結局わたしは、チク・タクを残したままアパートを出て、車通りの多いスプリングガーデン通りまで全速力で走った。息を切らしながらタクシーを探すけど、今日に限って全然見当たらない。
「もう! 早く病院に行かなきゃいけないのに!」
 焦りだけが空回りして今にも泣き出しそうだった。そこに一台のタクシーがやって来るのが見えると、わたしは無我夢中でタクシーの前に飛び出していた。
 もしいつもみたいに冷静だったら、絶対にそんなバカな真似はしなかったと思う。すごいブレーキ音と共に、タクシーはわたしの体スレスレのところで停まると、激しくクラクションを鳴らしながら運転手が怒鳴っているのが聴こえた。
 でもそんなことはどうでも良かった。わたしは正面から回り込んで後部座席のドアを開けると素早く滑り込み、何やら怒鳴っている運転手に向かって行き先を告げる。
「ディランシー病院まで連れていって! お母さんがそこに運ばれたの!」
「バカ野郎! もう少しで轢いちまうところだったんだぞ⁉」
「ディランシー総合病院よ! いいから早く車を出してよ‼」
 行き先を告げても車を出そうとしない運転手に抑えられない怒りが込み上げる。
「お前、まだ子供じゃないか⁉ 早く降りろ! こっちは仕事でやってるんだ。お前のママゴトに付き合えるほど暇じゃないんだ!」
「遊びじゃないわ! 早くディランシーに行ってって言ってるの! お金ならあるわよ! もしお母さんに何かあったら、あんたのこと訴えてやるから!」
 わたしの願いが届いたのか? それとも尋常じゃないわたしの怒りに怯んだのか? とにかく運転手の男は不服そうに何か一言つぶやくと、次の瞬間タクシーは動き出していた。

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