見出し画像

多様性を受けとめる教室をつくる

私は、教職大学院で国際バカロレア(IB)教員の資格を取得しました。ここでの経験は私の教師人生に大きく影響しています。今週、大学院の授業で、資格取得後の働き方や授業作りについてお話させていただきました。

その授業では、私の他にもう一人ゲストティーチャーが呼ばれていて、その方はオーストラリアのメルボルンの小学校で特別支援教育のコーディネーターをされている方でした。とても魅力的な方で、お話の内容も深く考えさせられるものだったので、noteに記録しておきたいと思います。

コンディションと特性

そのゲストティーチャーの先生は、Wakana先生という方で、お子さんがASDなのだそうです。お子さんが通った学校のインクルーシブ教育がとても素敵なものだったという経験から、現在はその小学校で働いているということでした。

まず最初に、コンディションと特性のお話をしてくださいました。「コンディション」には障がいや感覚過敏、生活に支障をきたす要因などの意味があるようです。目に見える分かりやすいものとそうでないものがあり、見えないものについては「できるんじゃない?やってみてよ。」「大したことないでしょう。」と言われてしまうことが多くなりがちです。
でも、もし筋肉の病気で足が動かせない子がいた場合、「足を動かしてみよう」という投げかけはしないですよね。できないことを無理にやらせようとすることは、心に大きな負担をかけることにつながるのです。

そこで、特性(個性)に注目するのだそうです。特性の中で、得意な分野にフォーカスし、それを本人にも周囲にも伝えていきます。その子の特徴的な部分についてプラスの受け止めをし、ポジティブに活かすということです。

自己肯定感

特別な支援が必要な子どもたちの中には、気持ちが上手く言語化できない子も多く存在します。そういう子たちは「自分がどう受け止められているか」なんて分からないだろうと思われてしまいます。でもWakana先生は、「分かっていないようで分かっている。言語化できないけど、この子たちはセンスで分かるんです!」と言いました。だからこそ、「自分はいろいろなことができない」と思いこみ、自信がもてない状態になっている子も多いそうです。

これには、私もとても納得します。教員になる前、私も未就学児の発達支援の現場で2年ほど働きました。また、学生時代は重度の障がいをもつ子どもたちの遊びを支援するボランティアも行っていました。周りが思っている以上に本人たちはいろいろ分かっているように感じます。だから、Wakana先生の「その子のすごいところ、素敵なところをみんなに伝えることはとても大切。そうすることで自己肯定感が上がるんです。」とおっしゃっている意味がよく分かりました。

「自分にはこんなことができる!いいところがある!」と思えばがんばれる。これって、みんな同じですよね。それを感じられる場面をたくさん作れたらと思います。

たたかれた!怒鳴られた!

「ねえねえ」と優しく声をかけた。後ろから肩を優しくトントンした。それなのに、「たたかれた!」「怒鳴られた!」と癇癪をおこしてしまう。こうした行き違いでトラブルが起こり、コミュニケーションがうまくいかないというエピソードが語られました。日本の小学校の現場でもよくあることだと思います。

ここで「もうこの子とは遊ばない!」となってしまってはインクルーシブな教室にはなりません。この子が世界をどのように感じているのか、他の子どもたちに理解してもらう必要があります。「急に後ろから声をかけられるとびっくりしちゃうんだ。優しくやっても体に急に触られると○○くんにとっては痛いって思うんだって。」こんなふうに、声のかけ方、視界への入り方などを伝えると、次からはそうやって配慮して声をかけることができます。

もちろん、それですぐにうまく関われるわけではありませんが、同じ教室で過ごしている子どもたちって、大人が思っている以上に根気強く相手を理解しようとします。その姿に感動することもしばしば。中には、「○○くんは、こうやってると落ち着くんだよ」と教えてくれたり、教員が言っても伝わらないのにクラスメイトが言うと素直に応じたりすることがあったりします。子どもってすごいなと思います。

同じ教室で過ごす友だち同士、どうやったらお互い気持ちよくいられるか考えることが、その後のみんなの人生に影響すると私は思います。インクルーシブな社会に貢献する姿勢にもつながるのではなでしょうか。

がんばることは生きる活力

次に印象的だったお話は、「がんばることは生きる活力」というお話です。何かに向けてがんばることで元気になる。当たり前のようですが、見過ごされてきたことのようにも感じます。最近は「がんばらない方がいい」みたいな考え方もあります。がんばりすぎて体や心を壊してしまう人が多い昨今、「がんばろう!」というような声かけにしんどさを感じることもあるでしょう。

でも「あなたは障がいがあるからがんばらなくていいですよ」と言われたら、なんだか自分の存在意義を感じられずつまらないと思いませんか?やはり、何かに向けてがんばることが生きる活力になるというのは頷けます。

じゃあ、何に向けてがんばるのか。ここが、とても大きな問題になってきます。特別支援学級や特別支援学校では、カリキュラム上この目標設定が行いやすいと思います。通常学級の場合、学習指導要領もありますし、昔は「〇年生ならこれくらいがんばって当然」みたいな基準に全員をもっていくのが教師の仕事として認識されていたように思います。でも、最近はこれが全く通用しません。ここが、現在の教師の仕事の中でとても難しい部分だとも言えます。

社会からのニーズは、「〇年生ならばこれくらいの知識や教養、社会性を身に付けさせるべし」というものが依然として根強いです。一方で、配慮が必要なお子さんも多様化しています。

