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やりたいことはなんですか?

高次脳機能障害の検査が終わった後に
「リハビリが受けられて回復したら何がやりたいですか?」
と作業療法士さんに聞かれました。
「やりたいこと。。。なんだろう?」

馬鹿になったというわけじゃないので

日常生活に支障が出始め「高次脳機能障害の可能性はありますか?」と
先生に聞いてみました。すると

「くも膜下出血で脳全体にダメージを受けているのでその可能性はあるでしょうね。でも馬鹿になったというわけではないんですよ。まあできる範囲でやれることをやってください」
と言われました。

「馬鹿になったというわけではない」
この言葉をどう解釈すべきなのかとても悩みました。

コミュニティからの退会

素直にとれば
「くも膜下出血の後遺症であって馬鹿になったと思うかもしれないけれどそうではないです」
ということですよね。

ただ、私はそこから派生して
「そうか後遺症だけれど、もしかして知らない人から見たら馬鹿になったと思われているのかもしれない」
そんな風に思うようになってしまいました。

結果それまで参加していたコミュニティでも友人と会話をしても
「病気をして馬鹿になったと思われているのでは?」と思い、わからないようにと神経を使うようになりました。
結果、人と会話すると疲れてしまい
次第に参加することから遠ざかるようになっていました。

そんな折、人との会話の中から回復して行くことがあると聞きました。
なので後遺症のことを話し皆さんにご理解いただいた上でコミュニティに参加させてもらおうと決心しました。そうしたらもう少し気楽に参加できるのではないかと思ったからです。

でも結果的にそれは悪い方向に進んでしまいました。
主催者に
「前例のないそういう病気を持つ人がいること。それをメンバーの方が不安に思ってしまうのではないだろうか。主催者としてそのことに不安を感じています」
と言われてしまいました。

左下肢に麻痺を持つ私にとっては
オンラインコミュニティはとてもありがたいものでした。
そして何より入院中、退院後と温かく接してくれたメンバーは私の支えでもありました。

仕事をしていない私にとっては
唯一繋がっている社会でした。

このまま参加し続けるか退会するかとても悩みました。
でも、主催者に不安だと思われている中で参加し続ける勇気はなく、
結果、退会することとしました。


やりたいことはなんですか

そんな中で聞かれた「やりたいことはなんですか?」という言葉。
もちろん元の生活に戻りたいそれが1番です。そして仕事もボランティアも趣味も全部再開したい。

でも私の中で先生に言われた言葉がリフレインします。
「できる範囲でやれることを」

「やりたいこと」自分の欲望を持つことはもしかしてわがままなんじゃないだろうか。
「できる範囲でやれることを探すべきなのではないか」
そんな風に感じてしまいます。

だから
「やりたいことはなんですか?
と聞かれた時に逆に
「私にできることはなんですか?」
と聞きたくなってしまいます。

病気をしてから思うようになったこと。どこまでが希望でどこからが欲望なのか。
どこからがわがままでどこまでが許されることなのか。
その境界線に悩むようになりました。

答えは出ません。
でもこのことを考えるようになったのは後遺症を負ってからだということです。

健康だった時には思いもしなかったのに、この心境の変化は何なのか。

そして医療従事者を始め健康な人たちはどう思っているのかを知りたいと思いました。