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東京と人の温かさ。

こんにちは。
虹子です。
IT企業で働くフルリモートワーカーをしています。

6月に入りました。
美容院へ行くために、電車に乗りました。
そこそこにすいている各駅停車です。
車窓から、霧雨の風景が通り過ぎる中。
東京に来た時の感情を、思い出しています。

前回はこんな記事を書きました。

私には生みの親と育ての親がいます。

上京の話

「そんな大変なことになってるとは、知らなかった。
うちに来なさい」

のちに育ての親となる、叔母が言いました。

私はボストンバッグ一つで、
東京のとある家にやってきました。
その時19歳。
引きこもり歴3年だった私は外に出るのもしんどく、
じんわりと手のひらに汗をかいていたことを思い出します。

叔母の家の最寄り駅に到着。
懐かしい電車の発車メロディを聞くとほっとします。
夏休み、東京へ預けられる時によく聞いていた音。
本当の夏休みが始まる、嬉しいような、胸が躍るような。

「それにしても、どうしてもっと早く教えてくれなかったの」
「だって、高校退学したこと、Mちゃんに
内緒にしろって言われてたから……」

Mちゃんとは、私の生みの母親です。
変な話ですが、お母さん、ママ、と呼ぶことは禁止されていました。

「そうかー……。気付かなくてごめんね」

閑静な住宅街、私は何度かお世話になったことがあります。

門扉を開けると、金色の巨大な塊が飛びついてきました。
ゴールデンレトリバーのドンちゃんです。

自分とほぼ同じ体重の巨大ゴールデン。
ちょっと怖く、扱いに困っていたことを思い出します。

保護犬2匹を飼っている今なら、
大きかろうが手慣れたものなんですが。
特に大型犬は頭が良いし。

叔母の家はいつも物に溢れていました。

汚部屋という感じではないです。
食べ物やゴミはきちんと処分されていますし、
洗い物も洗濯物もちゃんと回っている。
ベッドのシーツやリネンも、
2週間ごとに取り替えられます。

叔母は当時フルタイムなどで複数の仕事をし、
叔父は学者肌で全く家の中の状態にこだわりがない。
ヘルプのお手伝いさんはいるものの、
とにかくモノの増えるスピードが多すぎる感じ。

フローリングの床の隅に、
本が、書類が、手紙が、お中元の箱が、うず高く積み上がっています。

恐る恐る家に上がり、
一階の和室スペースに入りました。

そこで居住スペースを作って、
ご飯を食べさせてもらいながら、
数週間、色んな話をしました。

小さな頃、抱きしめられなくて苦しかったこと。
弟ばかりが何故か褒められ、頑張っていると言われること。

叔母は時に朝方まで、
時に川っぷちで犬の散歩をしながら、
一生懸命話を聞いてくれました。

経験したことを話していくにつれ、
叔母の話から、態度から、
自分の家が異常であることを知りました。

よく言われていたことに、こういうものがあります。
「お金を出してやってるんだから、親をもっと敬え!」
「こんなにしてやってるのにお前は、学校も行かず、働きもせず……。
うんこ製造機だな」
(一字一句違えず本当に言った)

場末のスナックのバーの店長だった父親。
仕事で飲んで酔っ払っては、
朝方私の部屋へ来て、
そんな説教を1時間ほどしていきます。

部屋には鍵もないので、ガラガラと勝手に入ってきます。
朝方原付の音がして、階段を上がってくる足音がすると、
私は緊張して全身石になったような思いでした。

また、母親も、
「あんたと私は関係ないから」
「あんた、世間で通用しないよ。そんなことでは」
と、よく言っていました。

お金の話になりますが、
おばあちゃんが孫たちのために20歳のお祝いにくれた50万円。
一生懸命貯めてくれたお金を、
しらばっくれて着服したのもMちゃんです。

金額どうこうより、
大好きだった祖母が喜んでもらおうと思ってくれたお金を、
気持ちを受け取れず悲しかった。

「親が選んで産んだんだから、お金を出すのは当たり前だよ。
わざわざそんなこと言うなんて……」
「暴力があったり、毎日大声で怒鳴り合ってたら学校なんて行けないよね。かわいそうに……」
「そういうことだったのね、おばあちゃんが、成人のお祝い金を包んで母親に渡したのに、
何も言ってこないって怒ってたけど。Mが横取りしたのね」

叔母の言葉で、自分の気持ちが報われていくのがわかりました。
ああ、おかしくなかったんだ。
おかしいのは私じゃなく、あの人たちだったんだ。

同時に、足元が崩れていくような気持ちにもなりました。
じゃあ、私の19年間はなんだったんだ。
愛されて、育てられるはずの子供時代は、
どこへ行ってしまったんだろう。

私の人生はこれからどうなるんだろう。

しくしくと泣く私に、
叔母は落ち着くから。
とカモミールティーを入れてくれました。
優しい味の甘い匂いのするお茶は、
涙と共に、自分を慰めてくれました。

「愛情は、親とは別の人からも受け取れるんだよ。
私をママと呼びなさい。あなたを自分の子供と思うから。」
そう言って、叔母は手を差し出しました。

「約束するよ。
私は絶対にあなたを捨てない。
あなたが幸せになるまでちゃんと見守る」

叔母と小指を切って約束しました。
その約束は、20年後の今も守られ、
数ヶ月に一度は泊まりに行くような良好な関係を保っています。

叔父も、ゆっくりしていきなさい、
と口下手ながら大歓迎してくれました。

私は中央線の車窓の風景を目にする度に、
昔を思い出して、私を子供のように大事にしてくれた人の心のあたたかさを感じ、
大好きな街だな、と思うのです。

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