15年前くらいは、「特別な支援を要する児童がクラスに10パーセントくらいいますよね。」みたいなことが研修で語られていました。特別に配慮する子と、一斉にまとめて指導する子を区分けし、理解しながら教育活動を進めていこうという認識でした。

ところが、今は配慮することが多岐に渡り、どの子にも「この子にはこういう配慮が必要」という意識をしながら日々接している状況です。もちろん、その度合いは様々ですが、1人1人家庭環境の配慮事項があったり、学習内容や生活場面についての留意事項があります。アレルギーも多様化しています。登校に対する不安を感じる子も以前に比べて格段に多くなり、小さな配慮事項をしっかりと担任や教員らが理解しながら関わらないと学校生活が送れないといった事態につながっています。

一斉に同じようにさせる教育が昔から行われてきていて、うまくいかないときには暴力や暴言で子どもを服従させてきたような時代もありました。でも、現在ではそのような教育は通用しません。それがよい教育だとも思いません。

私は、1人1人の配慮事項や特性に合わせて、子どもと目標を一緒に見つけていくことを全く負担には思いません。むしろ、とても楽しくやりがいを感じます。個の実態を把握するというのは少し大変さもありますが、その子には到底見合わない目標に向けて、本人の意志とは関係なくがんばらせたり追い立てたりすることのほうがしんどいです。

何かに向けてがんばる。その何かの部分は「自らチョイスさせる」とWakana先生はおっしゃっていました。その選択肢は、教員や身近な大人が提案することになるでしょう。そして、何でも好きなことだけやっていればよいというものではなく、自分の所属する「社会」に参加するために取り組む内容を選んでいきます。多くの子は、私が勤務するような公立の学校がその「社会」になりますが、私立学校やフリースクールのような場所など、それはご家庭の考えに合わせて選んでいけばよいと私は思います。

多様性を受けとめる教室をつくる

公立小学校は社会の縮図のようだなと思うことが時々あります。お金持ちの子や貧しい子、運動が得意な子や苦手な子、勉強が好きな子・嫌いな子、何でもゆっくり丁寧にやる子と早くやりたい子…。世の中にいろんな人がいるように、教室にもいろんな子どもがいます。

私は「どうしたら、みんなで楽しく過ごせるかな?」ということを子どもたちやその保護者と一緒に考えるのが、多様性を受けとめる教室をつくることだと思います。全てに参加するのが難しければ、部分的な参加でももちろん構いません。

Wakana先生は、「障がいのある子のために他の子を我慢させるのはインクルーシブではない」とおっしゃいました。一緒にやるために、ちょっとルールを変える、場を整える、許容する…そういった工夫を通して場をプランニングするのだそうです。その際、「何ができないか」ではなく「何ができるか」に着目するのがコツだそうです。私は、なるほどと思いました。

多様性を受けとめる教室の実現には、教員の発想の転換や柔軟な思考がまずは必要です。前例やルールを一旦脇に置いて、子どもの現実を理解すること。これが、なかなかできない教員もいるので、そこは理解を広げていくために努力したいです。

次に大事なのは、自己開示できる雰囲気です。「私、今これをやるのがとってもつらいの。こっちならできるんだけど。」そういうことを話せれば、子どもたちは進んで「じゃあいいよ!こっちやって!」となります。事情が分かれば、その子が特別な場所を使ったり、別の課題をやったりしても文句は出ません。それが、言えるかどうかは、やはり教員との関係性、それから保護者の理解にかかっています。

言いたくないことまで、公表してほしいとは思っていません。でも、場を共有する人たちに信頼の気持ちをもつことができたら、保護者が心を開くというのはとても大切なことだと思います。攻撃的な子、つばを吐いてしまう子などは、周囲からの理解がとても得にくいです。その子の事情を伝えることで、理解されて温かい関わりが増え、問題行動が減ってくるという事例もありました。

私も小4と小6の子どもをもつ保護者です。学校の様子は子どもの話だけ聞いていてもよく分かりません。「○○くんが椅子をなげていた」みたいな話だけ聞くと、「もう○○くんには近寄らないようにしなさい」などと言いたくなります。でも、もう少し詳しく話を聞いたり、学校の先生に聞いてみたりすることで、もう少し親和的な捉え方もできるはずです。想像力が必要です。

終わりに

いろんな子が同じ場を共有する学校という場所。だからこその難しさとおもしろさがあります。みんながちょっと発想を柔軟にして心を広くもつことが、多様性を受けとめる教室・学校そして社会を創っていくための第一歩なのかもしれません。

今回、Wakana先生のお話を伺うことができて、自分のインクルーシブ教育に対する考えを整理することができました。そして、Wakana先生の子どもたちを大切に思う気持ちが伝わってきて、胸が熱くなりました。

インクルーシブ教育の大切さは分かっていながらも、その難しさに心を痛めている教員がたくさんいます。ある子の配慮をすると、別の子の権利が侵される。双方の保護者が自分の子を中心に訴えてくることで板挟みになり、身動きが取れなくなっています。うまく対話ができる関係性をみんなが歩み寄って築いていく必要があります。

これらは、よく考えると社会全体の問題が表出していることだと気付かされます。だれもが幸せに生きられるように、これからも自分にできることを考えていきたいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。




この記事が参加している募集

多様性を考える