にじ工房
夢や目標が10倍かなう。 日々の行動を励まし、流れを変える気づきを シュタイナーの言葉から 毎日お届けします。
40代50代と社会経験、子育て経験を積んでくると、これから先どんなことをやっていきたいのか、自分にはもっと適性に合った仕事があるのでは?など、人生後半への可能性も不安も見えてきます。「人生100年時代」。セカンドキャリアを考えるのにおすすめの本と、著者への三つの質問、そしてそこから得られる「BabyStep」(その日のうちに行動に移せる小さなこと)を記していきます。 セカンドキャリアを考えるすべての方へ
本の中じゃない、「生きた」シュタイナーをもっと知って欲しい。 そうしたら、子育てがもっとラクに、子どもとの時間が貴重なものだとわかるから。20年関わってきたシュタイナー教育の「日本の現実」での活かし方。
こんにちは(^_^) にじ工房の 新井理惠です。 教室では"りえ先生"と呼ばれてます。 分かりやすい自己紹介を約7分ほどの動画でお届けしています。 海外でシュタイナーを学び、 日本で子どもを育て、 公立中学勤務の中で不登校支援も経験した 「心理士」で「発達セラピスト」、にじ工房代表です。 日本の教育の良さも生かしながら、子育ても女性の生き方ももっと自由でイイ!学力・個性・コミュニケーション力も大事にする人を応援するオンラインコミュニティを運営しています。
"蛋白質を植物から摂取すると、 神経組織を新鮮にする力を発展させることができます。 菜食を重視することによって、 肉食過多による害を避けることができます。 菜食と肉食は逆の働きをします。 肉食の影響下にある肉体のプロセスを見てみましょう。 赤血球は重く、黒くなります。 血液は凝固しやすくなります。 塩や燐酸塩がたやすく混合します。 菜食にしていると、 血液の沈降力はずっと少ないものになります。 血液はもっとも暗い色合いにならずにすみます。 そのことによって、
"朝焼け・夕焼けというのは、 はたして本当のところ、どういうものなのでしょうか。 日の出を考えてみましょう。 太陽が昇ってきます。 昇ってくる太陽は、まだ直接わたしたちを照らし出しはしません。 朝焼けのとき、私たちは太陽を見るのではなく、 赤く染まった雲を見ます。 雲が光に照らされているのです。 これは、どういうことでしょうか。 この現象からは、教えられることが多いのです。 太陽はまだ昇っていないので、周囲が暗い状態です。 周囲は暗く、遠くには太陽に照らされ
"ショーペンハウアーは、 「モラルを説教することは易しい。モラルを築くことは非常に難しい」 と言いました。 どうしてなのでしょうか。 説教によっては、モラルを本当に広めることができないからです。 人間はモラルの原則をしっかり洞察しながらも、 その原則を守らないことがあります。 「精神は乗り気だが、肉体は弱い」 というキリストの言葉が、多くの人に当てはまります。 そのようなあり方が、 道徳的な火がキリストの姿から流れ出ることによって変化します。 そうして人間は、地球
"宗教的意識に先行する時代と 本来の宗教的儀式の時代との間には 中間状態があります。 神話・伝説・霊的世界についての諸民族の物語は、 この中間状態に由来します。 北欧神話・ゲルマン神話・ギリシャ神話に登場する者たち、 神々についての文書すべては 民族のファンタジーによる虚構だと主張するのは、 現実の霊的経過について何も知らない学者の机上の空論です。 神話は民族ファンタジーの虚構ではありません。 民衆は雲の動きを見て、 あれは羊だ、というふうに詩作するわけではありません
"つぎに、意識的心魂の美徳とも言うべき 「中庸」「思慮深さ」について考察しなければなりません。 ポスト・アトランティス第4文明期の人々において、 これらの美徳はまだ本能的です。 プラトンとアリストテレスは、それらは均衡状態、 意識的心魂の中心に存在するものと把握して、 意識的心魂の主要な美徳と名づけました。 人間が身体をとおして外界を意識することによって、 意識的心魂は成立します。 感覚的身体は意識的心魂の道具であり、 人間は感覚的身体を通して 個我意識にいたります。
"いかに多くの人々が世界を通過し、 さまざまな人間に出会っていながら、 根本的には知り合っていないことでしょう。 彼らは全く自分のうちに閉じこもっているのです。 長いあいだ友情を結んでいた二人が突然絶交することが、 しばしばあります。 それは、友情の衝動が唯物論的なものだったからです。 長い時間が経ってから、 たがいに反感を抱く性格だったことにようやく気づいた、 と明らかになります。 人の語ることがらに きちんと注意しているのは、ごくわずかの人々だけです。 「私た
"無関心 ここでも、人間は二つの極のあいだの中間を 保たねばなりません。 一方の極は無気力で鈍感な無関心です。 無関心だと、あらゆるものを見過ごし、 世界のなかに非常な道徳的不幸を引き起こします。 自分自身のなかにのみ生き、 わがままに自分の原則に固執します。 つねに「これが私の立場だ」としか言いません。 立場があるのは、道徳的な意味では悪いことです。 周囲にあるものすべてにひらかれた目を 持つことが大事です。 無気力で鈍感な無関心は 私たちを世界から切り離し
いつの日か、この学校での生活を振り返って、 「あのころ、私はあることを学んだ。 あのころ、わたしはほんとうにすばらしい日々をすごした。 あのころ、先生は愛をこめてわたしに語りかけてくれた。 あのころ、わたしには学校にほんとうの友だちがいた」 と考えることができるならば、 みなさんはじっさいに人生の中に 光を放つ太陽を手にすることになるのです。 将来とても歳をとって、 髪の毛がグレーに変わるころになっても、 みなさんは、 この学校で美しいことをどのようにして体験したか、
"いいですか、愛するみなさん。 みなさんは、この学校生活が人間の人生全体と どのように関連しているかということに 注意しなくてはなりません。 歳を取ると、人間は70,80,という年齢を 迎えることになります。 人生は幸福と不幸を、 美しいものと醜いものをもたらします。 今お話したとおり、人間は老人になると、 70歳、80歳になります。 ここで私たちは人生を 24時間からなる一日にたとえることができるでしょう。 つまり一日が人生全体を表すとなると、 わたしたちがこの
"さて、わたしは生徒のみなさんがいるこの場で、 みなさんの愛する先生にも いくつかのことをお話ししておきたいと思います。 みなさんはまだ理解できないかもしれませんが、 わたしはみなさんにも これからお話することを聞いてもらいたいのです。 みなさんの先生は、ヴァルドルフ学校のために とても熱心に仕事をしてきました。 わたしはみなさんの先生一人一人と握手したいと思います。 まず最初に、モルト夫妻と握手したいと思います。 それはモルト夫妻がこのヴァルドルフ学校を つくって
"もし、みなさんのなかで、 だれかが注意深さを失うようなことがあれば、 みなさんのなかの別のだれかが、 その人に対する愛にうながされながら、 つぎのように言わなくてはなりません。 「ねえ、君。 人生の山は勤勉さと注意深さとともに登るものなんだ。 元気を出そうよ。 君はいつも人生の山を登り続けなくてはならないんだよ」 また、足元がいくらかぐらついている級友がいれば、 このようにしてみなが助け起こさなくてはなりません。 全員はほかの人のために、 ひとりのために生きなくてはな
"愛するみなさん。 きょう、この極めて厳粛な瞬間に、 わたしたちはさらに別のことを 思い出さなくてはなりません。 髪が白くなったり、疲れやすくなったり、 高齢になったりすると、 人間はそれまでの自分から離れていくことになります。 人間の肉体は衰えて、 人生の終わりが近づいてくるのです。 みなさんはすでに、 このようにして人間が人生の終わりを迎える様子を、 しばしば自分の目で見たことがあるはずです。 しかし、それはたんなる外見上の 人生の終わりに過ぎません。 この瞬
"子どもの線画を見てみよう。 7歳・8歳までの子ども、9歳までの子どもは、 正しい空間感覚をまだ持っていない。 のちになって、しだいに他の力が子どもの中に入ってくると、 子どもは空間感覚を持つにいたる。 7歳まで子どもには、のちに表象になるものが働きかける。 性的に成熟するまでの子どもには意志が働きかける。 ついで意志はせきとめられ、 男性の声変わりにおいて、 意志がいかに身体のなかに現れ出るかが示される。 意志は空間感覚を発達させるのに適している。"
"「自分を見てごらん。手が二つある。右手と左手だ。 手は働くためにある。この両手で、君はいろんなことができる」。 このように、自分にあるものを意識させることを試みる。 子どもは、自分に手があることを知っているだけでなく、 手があるということを意識すべきなのだ。 仕事のために手があるということを知っているのと、 そのような考えが心魂に浮かんだことがないのとでは違う。 手について、そして手で行う仕事について 子どもとしばらく話し、 手を器用に用いさせてみる。 場合によっ
"子どもに読み書きを教えるとき、 教師は最も物質的な領域で授業をする。 算数を教えるときは、物質的でなくなる。 音楽・線描などを子どもに教えるとき、 教師は本来、心魂精神、精神心魂を 教育しているのである。 最も簡単な方法で、線描・絵画を始める。 誤った手段によって意志を間違った方向にもたらすのではなく、 芸術的な手段によって意志を正しく強化することが重要だ。 そのために、最初から絵画的・芸術的・音楽的な教示を 行うべきである。 第2人生期(7~14歳)の始めにお